趣味2019.12.13

記録魔・周防正行監督の「寡作にして濃密」な映画の裏側

好きなものと生きていく #17

『Shall we ダンス?』『シコふんじゃった。』『舞妓はレディ』など、作品を発表するごとに、そのユニークなテーマが話題を集める周防正行監督。独自のモチーフから織りなされる作家性をベースに、大衆にも親しみやすい娯楽性を兼ね備えた周防作品は、その制作過程において、膨大かつ綿密な取材・リサーチを行うのが流儀だ。 それはもちろん作品世界を深く理解し、ディテールを豊かにするための創作活動の一環であることは間違いないのだが、それと同時に、周防監督が自他共に認める“記録魔”であることも、その作風に大きく影響しているようだ。「道具によって僕の性格は変えられた」と語る周防監督が語る“モノ”に対する哲学とは? その唯一無二のライフスタイルに迫る。
(執筆/壬生智裕、編集/メルカリマガジン編集部、撮影/業天大和)

広い書庫には資料がビッシリ

周防監督が自宅兼事務所のほかに借りているという書庫には、これまで関わった映画作品に関する台本や取材資料のほかに、思い出の品や趣味の品まで、ところ狭しと所蔵されている。高さ2メートルほどある書棚にびっしりと並ぶさまは圧巻の一言だ。

「映画関係の資料は、僕がピンク映画の助監督をやっていた時のものから、自分が監督した最近のものまであります。例えば2007年の(刑事裁判をテーマにした)『それでもボクはやってない』の時は、「一審で有罪判決を受けた痴漢事件の被告人が二審で逆転無罪を勝ち取った」ことを伝えた新聞記事がきっかけで映画を撮ろうと思ったんですが、その記事もファイルしています。中には(周防監督が助監督でついていた映画監督の)高橋伴明さんの映画のシナリオなどもありますよ」

自身、“捨てられない気質”と語る周防監督。先述した新聞記事のスクラップはもとより、企画段階で使用された資料から、宣伝が終わるまでの資料。そして新聞、雑誌などの映画評に至るまで。映画に関わるものは、ほとんどスクラップして保存してある。

「自分が寡作の映画監督で本当に良かったと思っていますよ(笑)。まあ逆に1本1本、時間をかけて作っているから、結果として資料が多くなってしまうのかもしれないけど。僕は実家暮らしが長かったのですが、結婚してからは、実家にあったものを全て書庫に移しました。実はこの間、書庫を整理していたら、小学校3年生のときの九九のわら半紙のテストが出てきて。自分はこんなものまで取っておいたのか、とビックリしました」

幼少期の遊びが原体験

周防監督のこうした性格に影響を与えた人物がいる。それがデビュー作から一貫して、周防作品の音楽を担当してきた、3歳年上のいとこでミュージシャンの周防義和さんだ。

「幼い頃から義和さんにはいろいろな遊びを教わりました。家中でミニカーを走らせてグランプリごっこをやったり、お正月には、前年のカレンダーの裏紙を使ってオリジナルすごろくを作ったり、空き箱で紙相撲の土俵も。感覚としては、いとこというよりも、いろんなことを教えてくれるお兄ちゃんという感じでしたね」

2人がこだわったのは「遊び方」だ。例えば、野球ゲームで遊ぶ際にも、自分たちでスコアブックをつける。ミニカーでレースごっこをするときも、家の中でコースレイアウトを考えて、それをノートに記し、レース結果を書いて年間チャンピオンを決める。また紙相撲も、一体一体四股名をつけ星取り表をつけながら遊ぶ――。細部にも徹底的にこだわり抜く、記録魔・周防監督の萌芽は幼少期のこうした体験にあるのかもしれない。やがて大人になった周防監督は、日々の記録をつけ始めるようになる。パソコンのスケジュール管理ソフトの登場がきっかけだった。

Macの登場で記録魔に

「ワープロは『文豪ミニ』を使っていたんですが、その後にパソコンを買って、『Now Up to date』というもうなくなっちゃったソフトをずっと使っていました。それが日々の記録をつけるきっかけになり、その後Macにバンドルされているスケジュール管理ソフト『iCal』に乗り換えました。
 
例えば今日、取材があるとスケジュール表に書きますよね。そこでどんな人と会ったとか。どんな話をしたとか。余裕があればそういうのを書くんです。映画を観たら、必ずそこに感想を書く。文字数制限がないんでいくらでも書くことができる。記録が残ることに快感を覚えたら、もうやめられなくなってしまった。それまで日記なんて3日と続いたことがないのに。

デジカメも常に持ち歩いています。映画の撮影中も、普段の時もデジカメは必需品。今日みたいに取材を受けた日は、取材をした方たちの写真も撮ります。その日に見たものや、会った人など、全部記録しておきたいんです。撮影した写真は、家のパソコンに全部入れて保存しています」

外出時はiPhoneやiPadを使用しているというが、家にいるときはあえてデスクトップのパソコンを立ち上げる。

「本当はもうデスクトップじゃなくてもいいんですけど、ノートPCとかだと、どうも落ち着かない。いろんな意味で、僕は道具に使われているんですよ」

ワープロやパソコンを購入したことによって、シナリオを書くのも、手書きからデジタルに移行。仕事のスタイルも変化していった。自身の監督作の中で、手書きでシナリオを書いたのは、デビュー作となる『変態家族 兄貴の嫁さん』と、続く『ファンシイダンス』だけ。その後はワープロを購入し、続く『シコふんじゃった。』をワープロで執筆した。そして同作のビデオ印税でMacを購入。その後の作品はパソコンで執筆するようになった。

