SUMMER#03

封印箪笥

綿矢りさ

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 授業のあとで教材を片づけてる松尾さんに、いつものように手伝うふりして話しかけ、共通点が無いなりになんとか会話をつなげてたら、趣味の話になったとたん彼の口がなめらかに動き出した。

「古物集めが好きなんだ。子どものころは全然興味なかったんだけど、三十を超えたあたりから新品より一度人の手に渡ったものや、古い時代に作られたものに目が行くようになってね。中古品の方が肌になじむっていうか、人でも物でもそうだけど、初対面でもうお互いが疲れてくたびれてるぐらいの関係の方が落ち着くんだ」

「分かる気がします、私もそういうタイプかも。古いものって良いですよね。高校生の頃に古着屋に行くのにハマってて、昔のアメリカのTシャツとかいっぱい買ってました」

「分かってもらえて良かった。昔は包装紙を開く昂揚感や、中から出てくるぴかぴかでまっさらな光沢に心が躍ったものだけど、今はトップバッターで消費する役目は、なんだか荷が重いんだ。さらの服を着ているときに、たとえばソースを引っかけたりすると、なんか申し訳ない気がするっていうか。前の持ち主が少し汚しているくらいの方が、気が楽なんだ」

「あはは、その気持ち良く分かります。お気に入りの真っ白なシャツとかにシミがついたら、もう一日中落ち込みますもんね。もしかして松尾さんてアンティークとかそういうのたくさん持ってるんですか? すごい見たいかもしれない」

「たくさんかどうかは分からないけど、確かにうちは古いものは多いよ」

「行ってみたいな! 私ほんと、そういうのに興味あって。あ、でもおうちにあんまり人を招ぶタイプじゃないってこの前仰ってましたよね。やっぱりダメですよね……?」

「いいよ。うちは大学から一駅だし、わりとすぐ着くよ」

 やった! 家に行きたいアピールは今までに何度かしてきたけど、その都度やんわり断られてたから、今回も無理かなと思ったのに、初めてOKがもらえた。授業が終わって教授も学生も帰った教室に居残って、松尾さんに話しかけるタイミングをしぶとく狙い続けてて良かった。もしかして今日は松尾さんも私をお持ち帰りする気満々だった? 立場上、学生の私と仲良くなるのを迷ってたみたいだけど、ついに決心してくれたのかも! 

「どうぞ、入って。狭いけど」

「おじゃましまーす。片付いててキレイ、すごい。ほんとにレトロな雰囲気の部屋ですね! もしかしてこのほうきでおそうじしてるんですか?」

「うん、棕櫚ほうきは穂先がやわらかくて、室内用に向いているからね」

 穂先をよく見えるようにするためか、松尾さんは玄関先にあったほうきを逆さまにして壁に立てかけてくれたけど、本当は私はほうきなんか興味ない。

 私がこの部屋で興味のある古いものといえば、十歳以上年上なのは確実の松尾さんだけで、痩せた喉にくっきり浮かぶ喉仏や、手の甲に浮き出る血管、伏し目がちに見えるラクダみたいな長いまつ毛なんかを、同年代の男子とはまた違う味があるなと思いつつ眺めている。

 良い雰囲気に持ち込めそうなソファとかないかな、と部屋を見回してみても、きれいに整理整頓されているけど、古臭いものしかない彼の部屋には色気のあるものは一つも見当たらない。まぁ彼女もいなさそうだからラッキーってことでいいか。

 もし夜まで居座ることができたとしても、ベッド無いし布団は嫌だから、今日泊まるのはナシかな。でも今日中に終えて既成事実作っといた方が、こういう真面目なタイプは後々攻略しやすいかも。

「お茶ぐらいしかないんだけど、飲む?」

「あ、いただきます、ありがとうございます!」

 お茶をテーブルに置くときにこっちを見てちょっと微笑まれて、落ちた。

 あー、もう布団でいいです、松尾さん。至近距離で見ても、横顔綺麗で物憂げで、鼻柱が真ん中でちょっと盛り上がってる思慮深そうな鷲鼻が、すごい私好み。長い指で髪の毛くしゃっとされたい。

