ジョーンズさんのスカート

山田詠美

SCROLL

 私は、そのスカートを「ジョーンズさんのスカート」と呼んでいる。美浜のアメリカンビレッジのショップで、それに出会った時、あ、私に会いに来たんだ、と思った。
「ゴールデン・エイジ」というそのショップは、古着と新品の衣類を半々に扱っていて、オーナーがあちこちで買い付けたという、お洒落な小物類も沢山並べられていた。クールなものも、ワイルドなものも、キュートなものも、ブリなものも。立ち寄るたびに胸を騒がせるおもちゃ箱のような店。行けば、必ず、心惹かれるものが見つかった。しかし、少々、お値段に難あり。
 安くはないのだ。まだ高校生の身には、ハードルが高い。でも、それだけに、バイトまでして、GA(私たちは「ゴールデン・エイジ」をそう呼んでいた)の商品を手に入れた子は、その日の主役になった。
 今日もそう。アンティークっぽいビジューで埋め尽くされた化粧ポーチを自慢した里加子は羨望の的になった。あちこちから、うわーっ、それ上等ね、という声が飛ぶ。ちなみに、「上等」は、別に喧嘩を売っている訳ではなく、ちょっとした誉め言葉。普通に使っていたら、それ方言じゃない? と東京の子に不思議がられた。そうなの?
 遠くからも見える大観覧車がランドマークの美浜アメリカンビレッジは、観光客はもちろん、地元の若者や家族連れにも大人気のリゾートエリア。立ち並ぶショップだけでなく、レストランやアミューズメント施設も充実していて、一日中いても飽きない。夕日の美しいビーチもあるから、デートコースにもぴったりだ。基地に住むアメリカ人たちも多く訪れるので、週末など、どこの国にいるのか解らなくなる。
 けれども、このあたりで生まれ育った私たちにとっては、その「解らなさ」こそが日常。「解る日」が、いつか来るのか、それこそ解らないけれども、とりあえず、私たちは目の前にある自分好みの「上等」を見つけて、ささやかな日々の幸せを味わおうとしているのだ。その数ある内のひとつがGAこと「ゴールデン・エイジ」という訳。
 その日も、私と仲良し組三人は、ブルーシールのアイスクリームを食べて、お喋りに興じた後、GAに立ち寄った。和江が格好良い灰皿を見つけたという。
「なんで灰皿!?」
 私たちの怪訝な顔を見て、和江は照れたように白状する。
「今度の彼氏、煙草吸う人で」
 ええっ、と私たち、さらに驚く。
「大人? 不良? おやじ?」
「スモーキング年齢に達した青年です」
「青年! なんかの条例とかでしか知らない人種だね」
 爆笑する皆を残して、私は、フロアの隅にある米軍放出品の並べられた一画に移動した。ここに、しばらく前から気になっている「ジョーンズさんのスカート」があるのだ。
 このGAには、コンディションの良い払い下げ品はもとより、それらをリメイクしたおもしろい商品が置かれているのだった。カットオフして、ワッペンをいくつも縫い付けた短パンや、ジャケット仕立てにして、リボンやレースを付けてトリミングしたワークシャツなど。
 私のお目当ては、何枚かのカーキ色のユニフォームを大胆に切って縫い付け、スカートにしたもの。袖の部分がヒップボーンの位置に巻き付けられて、前で結べるようになっている。その下にはポケットがあり、そこに、かつての持ち主であろう人物の名札が付いている。
「JONES」
 その名を認めた瞬間、私は、あ、このスカート、私を待っていた、ううん、会いに来た、と思ったのだ。そして、ラックからハンガーを外そうとして驚いた。重い! 値段を見て、もっと驚いた。高い!
「タミー、まさか、そんなの買おうとしてるんじゃないでしょうね。こないだから、そのスカート気になってるみたいだけど」
 いつのまにか背後に来ていた真琴が、咎めるように言った。私の名前の多美を仲間は皆、タミーと呼ぶ。
「買わないよ、私には高過ぎるもん。ほら、値段見てみ、二万五千円だって」
「ほんとだー。でも、値段の問題じゃなくてさ、それ穿いてどこ行くのよ。東京から来た観光客ならともかく」
 そうなのだ。基地のある街では常識だが、軍関係の人々以外、そこのユニフォームを着て出歩くことはない。まして、デザイン上とは言え、切り刻んでパッチワークした軍服なんて。それに身を包んで、街を歩くなんて不謹慎な感じがする。
 でも、でも、欲しいんだよ、と私は思う。黒い皮ジャンと合わせてさ、足許は、もちろん偏愛するドクター・マーチンの8ホール! ベレー帽をかぶってもイケるかも……と、お洒落の夢は広がる。
「ねえ、皆、どう思う? タミー、このスカート、欲しいんだって」
? 格好良いは格好良いけどねー」
「大学、東京行く気でしょ? あっちで穿けば良いさー」
「そうそう。欲しい時が買い時だよ」
 問題のスカートを裏返したり、自分の腰に当ててみたりしながら、皆、勝手なことを言っている。
 そんな中、里加子が、私を見詰めて尋ねた。
「ね、タミーは、どうして、それが欲しいの? 他にも、同じようなリメイク品あるじゃない。たとえば、これとか」
 そう言って、ラックの中から、別のスカートをピックアップして、見せる。そして、あやふやに頷く私に意味ありげに笑いかける。
「ジョーンズって名札が問題なんだ?」
 その通り。私は、話し始めた。
 私は、米軍基地内で働く父と二人暮らしだ。職場結婚で一緒になった母は、私が幼い頃に病気で亡くなった。まだ、もの心ついたばかりの私だったが、父が嘆き悲しんでいた姿を今でも覚えている。
 小さな娘を育て上げなくてはならない父は、おおいに奮闘した。日々の生活に追われて必死になっている内に、いつのまにか娘の私は小生意気な少女に成長していた……というのが、父の談。
「ママのことを忘れた訳ではもちろんないけど、時間グスリとはよく言ったもんだね。思い出すと、穏やかにアルバムをめくるような気持になって、そうすると、そこにママがいる。喧嘩もいっぱいした筈なのに、いつも笑ってるんだな、これが」
 父は懐しそうに目を細める。私は、追憶の中にいる彼を邪魔しないように、ただながめているだけだ。
 父の仕事中、私は、彼と同じ職場で働くアメリカ人の同僚の家に預けられた。同じ年頃の子供がいるから、とその人の日本人の奥さんが、ベイビーシッター役を買って出てくれたのだ。そして、それは、私が学校に行くようになっても、しばらく続いた。小さな子をひとりで留守番させてはならない、と言ってくれた、その親切な御夫婦は、ジョーンズさんという。
 交流は、数年前、ジョーンズ一家がアメリカに帰ってしまうまで続いた。絶対に会いに来て、うん、会いに行く、と固い約束を惜別の涙と共に交わした。
 もしかしたら、ジョーンズさんの奥さんが父の想い人だったのではないか、と考え始めたのは、それから、しばらく経ってからだった。

