一人で二つ

一人で二つ

絲山秋子

 かつてメーカーで営業の仕事をしていたとき、システムキッチンの見積もりは頼まれた通りのプランのほかに別案を添えて出すようにしていました。システムキッチンは水回り機器のなかでも値が張るし、構成も複雑です。参考プランと本来のプランを比較していただくなかで、お客様の思いや求める商品が具体的になってくることもありました。
 参考プランを出すのは、もう一つの理由がありました。何かを買うときに決勝戦をしないと決まらない人は案外多いのです。実は私もそうなのですが、野菜でも絆創膏でもスリッパでも、最後に二つのものをよく見比べて優勝者を選びます。買う物が決まっていても、迷うほどの相手ではなくても、決勝戦という儀式をしないとその先の購入手続きに進めないのです。キッチンの場合、一つしかプランを出さなければお客様は決勝の相手を探しに(つまり、相見積もりを取りに)他社のショールームに行ってしまいます。参考プランは「どうかよそには行かないで」という引き止めの気持ちなのでした。

 私には決勝戦のほかに、二つ揃えたい癖もあります。
 調味料でも洗剤でもスペアがなければ不安なのです。心のなかに住んでいる口やかましいお姑さんに「なにかあったらどうするの!」と叱られる気がするのです。
 実際に「なにかあった」こと、ございます。
 たとえば、朝起きたら一個しかない眼鏡が背中の下で真っ二つに割れていたこと。ラジオの生放送の仕事に出かけようとしたら車のバッテリーが上がっていたこと。旅先のゲリラ豪雨でスニーカーがびしょびしょになってしまったこと。
 だから眼鏡は二つ持っています。車も乗用車と軽バンで二台あります。旅行には靴の予備を持って行きます。荷物が多くてかっこ悪いなあと思うけれど、仕方ありません。パソコンも掃除機も二台、湯たんぽだって二つあります。
 〆切や病気、災害に備えて食糧の備蓄もしています。缶詰め、飲料水、レトルト、乾物。おそらく一週間くらいは孤立してもなんとかなります。 一人で生きていくってほんとに面倒くさいです。
 ときどき、ちゃんと生活することが嫌になります。
 何年か前のことですが、インフルエンザで38度の熱があるときに大雪が降りました。凍結したら除雪が大変になるので、ふらふらしながら雪掻きをしました。雪ではしゃいだ犬が庭から脱走したので探しに行きました。その上、小説の〆切もありました。あのときは「わああああ」となりました。具合の悪いときには誰にも会いたくないし、インフルですから余計に助けは呼べないのですが、これ以上は無理だと思いました。喉も頭も痛いのに、心のなかで警報のように「わああああ」と、自分の叫び声が響いて、うるさかった。
 これが一人暮らしの限界だなと思いました。
 とはいえ、なんとかやり過ごしました。
 そして喉元過ぎれば忘れます。
 だけどなあ、と思うのです。
 何か違うんじゃないかなと。
 なにがあっても一人で対処するって、どうなんだろう。「備えあれば憂いなし」と心の姑は言うけれど、リスク回避ばかりに手間がかかって前に進めないような。ちょっと大袈裟な言い方になるかもしれないけれど、備えが充実すればするほど、人生が停滞していく気がするのです。
   *
 話は変わります。
 久しぶりにベースを弾いたのは五年前、知り合いのミュージシャンがやっているお店に遊びに行ったときのことでした。私は高校、大学と音楽サークルでバンドをやっていたのですが、楽器もほかの人にあげてしまって、もう長い間弾いていなかったのです。そんな話をすると「ちょっと弾いてみなよ」とフェンダーのプレシジョンベースを貸してくれて、遊びでセッションをしたら、嬉しくて楽しくて夢中になってしまいました。でも、指が錆びついていてやりたいことの十分の一も弾けなかった。すると、「その楽器、今日うちに持って帰れ」
 と言われたのでした。
「練習して、また持ってこい」
 びっくりしました。
 プロのミュージシャンが楽器を貸してくれるなんて、えらいことです。毎日四時間練習しました。練習しながら、自分が音楽に飢えていたことに気がつきました。そのうち勘が戻ってきて少しは弾けるようになってきたので、お茶の水まで行って、自分のための中古のベースを買いました。
 もちろん、そのときも決勝戦をやりました。決勝戦の相手は同じジャズベースの 2011年モデルでしたが、1999年モデルが優勝して家に来ることになりました。アメリカ生まれのこの楽器はこれまでの十六年間、どんな人がどんな音を出して、どんな曲を弾いてきたんだろうと思いました。楽器というものはそういうことを覚えているような気がしてなりません。私が過去を知ることは決してないんだけれど、いつか、かつてのレパートリーと同じ曲を弾いたら「この曲、知ってるよ」と笑うような気がするのです。
 