 出てきたお茶は沸かしたばかりで、おばあちゃんちでしか見たことのない分厚くて重い湯呑みに入っていた。なんで真夏に冷やしてない方のが出てくるわけ? 熱い飲み物入れるのに取っ手つけないって、湯呑み最初に作った人は何考えてるの? がんばって持って飲んでも、指と舌はやけどしそうだし、汗がふき出る。メイクがくずれたら困るから、三口くらい飲んだあと、さりげなくテーブルの上に戻した。

「お茶受けぐらい出したいんだけど、それも無くて。お腹減っていたら、お茶漬けは用意できるけど」

「大丈夫です、おかまいなく」

 お茶漬けって、冗談でしょ。ちょっと引くけど、でもこういうタイプは遠慮してたら何も始まらないから、ある程度強めに押して、どんどん距離を詰めていかなきゃ永遠にただの知り合いのままだ。

 うちの大学には松尾さんに憧れてるのに近づけなくて、遠目から眺めているだけの女子がいっぱいいる。もし私が松尾さんの彼女になったら、同じゼミの子がどれだけ驚くか、羨ましがるかのリアクションを想像しただけで顔がニヤけてきた。彼女たちが「松尾さんて恋人いるのかなぁ」なんて噂をしてるのを、私は何食わぬ顔で聞いていたけど、周りにバレずに行動して落とす計画を、すでにそのとき立てていた。

 付き合うまでいかなくても、松尾さんの家に上がり込んだことを話すだけでも、十分驚かれそうだ。部屋で2ショットの写真を撮りたかったけど、ぐっと我慢。ゼミの子たちが私のこと、あざといとか、顔は童顔なのに中身はやり手ばばあで、金持ちやイケメンの男を漁ってギラギラしてるって悪口言ってるのは知ってる。でも私は松尾さんみたいな、インテリだけど天然タイプの良さも分かるし、そんな一癖ある年上の男性に好かれるのも得意だ。松尾さんを手に入れて、あの子たちを見返してやりたい。

「松尾さんのインテリアのこだわり、もっと詳しく聞きたいな! 古物集めが趣味なのは、ご自身の歴史社会学研究に関わってるんですか?」

「いや、これは完全に趣味だね。古物のなかでも一筋縄じゃいかない、“これまでに、一体何があったんだろう”と想像してしまうような、迫力ある面構えの物が好きなんだ。経歴を聞きたくても、物は語れない。でも、それが良いんだよ。過去の痕跡を、傷や磨耗にそっと残して寡黙に佇む姿に、情緒を感じるんだ」

「分かります! なんかこう、古いものって今のサステナブルな時代だからこそ大事にしてかなきゃいけないですよね」

「うん、現代の雰囲気になじまない物は捨てられがちだけど、その違和感も込みで愛でていければと思うよ。僕が好きな昭和やそれより昔のデザインは、イラストや紋様が多用されていて、使われている色の数も多いんだよね。今は洗練された明るい印象のデザインが主流だから、その時代の細密な模様は複雑すぎて、おどろおどろしい印象を与えるものもあるね」

「へえー、ナイス鑑識眼ですね」

 てきとうに相槌を打ちながら、対面に座ってる松尾さんの細部を観察する。

 松尾さんの首のシワ、やせすぎのせいと思ってたけど、加齢のせいかも。これぐらい近くで見て初めて気づいた。付き合ってきた人とかバイト先での人を見てると、大体27歳から34歳くらいまでが一番かっこいい。松尾さんは多分33歳くらい? だったら旬はあと1年くらいかも、なんとか今年中に付き合いたいな。

「普遍的な美の宿る品はもちろん素晴らしいけど、現代人の感性だと不気味だとかケバケバしく感じそうな物も、タイムスリップ感が面白いんだよね。妙に大人びた笑顔の子どもが描かれた昔の冊子とか、奇抜な配色の古布なんかも、見つけると、つい買ってしまう」

 いつもより少しおしゃべりな松尾さん、自分のパーソナルスペースに私が入ってきたことに内心ドキドキしてるんだろう。おもてなしする立場として、気まずくならないよう、会話が途切れない配慮をしてくれてる。でも口下手のせいか、ずっと古物の話題しか出てこない。可愛い。

