バタクランを越えて

金原ひとみ

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 そのTシャツ、そろそろ捨てどきじゃない?
 言いながら彼が着たTシャツを指差すと、ドライヤーの音で聞き取れなかったのか不思議そうな顔で「うん?」と彼は首を傾げる。「それ、首元も伸びてるし色褪せてるし、捨てどきじゃない?」
 ちょうど冷風を当て終えたドライヤーをオフにして言うと、彼はこぼしたケチャップを見下ろすように下を向いた。困ったような表情が、さらにケチャップをこぼした人感を強めている。
「これはトリップスのヨーロッパツアー限定Tシャツだから、日本ではもう中古でも手に入らないんだよ」
「これトリップスのなの? なんかデザインがトリップスっぽくないね。何年の?」
「二〇一四年。ヨーロッパツアー一発目がパリで、トリアノンとバタクランで二回観たんだよ。十月二十三日と、十月二十七日」
「日程まで覚えてるの?」
「自分が好きなバンドのライブ見に行ったの、あれが初めてだったから」
 二〇一四年か、と当時の自分と彼の年齢を逆算していると、「初めて買ったバンTだし」と彼がプリント部分を撫でながら言う。
「え、初めて買ったバンTなの? それじゃ捨てられないね」
「初めて買ったバンTなら捨てなくていいの?」
「初めてのバンTは、ちょっと特別だよね。バンドが好きなら音楽聴いてればいいのに、グッズのタオルとかTシャツが欲しいって、よく考えたら変な欲望じゃん? あれって、好きが爆発して訳分かんなくなる瞬間だと思うんだよ。記念すべき初めての爆発は、大切にしないと」
 好きが爆発かと笑いながらハーフパンツを穿いた彼は、確かにアイサックのグッズとかダサいもんなー、あんなダサいTシャツ着て皆が泣いたり絶叫したりダイブしたりしてるの、外野から見たらウケるよねと呟いて、ドライヤーを持って洗面所に戻った。私は自分が初めて買ったバンTを頭に浮かべ、さらにそのバンドの解散が決まった時のことを思い出し、胸に大きな石を感じながらアイロンで髪を伸ばしていく。あの解散を知った時叩き落とされた大きな石は今も下腹部に重たく沈み、時折喉元までせり上がってきて息が吸えなくなる。まだ大好きなバンドの解散を経験したことのない彼に、そんな思いを一度もせずに死んでいってもらいたいと勝手な願いを抱く。

「ていうか俺誘ったよ」
 え、何? 乾かした猫っ毛に手櫛を入れながら戻ってきた彼に聞き返すと、誘ったの覚えてない? バタクラン公演。と彼が付け加える。
「ああ、トリップスのライブだったけ?」
 パリで知り合って数ヶ月経った頃、ライブに行かないかという彼の誘いを、私は忙しすぎて検討もせず断ったのだ。今は、いっぱい一緒にライブに行けるようになって良かったねと言うと、彼は複雑な思いをかき消すようにそうだねと微笑んだ。
 ベッドに入ると、彼のTシャツに手を這わせる。いつかトリアノン、そしてバタクランで汗だくになったTシャツが、今ここにあるのだという事実が何となくフィクションのように感じられる。そして、あの時無下に断った誘いの延長線上で私たちがここで一緒にいるということも、どこか非現実的に感じられる。何となくそわそわして腕枕をしている彼を見上げるけれど、彼はもう眠りについているのかつき始めているのか、目を閉じたまま深く息をしている。

