0.8

0.8

吉田修一

 離婚した直後、自分がどうやって日曜日を過ごしていたのか分からなくなった。まさか毎日、パートナーと四六時中一緒だったわけもないのだろうが、少し寝坊して寝室から出たあと、洗濯機が回っていないことで初めて、ああ、そうか、いないんだと気づいた。散々話し合い、お互いにとても前向きに出した結論だったので、寂しさはない。ただ、その寂しくないということが少しだけ寂しかった。
 特にやることも思いつかず、休日の午前にやっている高校サッカーやマラソンのテレビ中継も見終えてしまうと、ふらりと多摩川の河川敷を歩くようになっていた。晴れた日にこんな広々としたところを散歩できたら気分が清々するだろうね、とお互いの会社への通勤経路は少し不便になるが、あえて引っ越してきた街だったが、いざ住み始めてみると、河原までたかだか分の距離が、とても遠く、もっといえば、その分が時間の無駄にしか思えなかった。
 もちろん二人で何度も歩いた。ただ、お互いにスマホをいじり、どちらかが、
「新しくできたカフェ、寄ってみる?」
 と誘えば、
「混んでるよ」 
 と会話は終わった。
決して一緒にいたくないわけではなかった。どちらかといえば一緒にいたいとおもっているからこそ、どちらかの機嫌が悪くなる前に帰ったほうがいいなとお互いが感じていたような気がする。 
 一人で河川敷を歩くようになったある日、なんとなく土手からの急な芝生をおりて、子供たちの元気な声が響く野球場を越え、水草の茂る水際まで行ってみた。最寄り駅からも離れた場所で、ここまでおりてくる人も少ないのか、草叢にはゴミが散乱していて、土手の上から眺めていた印象とは少し様子が違った。そういえば、新婚旅行で行ったスイスで、羊たちが草を食む美しい草原に立ち寄ったのだが、ロープウェイから見下ろした時の印象とは違って、足元にはあちこちに羊たちのフンが散乱しており、
「まあ、そうなるよね」
 と、半ば現実に呆れて、半ばそんな発見が新鮮で二人で声を上げて笑った。
「これから『アルプスの少女』を見る目が変わるわ」
 どっちが言ったのか忘れたが、このセリフだけは未だに覚えている。
 ゴミの散乱した水際から土手へ戻ろうとすると、草叢できらりと何かが光った。しゃがんでみると、手のひらに載りそうな小さな仏像がごろんと倒れていた。いわゆる坐禅を組んだ仏像で、金色に輝いているわけでもないが、そう汚れてもいない。本格的なものというよりは、寺町のみやげもの屋に並んでいるような佇まいだった。
 手に取って、土塊を払った。やはりみやげものなのか、台座の裏に0.8と彫られている。おそらく同型でサイズの違う仏像が売られており、これは通常よりも少しだけ小型ということらしい。
 しばらく眺めたあと、平たい岩の上に立て、その日は帰った。落としものとも、捨てられたものとも判断はつかなかったが、できれば落としものだったらいいなと思う。
 この仏像のことが急に気になり始めたのは、それから数日後のことだった。珍しく仕事を早めに切り上げて帰宅し、いつもよりかなり早くベッドに入ったのだが、寝ようとすると、月明かりの下、平たい岩に置かれたあの仏像の姿が、なぜかありありと目に浮かんで消えなくなってしまった。
 自分でもバカらしいとは思いながらも、気がつけば、ベッドを出ていた。いやいやコンビニに行くだけだと心の中で言い訳しつつも、結局、夏の夜の河原に懐中電灯を片手に立っていた。
 幸い、場所ははっきりと覚えていた。懐中電灯で足元を照らしながら進んでいくと、水音が近くなってくる。見慣れた多摩川のはずだが、夜の多摩川は野生の匂いがした。
 青いライトが平たい岩に載ったままの仏像を見つけ出した瞬間、「いた!」 と思わず声を上げた。自分の声が暗い河原に吸い込まれていく。
 自分でもここまで何をしに来たのか分からなかった。まだあるのか確かめに来ただけのような気もするし、持ち帰ろうと思っていたような気もする。
 ただ、しゃがんで、再び仏像を手にした途端、持ち帰りたいという思いが強くなる。だが、今度は誰のものとも分からないものを持ち帰ってバチが当たらないだろうかとも思う。
 しばらく考えて、天に任せることにした。見上げた星空が見事だった。
 ポケットから100円玉を出し、指で弾いて手の甲に載せる。表なら、持って帰る許しを天がくれたとする。逆に裏なら、また元に戻して帰る。
 結果、手の甲にあったのは、表の出たコインだった。改めて仏像を手に取ると、なんだかすでに愛着がある。子猫でも運ぶように、両手で包んで持ち帰った。
 丁寧に洗い、乾かすつもりでリビングのテーブルに置いた。改めてみれば、なんとも穏やかな表情をした仏様である。
 見様見真似で、小さな仏像の前で坐禅を組んでみた。いつもならまだ残業している時間だった。せっかくならと、YouTubeで坐禅の仕方を探し、丹田という臍の下を意識した呼吸法を真似る。
 しばらく続けていると、解説の通り、呼吸以外のことを考えなくなっており、
「なかなかセンスあるんじゃないか」
 と自画自賛している自分がおかしかった。
 元パートナーの親友と、帰宅途中の地下鉄で偶然に会ったのは、それからしばらくしたころだった。
「元気にしてる?」
 元パートナーの近況を尋ねた僕に、彼女はこんな話をしてくれた。
 ずっと1.2倍速くらいで生きてきたような気がするんだって。そのスピード感こそが幸せだと思っていたけど、ちょっと考え方を変えることにしたんだって。「0.8倍速くらいのペースで生きてみようと思う。そしたらきっと、もっといろんな景色がはっきりと見えてくるんじゃないかなと思う」と。

吉田修一

吉田修一 ( よしだ・しゅういち )

長崎県生まれ。1997年に『最後の息子』で文学界新人賞を受賞し、デビュー。2002年には『パレード』で第15回山本周五郎賞、『パーク・ライフ』で第127回芥川賞を受賞。純文学と大衆小説の文学賞を合わせて受賞し話題となる。07年『悪人』で第61回毎日出版文化賞と第34回大佛次郎賞を受賞。10年『横道世之介』で第23回柴田錬三郎賞を受賞。19年『国宝』で第69回芸術選奨文部科学大臣賞、第14回中央公論文芸賞を受賞。作品は英語、仏語、中国語、韓国語などにも翻訳。世界で注目される日本人作家でもある。2016年より芥川賞選考委員。

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