吉凶の行方

吉凶の行方

朝井リョウ

「あ、誰かポイントカード持ってる人いる?」
 私は、店の出入り口付近にいる3人――直未、文明、進太郎に声をかける。
「なんか今、ポイント5倍なんだって。4人分まとめてスタンプ押してもらったら結構貯まるんじゃん?」
 レジの前からそう呼びかける私に向かって、直未が「私持ってなーい」と欠伸をする。満腹になると眠たくなるのは誰だって同じだが、直未はそれが顕著だ。昼食のあとはいつも、顔が裏返るんじゃないかというくらいの欠伸をして涙を滲ませるので、私や文明はそのたび「涙、それ以上出てこないでー、頬を滑り落ちるのだけはやめてー、滑るとか落ちるとか縁起悪いのやめてー!」と、受験生ギャグで盛り上がらせてもらっている。
 塾の昼休み中に来たとんかつ専門店、センター試験を終えた2月のはじめ。この季節の高校3年生は、縁起の良し悪しに敏感だ。
「進太郎、前来たときこの店のポイントカード貰ってたよな?」
 小さな怪獣のように大口を開ける直未を指してけらけら笑っていた文明が、突然、進太郎のほうを向く。「ああ」進太郎は低い声でそう頷くと、どこかのんびりとした動作でコートのポケットから財布を取り出した。
「早く早く、次の人来ちゃったから」
 右隣に並ぶ客に「すみません」と頭を下げながら、私は左手で高速手招きをする。レジのお姉さんは温かい眼差しのままだが、「ポイントカードをお持ちでしょうか」と言ってしまったことを多少後悔しているに違いない。
 私の友達の直未の彼氏が文明で、文明の友達が進太郎。同じ塾に通っているうち、いつの間にかこの4人でよく昼食を摂るようになった。滑り止め、本命ともに受験まで全員がラストスパートの状態だ。昼休みくらい、ゲン担ぎのとんかつでも食べないとやってられない。
「ほいほい」
 進太郎からポイントカードを奪い取った文明が、私に素早く手渡してくれる。「じゃ、俺ら外で待ってるから」出入り口が混雑してきたらしい、3人は縮こまらせた体で冷たい冬の世界へと押し入っていく。
「これ、お願いします」
 私は、横に長い厚紙を二つに折ったタイプのポイントカードを、店員に渡した。大きいお札しか持っていなかったので私が代表して支払っているが、もちろん割り勘だ。
「お客様」二つ折りのポイントカードを開いた店員が、上目遣いでこちらを見る。「こちらカードに挟まっておりましたので、お返ししておきますね」
 店員から、小さく折りたたまれた紙が差し戻される。
「あ、すみません」
 レシートでも入り込んでいたのだろうか。軽快にスタンプを押していく店員の前で、私は、カードに挟まっていたらしい紙をなんとなく開いた。
   ◆
「縁起悪っ」
 思わずそう漏らす私とは対照的に、進太郎は掌の中の紙をじっと静かに見つめている。
 大凶。進太郎が引いたおみくじには、よりにもよってそんな2文字が記されていた。
「最悪じゃんこの時期に大凶引くとか。ていうか受験生がよく来る神社って自覚あんなら大凶とか入れんなし」
 私はそう言いながら、大吉と書かれた自分のおみくじを大切に握りしめた。願い事、信じれば叶う—よくある定型文でも、センター直前となると、とても心強く感じられる。
 年が明け、塾が始まる1月4日。私たち4人は、昼休みに近くの神社に初詣に行く約束をしていた。どうやらその神社には勉学の神様が祀られているらしく、この地域の受験生のパワースポットになっているというのだ。
 しかし、その日の朝になって、直未も文明も揃って体調を崩してしまったという連絡が届いた。この大事な時期にデートでもしてたんじゃないかと疑ったが、そんなはずもなく、それぞれどこかでウィルスを貰ってきてしまったらしい。【でも今のうちに風邪引いといてよかったかも! 優貴子も進太郎君も気をつけて〜】【気をつけて〜、でも俺ら2人の分のお守りも買ってきて〜】テンポよく更新されていくラインのメッセージを眺めながら、私は、てことは進太郎と2人で初詣に行くってことか、と思った。
 付き合っているカップルそれぞれの、友達。間に2人を挟まないで進太郎と会うことなんて、それまで一度もなかった。
「まあ、大凶でもどっかに結んじゃえば大丈夫だよ。縁起悪いもんでも、さっさと手放しちゃえば逆に厄落とし? だっけ? になるかもよ」
