ボタンと使者

ボタンと使者

角田光代

  
 裏庭の、エアコン室外機から1メートル離れたところに紀奈子は毎朝ごはんを置く。ときどき遊びにくる猫用のごはんだ。カリカリというらしいドライフードと水の入った器を、盆がわりに置いてある木ぎれの上に並べる。その日も器を並べようとすると、木ぎれの上に何か載っている。紀奈子はしゃがんで顔を近づけてみた。
 ボタンだった。色あせた花柄のくるみボタンで、紀奈子には妙になつかしく感じられた。つまみあげてスカートのポケットに入れる。朝ごはんのお礼かしらね。ちいさくひとりごとを言って笑い、玄関に戻る。
 朝食の食器を洗い、お茶を入れて新聞を読み、ふと裏庭に面した窓をのぞくと、白黒模様の猫が早速ごはんを食べている。じっと見ていると、気配を感じたのか顔を上げ、向こうもじっと紀奈子を見ている。頭のてっぺんが黒く、両前脚の付け根の黒い猫である。「これ」と紀奈子はボタンを取り出して窓越しに見せる。「ありがとう」と口を動かすと、猫は興味なさそうに目をそらして食事に戻った。
 白黒猫は、夫が亡くなり紀奈子がひとり暮らしになってからやってくるようになった。まるで紀奈子のぽっかりした喪失感を埋めるかのようなタイミングで。
 決して触らせてはくれないが、毛づやがいいし、どこかで飼われているのだろうと紀奈子は思う。そのおうちのごはんが気に入らないときなんかに、こうして近所を歩いて、顔見知りのだれかれにごはんをもらっているのだろうと想像している。飼い猫ならば、名前をつけるのはなんだか申し訳ない気がして、紀奈子はただ「猫ちゃん」と呼んでいる。
 夜、借りてきた洋画のDVDを見ていると、娘の知花から電話があった。知花は電車で三十分ほどの町に家族で住んでいる。来月温泉にいかない? という知花の背後で、桃果と亮太の遊ぶ声が聞こえる。テレビの音も。
「耀司さんが出張だから、おかあさんと私たちだけ。箱根とか、近場で」
 温泉はいきたいけれど出かけるのは億劫だ。八歳の桃果はだいぶしっかりしてきたけれど、三歳の亮太はイヤイヤ期だし、と思うや、甲高い叫び声が電話の向こうから聞こえてきて、「亮太! 大声出すのやめて!」と知花の声が続く。「耳元で叫ばないで!」つい紀奈子も声を荒らげる。「温泉、またにしておくわ。ありがとうね」
 ひと息ついて紀奈子が言うと、知花は、家にばかり引きこもっているのはよくないとか、温泉は腰痛に効くはずだとか、ぐずる亮太の声を背景に、とうとうと話す。留守のときに猫がきて、ごはんがなければがっかりだろうし、と、胸の内で紀奈子はつぶやき、そのとき、ふと何かが頭のなかを横切った。なんだっけ。知花。子どものぐずる声。猫。知花の声が遠のいていく。ボタン。そうだ、あのボタン。
「聞いてる?」という知花の声と、「猫とボタン!」と紀奈子が声を上げるのと、同時だった。
「知花ちゃん、ずっと昔、あなた野良猫をかわいがってたわね?」紀奈子は訊く。
「え? 覚えてない」
「保育園のころよ、保育園のおやつを食べずにとっておいては猫にあげていたじゃない」
「何それ覚えてない」知花はくり返し、またしても近くで亮太の泣き叫ぶ声が聞こえて、「またかけるね、ごめん」と、電話は切られた。
 くるみボタン。通話の終了した携帯電話を手にしたまま、静まりかえった部屋で紀奈子は必死に記憶をたどる。なつかしいと思ったのは、自分の手で作ったからだ。保育園がいやだと毎朝泣く知花のスモックに、くるみボタンをいくつかつけた。さみしくないからだいじょうぶよ。このボタンはボタンだけどのぞき穴でもあるの。このボタンからママがちゃんと知花を見ていてあげるから。使ったボタンは、紀奈子が社会人になってはじめて買ったオーバーコートのもの。捨てられなくてとっておいたのだ。それを覆った花柄の布地は——なんだっけ。裁縫箱に入っていた余り布だったか。
 紀奈子はポケットに入れたままのボタンを取り出して、じっと眺める。まさにこの布地、このボタンだと確信がある一方で、同じボタンのはずがない、つじつまが合わない、とも冷静に思う。
 ひとつ引っかかるのは、猫である。知花が泣かずに保育園にいくようになった理由は、あのボタンではなくて野良猫だったことを、紀奈子は思い出した。園舎の裏にやってくる野良猫がいて、母親の迎えを待つあいだ、知花はよく園舎裏にしゃがみこんで猫を待っていた。おやつをあげているというのは、先生から聞いた。猫が居着いちゃうと困るし、おやつも本人に食べてほしいんですよ、という苦情だった。紀奈子は知花に、おやつをあげてはだめとは言わなかった。先生に隠れてこっそりあげなさい、と言った。猫のおかげで知花は保育園に進んでいくようになったのだ。
 その猫が、うちにくる猫と同じ、白と黒の毛並みではなかったか。たしか知花は、おさげちゃんと猫のことを呼んでいた。両前脚の付け根が黒くて、おさげを結っているみたいだったのだろう。……ということはやっぱり、同じ白黒、同じ模様。幼かった知花は、おやつといっしょにスモックのボタンもひとつちぎって猫にあげたのではないか? さみしくないからだいじょうぶよ。私も見てるから。母親の台詞を真似て。
 そこまで考えて、紀奈子は我に返り、一時停止していたDVDの再生ボタンを押す。なんて馬鹿なことを考えているのだろう。三十年前にいた猫が今も同じ姿でいるはずがないし、三十年前のボタンを届けにくるはずがない。よしんば届けにきたとして、それになんの意味がある?
 馬鹿らしい。そうは思うものの、エンドロールが流れても、映画の内容を紀奈子は思い出せなかった。ボタンのせいであふれ出した過去——初給料で両親と食べた鰻や、妊娠を告げられた日の空や、伝い歩きをする知花や、夫婦げんかの気まずさや、とめどないそれらについ耽ってしまったのだった。