 なんでも二つ揃えたい私ですが、(少なくとも、今の時点では)二本目のベースは欲しいと思いません。楽器のことだけは生き物のように思ってしまうのです。たとえばずっと弾かない時期があれば罪悪感が生まれます。ケースを開けたら睨まれるような気がするのです。大した技量もないくせに、もう一本買って、新しいパートナーといちゃいちゃ快適に過ごすなんて考えただけで怖ろしい。ほかの楽器に興味もあるし、違う材質や巻き方の弦を張っておきたいという気持ちもあるんだけれど、自分には避暑地の別荘のように贅沢な気がするのです。
 もちろん何本も持っている人もいます。けれどもベーシストはプロでもメインの楽器が一本だけ、あるいは二、三本で全ジャンルを網羅しているという人もいるのです。そこがギターと随分違います。
 ざっくりとした傾向で言いますとベーシストは地味で、ギタリストには華があります。ギタリストという生き物は自分の魅力を持てあましているくせに、なおかつモテるために努力するから弾くのも上手くなるし、雰囲気もキラキラしています。楽器もたくさん持っている人が多くて、エフェクターだってそんなに使わないだろってくらい並べているけれど、それが美女に囲まれているみたいでいいのです。とても似合うのです。羨ましくはありません。むしろ「うちのギターはモテるねえ」などと言っているときがベーシストにとって一番嬉しいときかもしれません。(大抵、そういう話をする相手はドラマーです)ベーシストには生まれながらの不真面目さをポーカーフェイスに隠しているようなところがあります。だから、表でモテなくても裏で抜け駆けしようといつも思っています。ときどき変態と言われるのはそういう所以ではないかと思います。ええと、何の話だったか……あくまで個人の所感ですので本気にしないで下さい。
   *
 私は「一つなくなれば一つ入って来る」という考え方が好きです。必ずしも良いものが入って来るわけではないけれど、仕事の節目などで、本当にそうだなあと思うことがあります。
 何でも二つ持つというのは安心かもしれないけれど、文字通り両手がふさがって手一杯になってしまう。そして私が既に手にしている物は一緒に時間を過ごしてきた物、言わば過去からの同伴者なのです。私は「自立して生きる」ことを目指してきたけれど、端から見たら過去や習慣にしがみついているだけだったかもしれません。
 
 五年前に、楽器を再開できたのは、そのとき持っていなかったからだと思います。手のうちが空っぽだったからこそ、未来から飛んで来たボールのような幸運を受け取れたのでしょう。
 いつか私が年をとって楽器を弾けなくなったら、そのときは躊躇なく売るつもりです。楽器というのは、遺品として誰かにあげるには重たすぎるのです。知らない人だからこそ安心して渡せるし、違う未来を引き受けてもらえる気がします。
 状態のいい楽器は寿命が長いので、私がこの世にいなくなったあとでもいい音を鳴らしてくれているかもしれません。そして、自分の過去が次の人の未来にリンクするとしたら、それはとても嬉しいことだと思うのです。

絲山秋子

絲山秋子 ( いとやま・あきこ )

1966年東京生まれ。早稲田大学卒業後、 住宅設備機器メーカーに入社し、営業職として福岡、名古屋、 高崎などに赴任。2001年退職。03年に「イッツ・オンリー・ トーク」で文學界新人賞、04年に「袋小路の男」 で川端康成文学賞、05年に『海の仙人』 で芸術選奨文部科学大臣新人賞、06年に「沖で待つ」で芥川賞、 16年に『薄情』で谷崎潤一郎賞をそれぞれ受賞。 『逃亡くそたわけ』『離陸』『忘れられたワルツ』『 夢も見ずに眠った。』『絲的ココロエ 「気持ちの持ちよう」 では治せない』など著書多数。

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