「原稿用紙に手書きでシナリオを書いていた時は、最後まで書き終えるのがなかなか大変だったんです。このマス目を埋めなきゃいけないというプレッシャーがあって。手書きっていろんな苦悩が見えるんですよね。ここはノッて書いているなとか、ここはあまりノッていないなとか。なんだか生身の自分が出てしまっていて、読み返すのも嫌だった。それがワープロに変えた途端、自分の書いたものを客観的に読み返せるようになりました」

細かいエピソードも「捨てない」

周防監督の作品は徹底したリサーチからもたらされる、内容のディテールの細かさがある。そのため取材は毎作毎作、丹念に行う。

「基本的に取材では、僕が面白いなと思ったエピソードを集めます。たとえそれが作品の登場人物らしくないものだとしても、ちょっとでも面白いエピソードだなと思ったら記録していきます。使えるかどうか、流れに合っているかどうかも関係ない。後になって、意外とそれが流れの中にうまく収まる、といった経験をしてきたので、とりあえず取材で気付いたこと、細かいアイデアやエピソードなどは捨てないようにとっておきます。そうすると、あるエピソードとあるエピソードがつながったりすることがある。そうやって物語を作るんです」

 周防流のストーリーメイキングは、徹底的な取材でエピソードを集めて、そこから物語の流れを組み立てる。“モノを捨てない”スタイルは、物語作りでも健在というわけだ。

「『それでもボクはやってない』の時が顕著でしたね。裁判などを傍聴していても、それぞれの事件の個性はあるんですけど、やはり似たようなエピソードがたびたび出てくることに気付いたんです。検察官がいい加減な再現写真を証拠として提出するとか、被害者と被告人が第三者の発言を事件時に同時に聞いていたのに、まるっきり違う証言になったりとか。そうしたものを拾いながら、シナリオに取り入れました」

こうして地道に足で集めたネタをパソコンに打ち込む。そして時折読み返しては、物語作りに活かしていく。

「順番を入れ替えたりして整理する。そうするとおのずと物語の流れになるんです。やはり取材をしながら物語ができていくというのが、一番いいですね。『Shall we ダンス?』も『シコふんじゃった。』も、取材をしていくうちに物語が生まれた映画でしたね」

新作でも息づく「周防流」

周防監督の最新作は12月13日全国公開予定の映画『カツベン!』。大正から昭和初期にかけて隆盛を誇ったサイレント映画の解説者である“しゃべりのスーパースター”活動弁士にフォーカス。活動弁士を夢見る若き青年を主人公に、個性的なキャラクターたちが織りなす、アクションあり、笑いあり、涙ありの周防流エンタテインメントだ。

 活動弁士の黄金期だった大正時代の活気ある映画館や街並みを再現するため、関東はじめ、京都、滋賀、岐阜、福島など、日本全国をまわる大ロケーションを敢行。また、劇中で活動弁士たちが解説する無声映画は、周防監督の発案により、すべて新しく撮影されたもの。完全オリジナルの無声映画、そして歴史に残る名作を再現したものなど、10本以上の作品を新たに作りあげた。

「オリジナルがあり、今も残っている映画については、同じようなアングル、カット割りで撮り直しました。ただ、作られた記録はあるのに、現存していない映画があるんです。実はサイレント映画の9割くらいは失われています。だから、当時の記録を基に、その当時の撮影技術・編集技術だったらこんな風になったんじゃないかと想像しながら作り直しました。そしてもう一つがこの映画のためのオリジナル無声映画。これは、現実には存在しなかったものだから、脚本の片島章三さんが書いたシナリオで、大正時代の監督になったつもりで無声映画を撮りました。さらに、上映の時のフィルム状態も再現しました。傷を多く付けたり、逆に完成したての設定だったら綺麗にしたりとか。洋画と邦画でトーンを変えてみたりもしました」

そう話しながら、今回の映画のために集めたダンボールいっぱいの資料を「ほんの一部」といって見せてくれた。本作でも周防監督のこだわりは健在である。当時は誰もが映画に純粋な夢を抱いていた時代。映画の未来を夢見た人々が織りなす物語は、まさに映画愛に満ちている。

周防監督の書庫の膨大なコレクションアイテムはこちら

周防正行(すお・まさゆき)
1956年生まれ。東京都出身。立教大学文学部仏文科卒。1989年、本木雅弘主演『ファンシイダンス』で一般映画監督デビュー。修行僧の青春を独特のユーモアで鮮やかに描き出し注目を集める。再び本木雅弘と組んだ1992年の『シコふんじゃった。』では学生相撲の世界を描き、第16回日本アカデミー賞最優秀作品賞をはじめ、数々の映画賞を受賞。1993年、映画製作プロダクション、アルタミラピクチャーズの設立に参加。1996年の『Shall we ダンス?』では、第20回日本アカデミー賞13部門独占受賞。同作は全世界で公開され、2005年にはハリウッドでリメイク版も製作された。2007年の『それでもボクはやってない』では、刑事裁判の内実を描いてセンセーションを巻き起こし、キネマ旬報日本映画ベストワンなど各映画賞を総なめにした。2011年には巨匠ローラン・プティのバレエ作品を映画化した『ダンシング・チャップリン』を発表。2012年『終の信託』では、終末医療という題材に挑み、毎日映画コンクール日本映画大賞など映画賞を多数受賞。2014年の『舞妓はレディ』では、あふれるような歌と踊りとともに、京都の花街を色鮮やかに描き出した。2016年には、紫綬褒章を受章。

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メルカリマガジン編集部

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