趣味2021.08.31

夫婦で起業。夫は「友人であり、仲間であり、恩師」 篠原ともえが掴んだ心地よい夫婦関係

好きなものと生きていく#44

「40歳でキャリアチェンジをして、今が一番大変」と話すのは、篠原ともえさん。1年前に夫である池澤樹さんとクリエイティブスタジオ「STUDEO」を立ち上げ、クリエイターとして日々仕事をこなしている。

表舞台でスポットライトを浴びる立場から、舞台裏で手腕をふるう仕事へ変わった。

大人になると、若かりし日に思いを馳せて戻りたいと思う日もある。「あのときはがむしゃらだったな」とか「今は落ち着いちゃったな」とか。

キャリアも年齢も重ねた彼女は、現在と過去について何を思うのだろうか?(撮影/堀内麻千子、ヘアメイク/ナリタミサト、編集/メルカリマガジン編集部)

有名人だからといって優遇はなし。コンペで掴んだデザイナーへの道。 衣装を手掛けるまで

──芸能人として表舞台に立ちながら、いつの間にか衣装デザイナーとしても活躍されていて驚きました。いつから本格的にデザイナーとしてのキャリアを歩みだしたんですか。

自分の衣装をスタイリングしていくうちに、コンサートの衣装も私が作らせてもらえるようになったのが18、19歳ぐらいの時です。20歳のときに自分が出演する舞台の衣装を作らせてもらったこともあります。

──それはどういう経緯で? 当時、服飾系の大学に通っていたから、でしょうか?

はい、高校もデザイン専攻で、短大では服飾、デザインについて専門的に学んだこともあり、台本を読んでいるうちに頭の中で衣装のイメージが湧いてきてしまって……舞台の関係者の方にプレゼンをしたら、OKをいただけて。初めて自分以外の誰かの衣装をデザインさせてもらった経験でした。

チームとしてモノづくりは、2013年頃にユーミン(松任谷由実)さんのコンサート衣装を作らせてもらえるようになってからですね。

──松任谷由実さんのコンサート衣装の製作は、どうやって担当させてもらえることになったんですか?

最初は、松任谷正隆さんのラジオに呼んでいただいたときに声をかけてもらったんです。ただ、あくまで「候補」の1人として。私の他にも候補のデザイナーの方が2名いらっしゃいました。別日にその2名と正隆さんの前でプレゼンをして、ようやく指名していただけました。
──コンペみたいですね。

そうですね。まさにコンペでした。

アーティストのみなさんはコンセプトがあるので、それを自分なりに解釈して、「このコンセプトには、こういうテキスタイルやカラーがぴったりで、シルエットはこのようになります」という感じで発表しました。ショーの始まりから終わりまでを自分の資料に落とし込んで見せる。

──準備期間はどれぐらいあったんでしょうか?

1か月ぐらいです。夢にまで出てくるほど24時間ずっと衣装のことを考えてました。美術館に行っても、本を読んでも、他のアーティストの方のコンサートを見ても、ずっと。どこかにヒントがないかと思って、血眼になっていました。100枚近くデッサンを描いて、その中からどれがベストなのかを考えて。ユーミンさんのことだけを考えてプレゼン資料を作っていきました。

選んでいただいても、すべてがOKというわけではなくて、案を5つ出して1つしか通らないときもあるし、全部通るときもある。

ユーミンさんの場合だったら正隆さん、嵐の場合は嵐の皆さんがコンサートを創っているのでメンバー全員の前でプレゼンしていきました。

──大変そうですね…。

同業者ではなく衣装デザイナーとして声をかけてもらっているので、私自身もアーティストの方からいただく意見にはシビアに向き合っていました。パフォーマンスや世界観にふさわしいか明確なジャッジがくだされるわけですし。

受注したら、次は提案したイメージを具現化していくプロセスがあります。むしろこちらの作業がメイン。私一人の衣装作りとは規模が違うので、チームとしてモノづくりをしていきます。

楽しい嬉しいのその先へ。向き合って見つけた自分の役割

──個人プレーからチームプレーになると仕事のやり方がかなり変わっていきそうです。最近だと、紅白歌合戦に出場した水森かおりさんの衣装も大掛かりで話題になりました。

そうですね。あれも小さな四角い布をひとつひとつ貼り付けて波を表現したので、気の遠くなるような作業でした。4K・8K放送にも対応していたので妥協はできないと思って、3万枚の布を5人の縫製チームで毎日少しずつ縫い付けて完成させました。

大きなデザインになるほど、マネジメントはすごく大事になりますよね。ゴールから逆算してスケジュールを組んで、会議をして、役割分担を決めてチームメンバーに連絡をして……。

