SUMMER#02

消しゴム

岩井俊二

SCROLL

 社名や職種は言えないが、どうかお察し頂きたい。私は某株式会社の営業部で、あるものを作ったり売ったりしている。ユーザーはそれを大勢集まる劇場で観たり、テレビで観たりする。最近はスマホでも。そういうものを作っている。百年の歴史を誇る娯楽産業といえば薄々ご理解頂けるだろうか。

 とある企画を進めることになり、私はその担当であった。それなりに人気のIP(=知的財産。小説・マンガなど)の運用であり、大ヒットとまではゆかないものの、赤字にはならない自信はあった。

 A社という配給会社が弊社の筆頭株主である。業界トップの実績を誇る。先ずはこのA社にプレゼンする。採用されたら万々歳だが、ここが難関。ほとんどの場合は通らず、他社を捜す羽目となる。とはいえA社を通さず、いきなり他社に持ち込むのもまた禁じ手である。ところが最近天下りして来たばかりの新社長。彼の口ぶりでは、どうやらA社に黙って既にB社に打診しているようであった。

「あいつら(A社)に言ったところで、どうせB社やC社を斡旋されるに決まっている」

 A社の社長はこの新社長の大学の後輩だそうで、自分の企画を却下されるのが、どうにも我慢ならないようである。六十過ぎた男が、大学時代の先輩後輩関係にいまだ固執する姿は、シュールですらあった。私は新社長に直談判し、「A社にだけは話を通すべきである」と強く進言した。すると、社長は「だったらお前が言いに行ってくれ」と拗ねた口調で言う。勿論こちらも社長に動いて頂こうとは思わない。お墨付きを得た私は、早速A社の若い営業担当に連絡し、いつものカフェでミーティングを持った。

 私は企画書を見せながら、概要を説明する。若い担当はふむふむと大きく頷きながら、ノートパソコンで事細かにメモを取る。私の十五分程度のプレゼンを聞き終えたその男は、開口一番、こう言った。

「ウチ向きの企画じゃないですね」

 万事予定通りだ。A社に断ってもらって、晴れて私たちはB社とこの企画を推進できるわけだから。しかし彼と別れてカフェを出た私は思わず唇を噛み締めた。自分たちの大切な企画が却下される瞬間は、我が子が全否定されたかのようで辛い。新社長の気持ちを改めて理解する。今の若い担当が私の大学の後輩だったら。考えただけで苦いため息が漏れた。すぐに社に戻る気にならず、気持ちを落ち着けるために日比谷公園まで足を伸ばし、少し走ってみた。気がつけばもう七月だ。あっという間に汗だくになる。こうやって汗だくになってみると、不思議と楽に敗北を認められる自分に気づいた。若い頃、野球少年だったせいかも知れない。勝敗が必ずついて回ったあの青春の日々。今となっては勝利より、敗北こそが懐かしい。これはいいことに気づいた。気を良くした私は、もっと汗だくになってやろうと、更に足を伸ばし、皇居の周りを一周した。走りながら、さっきの若い担当のことを考えた。そういえば、あいつ、断ったのをいいことに、こちらの企画書を持ち帰りもしなかった。ノートパソコンで頻りに何か打っていたが、最初から持ち帰らぬつもりで、書き写していたのだろうか。いや、企画書にある内容を書き写すなんて、わざわざ、そんな手間なことをするだろうか。ひょっとしたらあいつ、俺の話を聞きながら、別の仕事でもしてやがったか? 関係ないメールに返信でも打ってやがったか?