 あの日、パンテオンの図書館で閉館時間まで勉強をしていた私は、メトロで帰路についた。書き込みと付箋でぐちゃぐちゃになったテキストを隣の老婦人が指差し、「本は丁寧に扱うべきよ」と余計なお世話を口にしたことにイラっとして、肩を竦めるとブッと口を鳴らした。さすがにどうなのと思っていたフランス人がよくやる子供っぽい仕草を、いつのまにか身につけてしまっていた。
 オーブンで焼いた味気ない冷凍ピザをテキスト片手に食べながら、フランス語習得のためいつも御飯時に流していたFRANCEinfoというラジオのニュースに何度か耳を疑いつつ、Twitterを開くと“attentat(テロ)”で検索した。瞬く間にパトカーや救急車のサイレンの音が鳴り響き、非日常が襲ってきた。屋根裏の狭い部屋に一人きりの私は、食べかけのピザを放り出したまま、ネット上に流れるバタクランやスタジアム、銃撃のあったカフェ周辺で撮られた動画を何時間も見つめていた。モザイクのない動画はあまりにショッキングで、私は時折スマホを手で覆った。身近な場所で多くの人が死に、今も死にかけている、という事実が、やけにスムーズに頭に入ってくるのが恐ろしかった。
 朝起きると、家族、友人、長期休業扱いになっている会社の同僚、パリに留学すると連絡して以来疎遠になっていた人たちから安否確認のメールが、パリで知り合った語学学校や大学の友達らも、ちゃんと家に帰れたか、もし近くにいたらうちにおいでなどとSMSを入れてくれていた。
「不安だったらお金出すから帰っておいで。数日とか一週間でも、状況が落ち着くまででもいいから」
 父親からのLINEが沁みた。課題の締め切りが迫ってなければ、あの時私は日本に帰り、なし崩し的に留学を切り上げていたかもしれない。私はささくれだった気持ちのまま一瞬だけ自分を満たした安心感に背を向けるように「課題があるから」と返信した。始めた以上やり遂げなければならなかった。在仏邦人、いや、あそこにいた異邦人のほとんどがやるべきことをやり遂げるためにそこに来ていて、帰ることすら考えられなかったはずだ。
 翌週、私は同じ学部のティナの誕生日パーティに呼ばれていた。悩んだ挙句、半ば投げやりな気持ちで赴いたけれど、皆予想以上に普通だった。テロの話になると顔を歪め、首を振って嘆きつつ、好きな曲が流れれば踊り、歓声を上げた。
 日常は続いていくと思いたかった。あるいは、テロになんて負けないと己を奮い立たせたかった。それでいて、誰かと一緒にいたかった。パーティは、むしろ一人暮らしの学生たちにとって都合が良かったのかもしれない。ティナはイランから留学している若者で、私が授業を受けているだけで緊張してしまうくらい高名な先生の授業でも次から次へと質問をぶつけ議論するようなレベルの高い学生だった。それでいて、学校の外では明るくノリが良かった。夜十一時を過ぎた頃、一人で帰ることに躊躇し始めた私は、泊まっていきなとティナに強く引き止められ、深夜三時まで踊り狂ってソファで眠った。
 十一月のパリは皆が厚手のコートを着るほどに寒く、日の出は八時と随分遅かった。まだ真っ暗だったけれどティナが目覚める前に帰ろうとコートとバッグを探していると、キッチンでコーヒーを淹れていたミシャが「飲む?」と声を掛けてきた。
「飲む」
 私に薄いブラックコーヒーを手渡したミシャが、大きな窓を開け放して欄干に寄りかかる。「その手すりちょっと低くない? なんか怖い」
「僕はテロの方が怖いよ」
「テロは皆怖いよ」
「ニノンって知ってる?」
「ティナの友達の?」
「彼女死んだんだ」
 うそ、と思わず日本語で言ったきり言葉が出なくなって黙り込む。ニノンとティナは同じイラン出身で、語学学校で知り合ったと話していた。大学の学部は違うけれど、二人が一緒にいるところに遭遇して何度か話したことがあった。さっきまで踊り狂っていたティナの姿が蘇って、私は息苦しさを感じる。
「バタクランで?」
 そう、というミシャの言葉に相槌も打てないまま、心が枯渇し焼けていく気がして、慌ててコーヒーを飲み干し、バッグを肩に掛けながらまたねと言い残して玄関のドアを開けた瞬間、「帰らないよね? 日本」とミシャの声が背中に掛けられた。ノン。呟き、振り返る。
「課題がある」
 ミシャは笑って、「僕も」と言った。皆やるべきことがあって、ぐるりと世界が変わってしまったとさえ感じた悲劇すら飲み込んで、生きていかなければならない。そんなのあんまりだ。という憤りも、やらなければならないものに揉まれるうち己の身の内に重く沈んでいった。