「流れる時の年月に洗練されたものって、味わい深くていいですよね」

「そうなんだ。部屋着のためのTシャツは、自分と同年代の、80年代の古着を集めてる。なんでかっていうと袖を通すときに、すり減った生地や当時の懐かしいキャラクターの絵柄を見たりすると、同い年としての親近感がわくからなんだ。古着を購入したときは、洗うときに手縫いの補修跡を探すのが癖になってる。着るときに負荷のかかる、首回りやアームのつなぎ目の部分に丁寧な補修跡を見つけると、大切に着られ続けてきたんだなってうれしくなる」

「いいな、ほっこりするエピソードですね。なんでも捨てるファストファッションは環境にも良くないから、最近流行りの考え方とも合っててかっこいいな」

「ありがとう。僕は中古の服でも家具でも、ハウスダストのアレルギー持ちなこともあって、できる限り水洗いするようにしているんだ。洗ったら著しく風合いが変わりそうな物は、拭くだけにしたり、クリーニングに出したりするけど、基本は丸洗いする。爽快だからね。小さいものは風呂場、大きいのはアパートの庭で水洗いするんだ」

 話題を変えたいけど上手く隙間が見つけられなくて、モヤモヤする。普通はこっちがこの話飽きてるって気づくもんだけどな。便利なさしすせその相槌で、とりあえず流しとこ。

「畳む前の洗濯物を入れてる木製の桶を買ったときも、庭でホースを使って、水洗いしてから部屋に入れた。中国の家具も好きだけど、透かし彫りの埃は細かすぎて拭くだけでは取れないから、シャワーをかけるんだ。今のところ、カビたり塗装が剥がれたりもなくて、見た目も変わらず普通に使えているよ」

「さすがですね! 思いきりの良さ、見習いたいです」

「この前買った古い飾り棚には、持ち主の名前と購入したと思われる日付が書いてあった。墨の毛筆で書かれたせいか、筆跡がより生々しかった」

 松尾さんは中の置物をどかして、本が5冊くらい入りそうな飾り棚をわざわざ持ってきて、私に見せた。

「この“トキ”という方は多分もうこの世にはいないんだろうなと思うと、トキさんの愛用品が巡り巡って全く関係のない僕の手の中にある現実が不思議でね。今よりもっと物が貴重な時代だったから、窃盗の予防や、所有できる喜びも兼ねて名前を書いたんだろうな」

 どこの誰かも分からない、トキばあさんの遺品なんて、私なら絶対使いたくないけどな。

「しらなかった! 昔の人の知恵ですね。持ち物に名前書くなんて、子どもみたいで可愛い」

 でも私の方がもっと可愛いでしょ? 足がだるくなったふりをして、少しお行儀悪く、両脚を持ち上げて足の裏を椅子の座面へ置く。ネイルサロンでライラックピンクに仕上げたペディキュアが、きらきら輝いているのを見てほしい。褒めてほしいとまでは思わない。でも一瞬でも彼の視界に入ったら、爪先までおしゃれの行き届いてる子という印象で、ポイントアップできるかも。ヘアサロンでトリートメントしたばかりの髪も、さりげなく一方向にまとめて肩の前に出し、うるつやな毛流れを見せつける。こんな可愛い子を前にして、いつまで古臭いものの話をしてるつもり?

「たいしたことない思い出だけど、昭和時代の赤いちゃんちゃんこを洗ったときの風呂場は凄絶だったな。売られる前、長い間箪笥にしまってあったせいか、樟脳の匂いが生々しくて、シャワーをかけたときの色落ちの凄まじさにも目を見張ったよ」

「すごいですね、赤いちゃんちゃんこって! 還暦みたいじゃないですか。笑える」

「ちがうよ、怪談の方だ。子どものころ好きだったある怪談を思い出して、欲しくなった。学校のトイレにいるときに“赤いちゃんちゃんこ着せたろか”って声が、どこからともなく何度も聞こえてくるから “じゃあ着せてみろ”って答えたら、鎌で皮膚を裂かれて吹き出た血が、まるで赤いちゃんちゃんこを着てるように見えるっていうあの話。実際に洗ってると、何度濯いでも風呂場は赤く染まるし、ちゃんちゃんこは濡れてますます朱が艶めく。なんとか洗いに区切りをつけ、濡れてずっしり重いまま浴室の物干しに掛けたら、布から血のように赤い水が滴り落ちて、さすがにぞっとしたよ。横溝正史の小説に出てくる、猟奇殺人事件の犯行現場のような雰囲気だった」