 翌朝、紀奈子はいつものように朝ごはんを用意したが、猫はこなかった。気まぐれなのだ。自分用の朝ごはんを食べたあと、紀奈子は二階に上がり、寝室にしている和室の天袋から数冊のアルバムを取り出した。かつては型の古びたオーバーも捨てることのできなかった紀奈子だが、夫の死後は、心を決めて多くのものを処分した。持ち主がいないのに持ちものが残る、そのことのかなしさと残酷さを思い知ったからである。アルバムも、知花が生まれて以降のものは知花に送った。
 適当にページを開き、アルバムをめくる。紀奈子が小学校の高学年あたりからカラー写真がまじり、中学生以降はすべてカラーに切り替わっている。久しぶりに見る、さほど枚数の多くない過去の写真に引きこまれ、何をしようとしていたか忘れて見入ってしまう。「えっ」半世紀ほど前の写真を見ていた紀奈子は、思わず声を出して写真に顔を近づける。頬のふっくらした、十二、三歳のころの自分が笑っている、バストアップの写真である。卒業式とか家族のお出かけとか、とくべつなときの写真しかないのに、この一枚は、家の壁を背景にしたなんということのないもので、もしかしたら、父親があたらしいカメラを買ったばかりだったのかもしれない。そんなことより紀奈子は、笑う少女の着ているジャンパースカートの、肩紐を止める胸当てのボタンに見入る。色あせたカラー写真ではあるが、それがあの、猫が持ってきたボタンとそっくりなのだ。花柄のくるみボタン。その花柄も、そっくりというより、同じ柄。そしてそれは、幼い知花のスモックに縫いつけたものと同じでもある。似ているのではない、同じだ、と紀奈子は確信する。
 母親になった私が娘に作ったはずのボタンを、なぜ十二、三歳の私がつけているのだろう?
 紀奈子は、その場に座りこんだまま、時間を駆け抜けるようにしてアルバムをめくり続けていく。高校の入学式があり、成人式があり、友人との北海道旅行がある。けれども写真のなかに、もう同じボタンは見つけられずに、今度は時間をさかのぼる。写真は次第にモノクロになり自分はどんどんちいさくなっていく。そうして紀奈子は見つける。記憶にも残っていないほど幼い自分が猫を抱いている写真を。頭のてっぺんと前脚の付け根が黒い白黒猫である。猫を抱いて座る自分の背後に、母親らしき人の膝下が写っていて、写真に切り取られたワンピースの柄が、くるみボタンの花柄と同じであることにも紀奈子は気づく。モノクロ写真だけれど、はっきりわかる。
 階下で携帯電話の呼び出し音が聞こえ、紀奈子はふと我に返って、アルバムを閉じて階段を下りる。順不同に過去の写真を見続けていたせいか、紀奈子は、階段を下りているのではなく、時間を巻き戻している錯覚を味わう。ダイニングルームにいくと静まりかえっている。テーブルに置いた携帯電話を確認しても、着信履歴はない。
 携帯電話を手にしたまま、何気なく振り向くと、窓の外にいつもの猫がいる。ぴったりと前脚を揃えて座っている。あなたのちいさかった子どもだって、あなたがまだちいさかったころだって、私、知っているのよ、と言いたげな、得意げな顔でじっと紀奈子を見ている。この猫を撫でたことなどないのに、猫の毛並みのさわり心地や、抱いたときのあたたかな重みが、紀奈子の腕やてのひらや膝にじわじわと広がる。この猫はたしかに、幼い私が抱いていた猫だ、と紀奈子は思う。静まりかえったダイニングルームで、それが突拍子もない思いつきだと紀奈子は思わない。だって、この手や膝が、この猫をこんなにも覚えている。
 もしかして、この猫は時空を旅しているのかもしれない。若かった母に会い、幼い私に会い、母になった私に会い、幼かった娘に会い、そしてもしかしたら、今ここにはいない夫にも会い、この先娘の子どもたちに会い、大人になったその子どもたちにも会いにいくのかもしれない。ときどき、このボタンを持って。さみしくないからだいじょうぶだよ。このボタンの向こうに、いなくなったはずのみんなはいるし、ちゃんとあなたを見ているから。そんなことを伝えるために。
 紀奈子は玄関を出て、裏庭にまわる。その気配を察して猫はさっと逃げていく。朝に置いたごはんの器は空だ。盆がわりの木ぎれの上に、紀奈子はくるみボタンを置いて、胸の内で言う。まただれかに持っていってあげて。さみしくないからだいじょうぶだと、そっと教えてあげて。紀奈子は立ち上がり、温泉、やっぱりいこうかな、とつぶやいて伸びをする。

角田光代

角田光代 ( かくた・みつよ )

1967年神奈川県生れ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。1996年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞、2003年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、05年『対岸の彼女』で直木賞、06年「ロック母」で川端康成文学賞、07年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、11年『ツリーハウス』で伊藤整文学賞、12年『紙の月』で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花文学賞、14年『私のなかの彼女』で河合隼雄物語賞を受賞。著書に『愛がなんだ』『空の拳』『坂の途中の家』など多数。17年から着手した『源氏物語』の現代訳が今年2月に完結した。

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