 大凶を手に固まってしまっている進太郎を励ましながら、私は、自分のおみくじを折りたたみ、財布の中に仕舞った。縁起が良いものにはなんでも頼りたい気分だった。
「やっと、衝撃が抜けてきた」
 そう呟く進太郎の横顔を、私は思わずじっと見つめてしまう。進太郎は、同学年の女子や後輩たちから、割と人気だ。物静かで大人っぽいところがかっこいいなんて言われているけれど、会話をするようになって思うのは、大人っぽいというか何を考えているのかよくわからないということだ。皆が言うように確かに鼻筋はよく通っていてきれいな顔立ちをしているとは思うけれど、そこから読み取れる情報が少なすぎる。
「なんかウケるよね、私たち2人で初詣とか。で、大凶でしょ。変な日だよ、ほんと」
 そのあと私たちは、直未と文明に頼まれていたお守りを買いに行った。4日だというのに結構な混雑具合で、絵馬の奉納場所は“絶対合格!”という文字でぎっしり埋め尽くされていた。
 結局、進太郎が、あの大凶のおみくじを枝に結んだのかどうか—私は覚えていない。
   ◆
「はい」
 店を出たところで、進太郎に二つ折りのポイントカードを返す。「ん」と頷いた進太郎は、受け取ったものをそのまま財布の中に仕舞った。スタンプの数を確認することもなかったので、進太郎は、その中に大凶のおみくじが挟まっていることを知らない。
 折角ゲン担ぎのとんかつを食べたあとに大凶という文字を見せられた私は、ちょっと嫌な気分になっていた。だけど、別に改めて責めるようなことでもない。私は特に何も言わず、直未の右側についた。
 4人で並んで、塾までの道を歩く。とんかつ専門店は、塾から少し、離れている。
「つーか、進太郎って、スタンプとか貯めるタイプなんだな」
 文明が白い息を吐きながら「だってさあ」と女子2人のいる右側を見る。
「コイツ、めちゃくちゃ良かった模試の結果とかもソッコー捨てるんだぜ。俺だったらA判定の用紙、お守り的に取っとくのに」
「縁起良いものなら何でも取っといちゃうよねー今は」
 直未はそう言いながら、文明の左側にいる進太郎に向かって、「進太郎君、意外と受験前日にかつ丼とか食べるタイプだったりして」と顔を覗かせている。
「いや、普段食わないもんは食わないと思う、腹壊したら困るし」
 進太郎の声は、小さい。進太郎のいる左端から、私がいる右端まで、その声がかろうじて届く。
「まじめ〜。まあでも午後のやる気出たよね! とんかつで勝ーつ!」
 でも、そのポイントカードに大凶のおみくじ挟まってたんだけど—満足そうな直未に向かって私が口を開きかけたとき、また文明が「こいつさ」と話し始めた。
「A判定とかはガンガン捨てるくせに、好きなバンドのライブのチケットとかはずーっと持ってたりするんだよ。高1のとき一緒に行ったライブの半券まだ持ってて、この前引いたんだから、俺」
「へー。まあ、縁起良いっちゃ良いか、それも」
 明らかに興味をなくした様子の直未が、大欠伸をかます。「涙、滑り落ちないで〜」すかさずふざける文明の左隣で、進太郎がぽつりと言った。
「縁起が良いか悪いかっていうより」
 その低い声が、私の鼓膜をかろうじて揺らす。
「忘れたくない日にまつわるものは、取っておいてるだけ」
 忘れたくない日。
 ――なんかウケるよね、私たち2人で初詣とか。で、大凶でしょ。変な日だよ、ほんと。
 私は、一番遠くにある横顔をそっと見つめる。すっと通った鼻筋の隣にある頬が、少し、赤くなっているような気がした。

朝井リョウ

朝井リョウ ( あさい・りょう )

1989年、岐阜県生れ。小説家。2009年『桐島、部活やめるってよ』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。11年『チア男子!!』で高校生が選ぶ天竜文学賞、13年『何者』で直木賞、14年『世界地図の下書き』で坪田譲治文学賞を受賞。ほかの著書に『世にも奇妙な君物語』『死にがいを求めて生きているの』『どうしても生きてる』等。最新刊は『発注いただきました!』(集英社)。

(撮影:露木聡子)

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