RPGノート

RPGノート

藤崎彩織

 ハロウィンパーティーに行くと、パステルカラーのドレスを着ている女の子たちの中で、姉の時子だけがゴミ袋のドレスを着ていることに気がついた。時子のゴミ袋には折り紙のカボチャやリボンがセロハンテープで貼り付けられていて、余計に「ゴミを着ている」という感じがする。
 僕が不憫に思っていると、時子は「魔法が解けてしまったシンデレラの仮装なの」と言って、プリンセス達とポーズを決めて写真を撮っていた。
 クリスマスになると、サンタは兄弟3人分のプレゼントを枕元に置いていってくれたけれど、それはいつも同じお菓子のブーツだった。
 どうして我が家には高価なゲームや流行のカードが置かれないのかと不思議に思い、一度だけ、サンタ宛の手紙に「自転車が欲しいです」と書いたことがある。
 でも、置いてあったのは同じお菓子のブーツだった。僕が考え込んでいると、
「サンタって大人なのにえこひいきするんだよ」
 時子が秘密を打ち明けるように、お金持ちの家にばかり気合いを入れるサンタの性格について教えてくれた。
 僕も姉もはっきりと話題にしたことはなかったけれど、我が家は貧乏なのだと知っている。だから周りと違うことが起きてもある程度は仕方がないと思っているし、求めることもなかった。それなのに、弟の四季が6歳になった誕生日に、
「RPGゲームを買って欲しい」
 と突然言いだしたので、僕は驚いた。
そもそも、何かを買って欲しいと言うこと自体が我が家のタブーのような空気があって、僕も姉もお願いしたことなどなかったのだ。
 僕はおっかなびっくり母の反応を待ったが、
「ゲーム機なんて高いもの、うちは買えないわよ」
 母は即答した。
 やっぱり。父はいつだって仕事でいないし、母も夕方にご飯を作りに帰ってくるだけですぐにまた仕事に出てしまう。母に言わせると、我が家の家計は「火の車」で「自転車操業」らしい。車なのか自転車なのかはっきりしないが、とにかく貧乏だということだけははっきりしている。
「僕だってRPGしたいのにぃ」
 小学1年生になった四季は、隣に住んでいる友達がゲームを買って貰ったという話を聞いて、近頃羨ましがって仕方がない。夏休みに入ってから、家で地団駄を踏んでばかりいる。
「仕方ないだろう。うちはお金がないんだよ」
 僕が宥めても、四季はどすんどすんと足を踏みならしている。怒っている時の四季の癖だ。こうなると手がつけられなくて、僕が宿題をしていても後ろで騒音を立てるのをやめてくれない。
 こんな時は親が家にいる家庭が羨ましい。四季がどれだけうるさくしたって、告げ口すればいいだけだ。父と母は夏休みに入っても働き通しなので、僕らはどんなことでも3人で解決しなければならない宿命にある。
「そんなにやりたいなら、私が作ってあげる」
 突然時子が口を開いた。小学4年生になったばかりの姉はすたすたと歩いて本棚からノートを取り、机の上に広げている。去年の夏休みに毎日ラジオ体操に通い、皆勤賞として貰った時子が大切にしていたノート。今まで頑なに使わなかったのに、迷いなく何かを書き始めている。
「まず名前、どうする?」
 当たり前のように時子に聞かれて、僕と四季はポカンとしてお互いの顔を見合わせた。ノートを覗くと四角い枠があり、その中に時子の字で『なまえ』と書かれている。まさか本当にRPGゲームを作るつもりだろうか? ラジオ体操でもらったノートと鉛筆で?
「早くしないとコンピューターに勝手に名前を決められちゃうよ」
 時子が急かすように『なまえ』の部分を鉛筆で叩いた。いきなりノートでゲームを作ると言われても、誰もやったことがないのだから勝手がわからない。時子があと10秒、9秒、8秒、とカウントダウンを始める。秒数が減るごとに『なまえ』を叩くから、『なまえ』のところに鉛筆の黒い点が増えていっている。
「あと4秒……このままだと大田区太郎になります」
「ふ、風太郎にする!」
 四季が慌てて言った。風太郎は向かいの家が飼っている柴犬の名前だ。時子のオリジナルゲームといえど、何も犬の名前にしなくたっていいのに。僕が教えてあげようとすると、
「風太郎……良い名前だ。風太郎には魔法の杖を授けよう……」
 時子が低い声を出した。