 そんなことを考えていたら怒りが沸々と滾り出し、クラクラして来た。このまま熱中症になってもバカバカしい。そう思いながらも、途中で立ち止まるのもあの若い担当に負けたようで悔しく、結局最後まで完走することで、溜飲を下げるしかなかった。

 汗だくのワイシャツ姿のまま、私は社長に結果を報告した。そうか、まあ、それはそうだろうと、社長は寂しそうに相槌を打った。

「それよりお前、なんでそんなに汗だくなんだ?」

「いや、ちょっと悔しくて、皇居を一周して来ました」

「バカか、お前」

 そう言って苦笑する社長は、少し嬉しそうだったろうか。私の目にはそう映った。

 家に帰ると、妻と中学二年になる息子が夏休みの旅行計画を話し合っていた。二人の間では、沖縄が第一候補だった。

「真夏に沖縄か? 東京だってこんなに暑いのに?」

 私は頭の中で、那覇の国際通りを歩く自分の姿を思い浮かべていた。ネクタイ姿で。汗だくで。妻と息子はきっとエメラルドグリーンの海を思い描いている。本来そっちの方が正しい。缶ビールをグラスに注ぎながら、不意に泡盛が飲みたくなる。黒糖をつまみに。ラフテー。ソーキそば。サーターアンダギー。メタボまっしぐらだ。先月受けた人間ドックで体重を落とせと言われたばかりだ。

 息子は宮古島に行ってみたいなどと言う。プロ野球のキャンプを動画で見てから、一度かの地に足を踏み入れ、その空気に触れてみたいのだという。息子は私の影響か、小学時代からリトルリーグで野球に励み、今は中学で野球部だ。二番手だがピッチャーである。

 妻が言う。

「大丈夫? また仕事で行けないんじゃない?」

 それを言われると辛い。

 去年の夏は、大分県由布院温泉だった。出張で見つけたいい温泉宿があって、そこに二人を連れてゆこうとしたのだが、自分だけ火急の仕事で行けなくなり、二人だけで行って貰うことになった。

 その前の年の夏は、長野県旧戸隠村へキャンプに出かけた。小学六年生の息子は、幼稚園児のようにはしゃぎまわって、五月蝿いくらいだった。ところが中学に入り、思春期を迎えると、息子は何やら妙にシャイで取っ付きにくい少年と化してしまった。あんなに無邪気だった腕白坊主に、一体、何があったのか。学校でイジメにでも遭ってやしないかと心配したりもしたが、それ以上に、我が子に対してかくも戸惑っている自分に、私は途轍もない戸惑いを感じてしまったのであった。無口な息子を前にすると、どうしても、こちらまでよそよそしくなってしまい、そんな父の雰囲気を察してか、息子はますます居心地悪そうになる。親子関係とは、先天的に永久保証されている数少ない絆かと思いきや、個人個人の態度ひとつでこれほどまでに安々と揺らぐものなのかと。いや、かくも安々と揺らぐ己れのどこかに欠陥があるのではないかと。懊悩は尽きないのであった。

 むしろ手慣れた妻と二人きりの方が息子には快適なのだろうと、卑屈にもどこかでそんなふうに思ってしまった。

 かくして私は妻と息子を二人きりで由布院温泉に送り出した。

 仕事が忙しいのも事実ではあったが、少し無理をすれば調整出来たのも事実である。敢えて無理をしなかった。私は遅れて広島の私の実家で合流し、祖父母らと共にお盆休みを過ごす形でお茶を濁した。