 彼の声で目が覚める。昨日の夜愚痴っていた、注文書のエラーの修正について話しているようだった。うるさいなと思いつつうめき声を漏らさないよう気をつけながら目を開け、スマホを見つめる。十時だった。
「ごめんうるさかった?」
 ううん全然、と言いながらTwitterをスクロールしつつベッドから出ると、私もパソコンを起動させ新着メールをチェックしていく。
「ねえ、あのテロの時」
「ん?」
「パリの」
「ああ」
「あの時って、もう日本にいたんだっけ?」
「俺は日本だったよ。大丈夫? ってメールしたけど、まあ覚えてないか。ほんと、パリ時代のことは全然覚えてないね」
 あの時彼がどんな言葉を掛けてくれたのか読みたかったけれど、当時のスマホは酔っ払って羽目を外した時完全クラッシュしたから記録は残っていないはずだ。でもあの日、彼の言葉を受け取っていたのだということに、六年後の私はどこか安心していた。
「あっちでは日本の大学通ってた時の五十倍くらい机に向かってたからね」
「そういえば、あの机って捨てたの?」
あの机。考えて、マットホワイトの天板に、先細った脚のついた机を思い出す。

 よく見ていた在仏邦人向けのサイトに、邦人優遇の求人や、不動産情報、タウン情報などと並んで、「売ります買います」の掲示板があり、渡仏後足りないものをそこで買ったり譲り受けたりしてきた私は、「Conforamaのデスク三十ユーロで売ります。近所なら家の前までお届けできます。画像有り」という投稿に飛びつくように返信をした。家具付きの部屋にあったガタつく小さな飾りテーブルの脚に、畳んだ段ボールを挟んで使うストレスに耐えかねていたのだ。そしてデスクを届けにきたのが、高校生の彼だった。画像の印象よりも天板がごつく、これをエレベーターの通っていないアパルトマンの屋根裏部屋まで運ぶのは無理ではないだろうかと逡巡していると、彼は運びましょうかと控えめに提案し、二人でなんとかかんとか搬入した。
「もう使わないの?」
「はい。バカロレアも終わったし、来年から日本の大学行くんで」
「ご両親は使わないの?」
「使わないらしいです。売れたら小遣いにしていいって言われました」
「何か欲しいものとかあるの?」
「iPodを」
「iPod?」
「はい。今まだウォークマン使ってて」
「じゃあ運んでくれたお礼にiPodあげるよ」
 えっ、いやいいです、多分怒られるんで、と唐突に子供の表情を浮かべる彼に、iPhone買ってから使わなくなっちゃったし、傷ついてるし古いけどまだ全然使えるからと強めに言う。パソコンと繋ぎ初期化したiPodを渡すと、彼はiPodと三十ユーロを手に申し訳なさそうな顔のまま頭を深く下げて帰っていった。そしてそれからしばらくした頃、もし良かったらと唐突な感の否めないライブの誘いを受けたのだ。
 パリで彼に会ったのは二度きりで、二度目は彼が日本に行く直前に背の低い本棚いりませんかと聞いてきて、絶対欲しいと即答した時だった。床に本がたくさん積んであったなと思って、と言う彼に、本当にただでいいのと何度か聞くと、日本に行ったらSMS送れなくなっちゃうからメールアドレスを教えてくださいと言われ、付箋にアドレスを書いて渡した。
「あと一年で帰国って言ってましたよね」
「うん。休職してるから、タイムリミットはあと一年弱」
「日本帰ってきたら、東京案内してくれませんか?」
「いいよ。清々しい気持ちで案内できるように、勉強頑張らないと」
 泣いても笑ってもあと一年だった。一年でディプロムを取得できるのかどうか、何とも言えないところだった。課題はどんどん難解さを増し、あらゆる授業で度々発表をしなければならず、準備期間は常に吐き気に襲われていた。がむしゃらに次から次へとテストをこなす自分を、延々回り続けるすり減った黒いタイヤのように感じていた。複数の追試を受け、恐らく先生のお情け点がついてぎりぎり合格点に達しディプロムを獲得したことを知った時は、何だか泣くにも泣けず、笑うにも笑えず、ただ小さな声で「そうなのか」と呟くことしかできなかった。
 慌ただしく復職や引っ越しの日程を決め、帰国便のチケットを取ると、私は友人らに不用品リストを送った。色々な家庭からあらゆる物を譲り受けてきたからこの手のやり取りには慣れていたし、車を出してくれる友達もいたから、家具や家電を知り合いに優先的にあげ、次に掲示板で売りますとアナウンスを出し、売れ残ったものは「何物も捨てるべからず」精神のフランスだからなと、アパルトマン前の路上に置いておいた。まだ使える小型家電からガラクタのような物まで、昼に出して夕方にはほぼなくなっていて、なんで日本から持ってきたのか思い出せないツッパリ棒も翌日にはなくなっていた。拾った人はツッパリ棒の使い方が分かるだろうかと心配になったけれど、まあ思い思いに使ってくれればいいかと思い直した時、わだかまりの中に沈んでいた「本は丁寧に扱うべきよ」というあの日の老婦人の言葉を、ようやく受け止められた気がした。