「センス最高ですね、その喩え方」

 一人で風呂場でちゃんちゃんこを洗ってるなんて、さすがに引く。汗だくで赤い飛沫を顔に浴びながら洗ってる姿を想像したら、恋心がしぼんでいくのが分かった。物静かで控えめで、教授に何か言われる前に準備はちゃんと済ませてる、気の利くところが大人っぽくて良いなと思っていたけど、松尾さんの私生活は想像と違った。こんな路線のミステリアスを、求めていたわけじゃない。

 もしかして松尾さんの後ろに掛けてあるこんもりした赤黒い布のかたまり、あれが赤いちゃんちゃんこ? 初めは綿入りの膝掛けに見えて、夏なのに暑苦しいなと一瞬思ったけど間違ってた。その布は長老なせいか存在感がすごくて、無視しようと思ったけど視界に入ってくる。

 そういえば外は快晴のはずなのに、この部屋はなんでこんなに薄暗いんだろう。窓もあるのに陽当たりが悪いせいで、ほとんど日光が入ってこない。

「松尾さんって、大学生のときはどんな感じだったんですか? うちの大学の卒業生だったんですよね、彼女とかいました?」

「つまらないから、そんな話はやめよう。それより夏に購入して思い出深かったのは、古い団扇だね。昔の商店が配っていたらしく、裏面に店の名前、表面に着物姿の女性が描かれてた。一応、商店の名前を検索してみたら、もう存在はしないけどどこの地方にあった店かまでは分かったよ。竹の持ち手や骨組み、丁寧な絵付けでなかなか上等そうな団扇だった。地元の盆踊り大会なんかで、誰かが浴衣の帯の後ろに差したりしていたかもと、扇ぎながら妄想したよ」

「そうなんですか! でもなんか分かる気がするなぁ。そういえば私、もうすぐお友達とお祭りに行くんですけど、浴衣の色で迷ってて。何色が似合うと思います?」

「てきとうでいいんじゃない? 他には年代ものの時計がどうしても欲しくて、色々探すうちに気になる品を見つけたけれど、古時計を日常使いできる腕前は無いから、やめたよ。針が止まったり、少しずつずれていって正確でない時刻を示したりしても、自分の性格だと長い間気づけなさそうだ」

「あー……。いや、しっかりしてそうだし、大丈夫じゃないですか」

 だめだ。「さしすせそ」の相槌、使い切っちゃって、もう続かない。

「とんでもないよ。でもね、ずっと欲しいと思いつつ、長らく未購入だったのは、実は時代箪笥なんだ。飾り金具のたくさんついた、どっしりした時代箪笥は故郷の京都ではあまり見かけなかったから、余計新鮮だった。緻密な彫りの唐草や牡丹、蝶の丸金具や鉄製の引き手なんかが装飾された、重厚な佇まいには痺れるね。朱塗りや赤みを帯びた紫檀で作られた、古い時代箪笥に魅かれる。あらゆる家具のなかでも、箪笥は妖気を帯びやすいんだ。特に時代箪笥のものものしさは異彩を放ってる。四方に釘で打ち付けられた鉄製の金具や鍵穴が、どこか『牢』を連想させるからかもしれない。引き出しの奥に秘密戸棚を隠しているからくり箪笥や、火事が起きたときに大事な金庫代わりとして外に運び出すこともできる、車輪のついた車箪笥なんかも、なんだかワクワクするよ。衣類や貴重品以外にも、長い年月の澱でできた、得体の知れない存在も吸い取り、一緒に封印していそうな佇まいで……」

 さらに勢いを増して語り始めた、カンベンして。うー、でもやっぱり生き生き話して目が輝きだしてきた顔は、ちょっとコワイけど好みだし、もう少しだけねばるかな?