 すぐに枠の中に『風太郎』と書き、男の子が杖を持っている絵を素早く描いている。なかなか上手いし、手際がいい。どこでこんな絵を練習したんだろう?
『風太郎』を書き終わると、時子はページをめくって今度はマップを書き始めた。遠くに佇む山、街を流れる川、花畑や牧場、城、そして看板に大きく「ぶき屋」「やど屋」と書いてある家。
「風太郎はどこに出発する……?」
「ぶき屋!」
「OK。てくてくてくてく……」
 時子が口で効果音を出しながら、またページをめくる。今度は鉛筆で店のメニューを書いた。
-いのちの薬 100ゴールド
-げんきの薬 50ゴールド
-ほのおの玉 50ゴールド
-水の玉   50ゴールド
「風太郎は今、200ゴールド持っている……」
「いのちの薬とほのおの玉を買う!」
「チャリーン! まいどあり〜!」
 急に高い声を出した時子の「まいどあり〜」は、駅にあるお肉屋さんの言い方と同じだった。3人でコロッケを買いに行くと、シューマイを3つおまけしてくれるお店だ。
 普段は母が仕事から帰るやいなや凄いスピードで夕飯を作ってくれるけれど、仕事がどうしても遅くなる日はお金が置いてある。僕らは3人でお財布を持って出かける日が結構好きだった。
「はやく次に行こう!」
 四季が時子を催促した。風太郎の持ち物リストを書き終わった時子は、ページを戻してマップを見せる。
「冒険の準備が出来た者よ……どうやら山が騒がしいようだ……」
「風太郎、山へ行くよ!」
 四季が前のめりになってマップに書いてある山を指差した。弟が夢中になるのもちょっと分かる。僕だって、時子に乗せられるがまま、本当のゲームを進めているような気持ちになってきている。
 山へ行った風太郎の足音は、「てくてく」から「ざくざく」に変わっていた。
「ティロリロリロリー!」
 急に音楽が鳴った。時子は不穏な音楽を口ずさみながら、丸めた布団に目がついたモンスターのようなものを大急ぎで描いている。目だけが少女漫画ちっくできらきらしているが、時子が生きものの絵を描こうとする時は全部その目なので仕方がない。初めての敵が現れた。HPは50だ。
「どうする? 戦う、休む、逃げる……!?」
「魔法の杖を使う!」
 四季はまるで杖を振り回しているみたいなポーズをした。しかし、
「魔法が効かない……!」
 時子が叫んだ。四季は驚いて僕を見ている。どうすればいいか分からなくて助けを求めている顔だ。
「こいつ、布で出来てそうだから、ほのおの玉が効く気がする」
 僕は冷静に考えて言った。ゲームのキャラクターには大体特性がある。ほのおタイプには水だし、闇タイプには光の攻撃が有効なのだ。
「いっけええい! ほのおの玉!」
 四季はそう叫びながら、砲丸投げのように手を後ろから前へ動かした。自分で言ったものの、ほのおの玉って素手で投げれるもんなのだろうか。いや、今はそんなことは気にしなくていい。時子はどう出るだろう。僕は黙ってノートを見守った。
「バコーン! ボーー! 会心の一撃!」
 時子がそう言うと、布団モンスターのゲージがどんどん減っていった。ゲージが減る時、時子は鉛筆の裏の消しゴムを使った。あっという間にゲージはなくなって、どうやら一撃でモンスターを倒したようだ。
「やったあ!」
 四季が万歳をした。にいちゃんありがとう! そう言って部屋の中をカンガルーのように飛び跳ねている四季を見る。誇らしい気分だった。
「パンもどきを倒しました。ほのおの玉を一つと、100ゴールドをゲットしました……」
「えっパン?」
 布団じゃなかったのか? 僕はもう一度ノートを確認してみるが、パンには見えない。
「パンもどきは、食パンのふりをして人を襲います」
 時子はくすりともせずに説明した。食パンにしては随分丸まっているし、パンのふりをするならもっと違う形の方が良いんじゃないの? そう思ったけれど、余計なことを言うと怒られそうなので僕は黙っていた。
「さあ、次行こう!」
「今日の冒険はここまでです……やど屋で記録をしなければ、また初めからです……」
「えっじゃあやど屋で記録するよ!」
 四季がそう言うと「風太郎」はまたマップに戻り、やど屋で記録を取った。時子の字で『7月30日 風太郎1』と書かれたその記録を、四季は嬉しそうに指でなぞっていた。