表舞台に立つ仕事は個人プレーだったので、デザイナーの仕事を通してチームマネジメントを学んでいます。チームマネジメントは、学校では教えてもらえないから難しいですよね。相手が人だから正解がない。穏やかに接する方が人間関係が円滑に進むと思っていたのに、マネジメントの立場だと逆にうまく行かないこともある。

紅白歌合戦を彩った衣装。裾が幅約20メートルに広がったドレスは波打つ瀬戸内海をイメージした

──昨年には、デザイン会社「STUDEO」も立ち上げられました。より一層、チームでの仕事が増えそうです。

会社を立ち上げたのは、主人と出会ったのが大きいです。彼は広告業界のアートディレクターなので、自分たちが作ったものが世の中でどうワークするのかを一番に考えて来た人。
この姿勢は自分にはないものだったから、すごく影響を受けました。

それまで、私のクリエイションは楽しさや嬉しさという感情が大部分を占めていたのですが、もう一歩、世の中に踏み込んだものを作ってみたいと思うようになりました。30代の時までは、そんなこと考えたこともないというか、畏れ多かった。でも、40代に近づいていくなかで、個人の範囲で収まらない大きなモノづくりができたらと思うようになっていったんですね。社会性をはらんでいる、というか。

クリエイターとしての名刺は本名で渡している

──水森さんの衣装もそうですが、サステナブルを意識した作品が増えたように感じるのも、社会を意識した結果なのでしょうか?

そうですね。あらゆる場面で目にする取り組みなので、それをなしにものづくりを続けてゆくことは難しいとも思いました。だんだんと社会の一員として私なら何ができるのかを意識するようになってきました。

篠原さんデザインのドレス3着。テキスタイルは版画をもとに自身で制作。すべて一貫したコンセプトでつくられている

例えば、40代になってから「四角い生地を余すことなく使い切る」というコンセプトが自分の中で芽生えました。服を作っていると、どうしても余り布が出てしまって、もったいないんです。それを解消できる服作りをしたいと思って、四角い布をなるべく使い切る洋服作りを始めました。水森さんの衣装も、最近制作している作品も、そのコンセプトをベースにしています。

最初から大きな仕事が来るわけではない。仕事は育てていける

──服ではないですが、レザーのアクセサリーを作っていたのも気になりました。国際的な広告賞であるニューヨークADC賞「The ADC Annual Awards」でも賞を獲られて。

篠原さんがデザイン・ディレクションを手がけた革のアクセサリー(日本タンナーズ協会「革きゅん」より)撮影/井上佐由紀

あれは、もともと日本タンナーズ協会さんから「日本の皮革産業や技術の魅力を伝えるためにアイテムを作って、それをコンテンツ化したい」とオファーがあったものでした。オーダー通り、キーホルダーや小物を作って記事にして終わりでもよかったんですけれど、「せっかくものを作るのなら、社会性のあるものがいい」と、逆に提案させてもらってできたものです。

「日本の革製品の素晴らしさを伝えつつ、社会のためになるものってなんだろう?」ということを1か月ぐらい考えて、ようやく「金属アレルギーの人でもつけられるアクセサリーを作ろう」と筋道が見えました。人の肌に触れたときに優しい感触でありながら、金属っぽい造形を革で表現すれば、革職人さんたちの技術力も伝わる。

──ニューヨークADC賞「The ADC Annual Awards」にエントリーしたのは、どういった流れなのでしょうか?

主人の後押しなんです。「いい仕事をしたのだからエントリーしてみたら?」って。私は、自分の仕事が賞をいただけるものだと考えたこともなかったので、尻込みしていたんですね。そうしたら「どんな仕事でも、自分の力次第でいいものになるし、せっかくいただいた仕事だから育てていくといい」と背中を押してくれました。

主人は広告の大きな仕事をしているので、恵まれているんだなと思っていたら、小さな仕事を育てて、やっと自分のやりたい仕事に辿り着いた経緯があったと聞きました。「いい仕事」って最初から来るわけではなくて、「小さな仕事」を魅力的なものに育てていける。革のアクセサリー制作は、それを教えてもらった体験でした。
──ご主人とも素敵な関係で羨ましいです。一緒に会社を経営しているなかで、オンオフはどうやってつけているんでしょうか?

うーん…オンオフってないかもしれないです。大変に見えるかもしれないですけれど、ずっとモノづくりのことを考えているのが私の人生であり、彼の人生なんだと思います。

1人の時間を大切にしようと思うんですが、趣味も食事の嗜好も似ているので…仲間であり、恩師であり、友だちみたいな関係です。

私の実家がお寿司屋さんで、父と母が切り盛りしていたので、夫婦一緒に働くのが小さい頃から見ている日常の夫婦像だったので...そんなふうに生活したいと理想にしていたところはあるんです。今こうして一緒にデザイン会社をやっているのが、とても自然なことだなって思ってます。

──結婚してご自身で変わったと思うことってありますか?