 ちゃんと息子の目を見て話せないダメな父である。 

「今年はお仕事休んで、家族旅行に参加して頂戴」

 と妻が言う。

「そうだなあ。じゃあ、太郎(仮名)が期末試験で、平均80点以上取ったら、俺はどんなことがあっても沖縄に行くよ。会社を退職してでも行くよ」

「そんなの無理よ」 妻がピシャリと言い返す。

 確かに本人の学力からすれば、あまりにも高すぎるハードルだった。期末試験はもう来週に迫っていた。

「会社辞めるなんて、そんなこと言わないで」

「冗談ですよ、冗談」

「冗談でも言っちゃ駄目」

 妻の言葉は厳しい。しかしその通りだ。そして家族としっかり向き合えない私の言葉は、何を言っても薄っぺらいのであった。

 息子が自分の部屋に戻ると、妻が言った。

「なんかあの子、新しい変化球を覚えたんだって」

「おお、そうか。なんだろう」

「なんとかって言ってたけど、忘れちゃった」

「ちゃんと覚えといてやれよ。じゃあ、明日の朝、駒沢公園で見せて貰うか」

「沖縄に行ったら披露してくれるんだって」

「ええ? じゃあ、ますます仕事入れられないなあ」

「ちゃんと守ってよ。働き方改革」

「ほんとだよ。ブラック過ぎるんだよウチは」

「あなたが休まないと、下の人たちも休めないでしょ?」

「そうだよなあ。まあでも、今年は大丈夫さ。今やってる企画も順調だしな」

 しかし、翌日、そんな展望に暗雲が立ち込める事態が起きた。

 企画を却下したはずのA社が不意に再検討したいと言い出したのである。有名俳優が逮捕される事件があり、きっと関わっていた他の企画が飛んだに違いない。A社の社長から直々に弊社の新社長に連絡があり、検討させて欲しいと頭を下げたというのである。社長は大喜びである。鬼の首でも、もぎ取ったような機嫌の良さだ。私は至急B社の担当に連絡し、状況が変わってしまったと平謝りに謝り、どうにか納得して貰った。A社が検討する為の資料も至急用意しなければならないが、人手が足りない。部下のひとりが早めの夏休みを取ってしまっていたのが痛かった。日々の業務を止めるわけにもゆかず、結局、自分の手で片を付けるしかなさそうだった。さすが業界トップを走るA社は、他社より遥かに細かいリストを要求してくる。けっこうな量だ。普段パソコン作業を部下任せにしていたツケがここで回ってくる。矢鱈に時間がかかって仕方がない。しかしここは父の頑張り所だ。沖縄旅行を妻と息子だけで行かせては、私はいよいよ一家の大黒柱失格である。なんとしてでもやり遂げてやる。

 その日から私は、会社近くのビジネスホテルに寝泊まりしながら、昼も夜も作業に明け暮れた。人間その気でやればどうにかなるものだ。二日目で、パソコンの扱いにすっかり慣れた。やってみたら、そんなに難しくないじゃないか。こんなことなら、もっと若い頃に触っておけばよかった。完全な食わず嫌いだった。

 ペースを掴めば作業も楽しい。徹夜も楽しい。そんな風に思えたのも束の間で、体力の限界はあっという間にやって来た。眠くて眠くて、どうにも起きていられない。こうなると効率は下がる一方だ。部下たちから大丈夫かと度々声を掛けられた。トイレで鏡を見ると、目の下に隈が出来ている。

 メタボ気味の体にはダイエット効果はあったに違いない。

 ビジネスホテルの部屋に飛び込んで、少し仮眠しては、社に戻り、ということを繰り返し、後半は早めの夏休みを終えた部下の援護もあって、どうにか沖縄の海に手が届きそうな、作業の終わりが見えてきたある午後、妻から電話が掛かってきた。学校に呼び出されて、今帰って来たところだという。

「今日はちゃんと帰ってきて」

「何があったの?」

「帰って来たら話す」

 そう言われては、帰らざるを得ない。私は作業を部下に託して、世田谷の自宅に戻った。出迎えた妻の顔色は悪かった。息子は部屋から出て来ないという。

 妻は私をダイニングテーブルに座らせ、駆けつけ一杯、麦茶を一気飲みさせ、二杯目を注ぎながらこう言った。

「カンニングしちゃったのよ、あの子」

「え?‥‥あいつが?」

「いくらなんでも、バカよ。バカすぎよ」

 そう言って妻は予てよりテーブルに転がっていた消しゴムをつまむと、私の前に置いた。手に取ってみた。呆れた。いや、感服した。

「あいつが作ったのか、これ。凄いな」

「感心してる場合じゃないでしょ」

 そうは言われても、先ずは感心させて欲しい。それは消しゴムのようで消しゴムではなかった。紙を裁断し、角を削り、消しゴムを模した小さなノートだった。捲ってみると、細かな文字が、びっしり書き連ねられている。その紙を本物の消しゴムのカバーが束ねている。その上に輪ゴムが二重に巻かれている。