「夜中僕がトイレに起きたときに前を通りかかって、何気なく箪笥の方を見るんだ。すると上から二段目の引き出しから、ぞろりと長い黒髪がはみ出ているんだね。僕は声も出せずに立ち尽くすんだけど、気配に気づいたのか髪の毛はまるで箪笥に食われた蕎麦みたいに、ずるっと一瞬で中へ吸い込まれてしまうんだ。僕はとても恐いけど、もし泥棒だったら通報しなきゃいけない。勇気をふり絞って箪笥に近づき、引き出しを開け、すると中には……誰もいない。いつも通り、僕の下着だけが入ってる」

 なんか稲川淳二さんみたいな話が始まり、私は咳払いしたけど、松尾さんはやめる気配もなく、一点を見据えながら喋り続ける。

「なんだ見間違いかと思ってどっと安心して、引き出しを閉めるわけだけど、恐怖で身体が氷みたいに冷えてる。寝る前に何か羽織るものを取ろうと三番目の引き出しを開けると、黒髪が中でうねって渦を作ってる。その中央で髪の間から女が僕を睨んでるんだ」

「……わー……」

「“封印箪笥”、どうかな。この妄想をいつか実現したいって僕はいつも思ってるんだ」

 どうかな、って言われても。怪談で恐がらせて気を引きたいとか? だとしたらすごい失敗してるんだけど。「そんな妄想してるなんて、なんか松尾さんの方がコワイ」

 思わずもれた私の本音に松尾さんはゆっくりと首を振った。

「君の方が恐がるのはルール違反だ、怪異を欲してる僕は、怯える側でいたい。ただ時々思うんだ、歴史を背負った古物と邪気を纏う人物が揃えば、箪笥の中に瘴気が溜まって、あり得ないはずの奇怪な現象も起こり得るんじゃないかって。禁断かもしれないけど、どうしても実現してみたいことって、君にはある?」

 松尾さんが私の肩にかかる髪をちらっと見た気がした。嬉しいはずなのに、落ち着かない。

「君って身長はどのくらい?」

「あ、155㎝です」

「そうなんだ。もっと高く見えるのに、意外と小さいね。よかった」

「よく言われます」

 よかった? 今初めて私がこの部屋に現れたみたいに、ようやく私に興味を示して、上から下までザッと素早く眺めたけど、期待していた視線じゃなくて、何か……測っているみたい。

 収まるかどうか?

 まさか。気味悪く思う気持ちを押し隠して、私は無理やり笑顔を作った。

「松尾さんがそんなに欲しいなら、早く良い箪笥が見つかるといいですね」

 決めた、今日はもう撤退だ。明るくてキラキラした新しい恋のモノガタリを始めるつもりだったのに、今は身の危険さえ感じる。

「ああ、それがね、つい最近ようやく買って、届いたんだよ! 君の後ろにある」びくりとして、こわごわ後ろを向くと、さっき松尾さんが話していた通りの古風な箪笥が、私を待ち構えるかのように立っている。「本当にぎりぎりのスペースに配置するつもりだったから、ちゃんと収まるか、ずっと心配していたんだ。でも出品者が正確に採寸してくれたみたいで、ぴったり収まった。メルカリで見つけたんだ。あそこで自分好みの中古品を探してね、手に入れた。君は使ったことある?」

「そうですね、何回か。靴とか小さいものだけですが」

「家具を買うのもおすすめだよ、良い状態のものが多い。出品しやすくて、引っ越しや遺品整理のために、あまりこだわらずにサッサと売っぱらう人も多いから、掘り出し物があって面白いよ。オークションサイトみたいに値段がつり上がるわけでもないし」

「あの、私そろそろ」

「僕の時代箪笥をもっとよく見て! 聞いてよ、届いてから気づいたけど、想像よりも箪笥が若かったんだ、その点は失望した。購入前にもっと詳しく質問しておくべきだった。焦ってるんだ、早く僕好みに仕立て上げないと。夜中に引き出しから長い黒髪がはみ出すぐらいまで。ちょっと箪笥の中も一緒に覗こうか」

「やめときます!」

 表情の無い瞳で私を眺める松尾さんから逃げたくて、立ち上がり玄関まで走る。もたもたしてるうちに手が伸びてきて後ろ首を掴まれそうな気がして、靴もちゃんと履かずにドアを開けて外へ飛び出した。

「やっと帰った……」

 ドアが閉まる前、そんな呟きが中から聞こえた気がした。

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