モノづくりに関して、結婚する前は「これが私の作品だ」と強い自我があったんですね。でも、結婚して会社を立ち上げてからは、周りのみんなの意見をすごく聞くようになりました。

意見を聞いたり受け入れるのって、自分の作品が変わっていっちゃいそうで怖かったんです。でも、本当に信頼している人の言葉は、作品を見たことのない世界に連れて行ってくれる。会社のメンバーの意見を聞いて、自分の作ったアイディアを全部ひっくり返すこともあります。みんなの意見をもらってブラッシュアップしていくと、びっくりするぐらい良いモノになったりするんですよね。

黒を着るようになった理由

──40代を機に、仕事もプライベートもすごく変わったように見えました。

そうですね。表舞台に立つ仕事では個人プレー、衣装の世界ではチームというものを知って、会社を作ることで社会を学んで。20年間、仕事を通してたくさん学んできました。今も「新しいことに挑戦してるな!」って毎日感じます。歳を重ねると、なかなか新しいことって体験できないじゃないですか。もちろん、自分の実力のなさに泣くこともあるし、不安になることもあるんですけど、後悔はないんです。

──仕事もプライベートも充実してすごく素敵に歳を重ねているように見えますが、年齢と外見についてはどう考えていますか?

表に出る仕事をしているときは、自分に似合う服やメイクををすごく意識しながら外見を作っていたんです。でも、40代になってから変わりましたね。もちろん、全然気にしないわけではないんですけど(笑)。

中身が外見になっていく。これをすごく実感しているんです。私は、アートディレクターの石岡瑛子さんを尊敬してるんですけど、彼女は佇まいが素敵なんです。石岡さんの作品や信念、人生観が外見に醸し出されている。

私は40歳になってから、「見てもらう仕事」から「作ったものを見てもらう仕事」にキャリアチェンジをさせてもらったので、こういう考えになったんだと思います。自分がどう見られるかよりも、自分の手で作ったものが素敵に映る方が大事。作品が素敵なら、きっと私自身にも反映されていると信じているので(笑)。

今までは「自分があってのデザイン」だったけれど、「デザインあっての自分」に変わったのが、40歳のスイッチなのかもしれません。ようやく自分の軸がくっきり浮かび上がってきました。
──黒い服を着るようになったのも40代に入ってからでしょうか? 最近の写真はモノトーンの服装が多くて、過去のイメージとは違って驚きました。

30代までは黒って何か隠しているようで恥ずかしかった。どちらかと言えば、好きじゃない色だったんです。でも、今は逆に自分にしっくり来るようになったし、ようやく自分に似合うようになれた気がしています。

もしかすると、衣装の現場で黒を着始めたのがきっかけかもしれません。スタッフTシャツって基本的に黒ですし、「篠原ともえ」としての存在ではなく「衣装デザイナー」としての現場の立ち位置だったので、意識的に黒を着ていたんです。裏方でお仕事をしているときに派手な洋服を着ていると、現場で浮いてしまうし、余計な気持ちを周りの人に渡してしまうのはマナー違反。無意識に、自分の仕事の立ち位置とリンクしていたのかもしれません。

服装も仕事もガラッと変えてしまって、昔のファンの方がショックを受けたりしちゃうのかなと思ったこともあったんですけれど、ファンの方からは「変わっていく姿が好き」と言っていただくことが多くて、背中を押してもらっています。何歳からでも変わろうって。
篠原ともえ TOMOE SHINOHARA
デザイナー・アーティスト・ナレーター。1995年歌手デビュー。文化女子大学短期大学部服装学科ファッションクリエイティブコース・デザイン専攻卒。映画、ドラマ、舞台など歌手・俳優・タレント活動を経て、衣装デザイナーとしてもアーティストのステージ・ジャケット衣装を多数手がける。2020年、アートディレクター・池澤樹と共にクリエイティブスタジオ「STUDEO」を設立。昨年、デザイン・ディレクションを手掛けた革のアクセサリーが、国際的な広告賞であるニューヨークADC賞において、トラディショナルアクセサリー・イノベーションの2部門でメリット賞を受賞。
篠原ともえ公式WEBサイト  https://www.tomoeshinohara.net
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WRITTEN BY

嘉島唯

(かしま・ゆい) ニュースポータルの編集者、Buzzfeedの外部記者。cakesでエッセイを連載中。iPhoneとTwitterとNetflixが大好き。苦手なのは、人との会話と低気圧。

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