「あの机は、知り合いの日仏カップルにあげたんだ」
「へえ」
「娘の机にしたいって言われて。まだ五歳くらいの子だったんだけど、その子、お父さんの車でうちに机取りに来た時、“Monbureau(私の机)!”って大喜びで。こんな大きな机まだまだ使えないだろうと思ってたけど、考えてみればその子もそろそろ中学生とかなんだよね」
「じゃあ、あの机で今も子供が勉強してるのか」
「帰国以来連絡取ってないから分かんないけど、多分ね」
 なんかすごいな。彼の感慨深げな声に思わず微笑む。あの机には、ほとんど傷がついていなかった。小学校に上がった頃から使っていたと聞き、全然勉強してなかったんじゃない? と茶化したのを覚えている。でも今は、彼がどんな物も丁寧に扱い、家のフローリングやクロスなんかにも傷一つつけずに生活する人だと知っている。日本で再会した時、まだ使ってますよとiPodをポケットから出して見せてくれた時も、それは彼の手に渡ってから一つも傷をつけられていないかのように見えた。
 ヤバい......慌てたように彼は言って「ちょっと打ち合わせね」とパソコンを指差しながらTシャツを脱ぎ、オープンカラーのシャツに着替えた。リモート会議に入室した彼は、パソコンに向かって短く挨拶をする。コロナの影響で今年新入社員を採らなかったこともあり、二年目の彼にはまだまだ新人っぽさが残る。私はメールの返信が一段落したところで立ち上がって伸びをすると、ベッドに横になる。復職後、休職して留学していたことを快く思わない人たちに冷笑的な態度を取られ、何となくもういいやとなって一度転職した。新しい職場は風通しが良く、コロナ禍では在宅をいち早く導入し、今では社屋の縮小移転が検討されている。彼が脱ぎ捨てたTシャツが手に触れ、思わず引き寄せる。クシャッとして口元に押し当てると彼の匂いがした。お昼ごはんに何を食べようか、彼の打ち合わせが終わったら相談しようと思う。
 私たちの人生は流動的で、その節々で個人や組織や国を越境しながら、劇的な事件と退屈な日々のせめぎ合いの中を生きている。トリアノン、バタクラン、日本のライブハウスやスタジアムを経て普段着となり寝巻きとなったTシャツを彼が捨てないこと、捨てる必要を感じていないことに、昨日とは正反対に、むしろ救われるような思いがする。本当は他者や物への思いを何一つ断ち切る必要などなく、むしろ全てを体内に沈めながらしか人は生きられないのかもしれない。Tシャツを口元に当てたままぼんやりしていると、パソコンの向こうから私を覗いた彼が苦笑していて、私はほとんど反射的に微笑み返した。

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