 その次の日から、四季は宿題をする僕の後ろで地団駄を踏まなくなった。その代わりに、
「ねえちゃん、にいちゃん、出発しよう!」
 毎日僕らを冒険に誘ってきた。時子が絵や字やマップを描いて、僕が四季にアドヴァイスをする。四季が飛び跳ねながら冒険を進める。冒険の終わりには必ずやど屋に行き、夏の終わりには『8月30日 風太郎32』という文字が記録された。時子のノートはもうぼろぼろになっていて、本物の冒険記のように見えた。

 9月になり、新学期が始まった。両親は相変わらず早くから仕事に出かけているので、僕らは3人で朝食をとって学校に向かった。
「え? もう自由研究として提出しちゃったよ」
 それが当たり前みたいな顔で、時子は言った。
 僕は呆気にとられた。帰ったら久しぶりに冒険の続きをやろうと言ったら、自由研究の課題だったのでもう手元にないと言うのだ。
 何て抜け目のない姉だ。僕ら兄弟が手を取り合い、冒険記を進めていたと思っていたあの時間に、時子は着々と宿題を終わらせていたということだろうか。一体いつからそんなことを考えていたのだろう? まさか最初から……?
 何だか騙されたような気分だった。僕だって一緒に戦って、本気で興奮したり感動したりしたのに、時子の夏休みの宿題を一緒にやっていただけなんて。
 さらに追い討ちをかけるように、時子のノートは「優秀作品」として学校の廊下に飾られているという。ここまでくるともう言葉が出ない。
 学校の廊下を歩くと、木の切れ端で作った家や虫の生態を詳しく書いた新聞など、選ばれた優秀作品たちが長机の上にずらっと並んでいた。
 僕が研究した『カレールーの実態』は優秀作品には選ばれなかったのに、時子のノートはここにある。純粋に弟を想って遊んだ兄よりも、ずる賢い姉が勝利するなんて、サンタといい、世の中は不条理に溢れている。
 廊下の真ん中あたりで見慣れたノートを発見した。長い廊下にぽつんと置かれていると、家で見るよりも小さく見える。
 そういえばあのノートのタイトルは何にしたのだろう。『紙のゲーム』か、もしくは『手作りRPG』とか。
 タイトルを考えながら時子の名前が書かれた紙を見て、僕は息を飲んだ。
 あんなぼろぼろのノートに、『弟たちとの夏』なんてタイトルをつけられる姉には、僕は当分勝てそうにない。

藤崎彩織

藤崎彩織 ( ふじさき・さおり )

4人組バンド「SEKAI NO OWARI」では、“Saori”としてピアノ演奏とライブ演出を担当。2017年に5年の構想を経て、初の小説『ふたご』を上梓。デビュー作にもかかわらず第158回直木賞の候補となる。雑誌・文學界でエッセイ「読書間奏文」を連載するなど、その文筆活動にも注目が集まっている。

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