 七〇年代のソウルミュージックの名曲、ビリー・ポールの「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」と言えば、R&B好きの親を持った私のような子供であれば、一度は聴いたことがある筈だ。今時、「ミスター」「ミセス」なんて使わないよ、という意見もあるだろうけど、サビの〈ミー・アーンド・ミセス・ミセス・ジョーンズ……〉というパートが流れると、そんなのはどうでも良くなる。すごく甘くて、せつなくなる恋を歌うファルセット。
 ジョーンズさん御夫婦に聴かせてもらって、いっぺんで好きになった。奥さんは、曲をかけるたびに笑いながら言ったものだ。これ、私の歌よ、と。
 その御夫妻が日本を去った後も、我が家では、その曲が流れていた。父が、ぼんやりと頬杖をついて聴いていて、〈ミセス・ジョーンズ……〉のくだりになると、一緒に口ずさむのだ。その様子を見て、私は、いくつかのエピソードを思い出す。まぶしそうに奥さんを見ていた父。彼女と偶然手が触れ合った時に、慌ててグラスを落としてしまった父。頬が真っ赤だった。別れの時に、涙ぐみながら彼女の後ろ姿をいつまでも見送っていた父……などなど。彼を初めていとおしいと思った。
「決めた! 私、バイトの時間増やして、これ、買う」
 私の決意表明に、おおーっ、と賛同の声と拍手が起こった。
「そして、東京の大学に行ったら、このスカート穿くことにする」
   寝かせて熟成させるんだー、と誰かが言って、皆、げらげら笑った。ふと、我に返ったように真琴が言った。
「でも、タミー、ジョーンズさんに思いを寄せてたのは、あんたのパパでしょ?」
 そうだけど。メイク・ア・ウィッシュみたいなもん?
 数ヵ月後、私はバイトに励んで、ついに「ジョーンズさんのスカート」を手に入れ、そのまた数ヵ月後、東京の大学の合格通知も手に入れることになる。我ながらがんばり屋さん。自分を誉めてやりたい。後は、自分だけの「ミー・アンド・ミスター・ジョーンズ」の物語を見つけるだけだ。

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