「よくもこんなものを」

「そんなもの作る時間があるんだったら、覚えた方が早くない?」

「確かに。しかし、試験官もよくこれを見破ったな?」

「輪ゴム外してみて」

 言われるままに、輪ゴムを外すと、メーカー名が記されたカバーが緩んだ。ちゃんと固定されていない。

「テスト中にその外側のが、壊れちゃったのよ」

 いったん緩むと、その紙の消しゴムは、消しゴムの姿を留めていてはくれない。なんとかまとめようと苦心したが、無理だった。テーブルの上に紙切れが散らばる。

「窓が開いててね。教室の。風に飛ばされて舞い飛んじゃったらしいから。それ」

 その光景を思い描き、思わず私は吹き出してしまった。妻も釣られて笑い出した。

「あなたが変な課題出したからよ」

「え? なんだっけ?」

「平均点80点以上って言ったじゃない」

 確かにそんなことを言ってしまった、あの場面を想い出す。

「え?‥‥俺のせい?」

「なんとか80点以上取りたかったんじゃない?」

「そういうこと?」

「一緒に沖縄に行きたかったんじゃない?」

「‥‥そういうこと」

 私はテーブルに散らばった紙切れを改めて一枚ずつ指でつまんで眺めた。そこに書き連ねられた細かな文字が、無口なあいつが一生懸命書いたその文字が、その一枚一枚が、何やら息子が私に宛てた手紙のように思えてきて、泣けてきた。

 そんな私を見て、妻も涙ぐむ。

「あ、新しい変化球、シンカーだって」と妻が言う。「どんな球?」

「曲がりながら落ちるやつだ」

 翌日、出社すると、部下が既に資料を綺麗に仕上げてくれていた。私はそれを持って、A社を訪ね、例の若い担当に手渡した。若い担当もこの時ばかりは申し訳なさそうである。お手数お掛けしました、と言って深々と頭を垂れる。

 数日後、その若い担当から連絡が入り、上司といろいろ審査した結果、残念ながら今回は見送りだという。理由を訊くと、こんな返事が返ってきた。

「ウチ向きの企画じゃない」

 なんという徒労。脱力した。社長に報告すると、怒り心頭、だから最初からB社でよかったんだ。全部お前のせいだ、と怒鳴られた。仕方がない。おっしゃるとおり、何もかもわたくしのせいだ。この企画も息子のカンニングも。私は急ぎB社の担当に連絡し、なんとか今から改めて検討して頂けないかと頭を下げた。B社の担当は優しい男で、嫌味のひとつも言わずに、最初から待ってた企画ですからと、快く引き受けてくれたが、大変だったのはまさにそれからだった。A社に振り回された時間の巻き返しに忙殺され、残念ながら、私だけ沖縄には行けず終い。またしても広島の実家で合流する羽目となった。

 父親失格、である。

 息子はそんな父とキャッチボールをしてくれた。実家近く、私がかつて通った小学校のグラウンドで。シャアシャアと鳴く懐かしい蝉の声は、東京界隈ではなかなか出会わないクマゼミだろうか。子供時代、その真夏、白いボールを追いかけながら、耳にしていたこの懐かしい周波数帯‥‥。今日は久しぶりに息子と汗だくになってやろう。

 息子のシンカーはそんなに曲がってはいなかったが、何年ぶりかに受けたボールは驚くほど速かった。

「ナイスボール!」

 私はそう叫びながら、息子に返球する。息子は投球フォームに入り、投げる。次の球はシンカーではなく、まっすぐだ。こんな速い球を。いつの間に投げるようになったのか。ボールはシュゥゥと音を立てて私のグローブに飛び込んで来て、そしてさらに気持ちのいい音を鳴らす。その瞬間、何故か私は、実際には見ていない、あの光景を想い出す。

 教室を舞い飛んだ消しゴムの紙吹雪を。 

 あの消しゴムは私の職場のデスクの引き出しの中に今もある。

 私の宝物である。

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