2020.01.10

武田鼎

がむしゃらアイドル期を経て、菊地亜美が得た“心の余裕”とお猪口たち

好きなものと生きていく#20

元アイドルであり、今はタレントとしてマルチな活躍をする菊地亜美さん。2018年に結婚し、幸せそうな姿をSNSに投稿しています。そんな菊地さん、実はお猪口集めにハマっているそう。その理由を紐解くと話は意外な方向に。変化しながら活躍し続ける秘訣が見えてきました。(撮影/飯本貴子、編集/メルカリマガジン編集部)

「お猪口集め」の趣味は、心の余裕の表れ

「小料理屋さんとかで日本酒飲むときに『この中からお好きなお猪口を選んでください』ってあるじゃないですか。木箱に入ってて。あれにすっごい憧れていたんです」
 
お猪口集めのきっかけについて、そう話す菊地さん。一度ハマると徹底的に追求する性分で、ついに職人を探し出し、専用のお猪口入れを作るほどのめり込んでいる。足掛け4年で集めたお猪口コレクションは40個ほどにものぼる。

「木箱を作ってからそれを自慢したくて友達呼んで。お客さんに『この中から選んで』って言いたかったんですよ(笑)」
 
以前は苦手だった料理も練習し、お酒に合わせて出せるようになった。その腕前は今では友人を招いて自宅で『居酒屋 菊地』というイベントを開くほど。
 
基本的にお猪口との出会いは運任せだ。コレクションは目玉おやじなどのキャラクターものや色鮮やかな江戸切子など幅広い。

「お猪口集めにのめり込むまでは、地方ロケに行っても特に寄り道はしなかったんですよ。最近になってようやく、『おいしいもの食べたいな』とか『かわいいものを買って帰ろうかな』って思える“余裕”が生まれたんです。20代前半は余裕がないどころかガツガツしていて、いかにバラエティ番組で“爪痕を残すか”ってことばかり考えて、寝る間も惜しんでがむしゃらに働いてましたから」
 
これほどまでに必死になっていたのは理由がある。菊地さんの軌跡を紐解けば、まさに苦労の連続だ。決して順風満帆とは言えないキャリアの裏側で、どんな苦境にあっても笑顔を絶やさず、一つ一つの仕事に真摯に向き合う姿勢を培っていった。

志望校は「ホリプロ」、寝袋を担いで上京

「幼少期から漠然とテレビに出たいって思いがあったんです。高校の志望校には一人だけ『ホリプロ』って書いてたほどで(笑)。だから当然、将来自分はテレビに出る人間になるんだなって思っていました」
   
北海道・北見市出身の女子高生の夢はあっさりと打ち砕かれる。待っていたのはオーディションに落ち続ける日々だった。粘ること1年、レプロエンタテインメントのオーディションでは最終選考まで残るもののグランプリを逃してしまった。
 
だが、オーディションの後にレプロのスタッフから言われた「よかったらうちで頑張ってみませんか?」という何気ない一言を真正面から信じ込んだ。「行きます」と即答し寝袋を担いで上京。なんとか今の事務所に“潜り込む”ことで東京進出への足がかりを掴んだ。

だが、上京したはいいが、ほとんど仕事がない日々が続いていた。そんなときたまたま舞い込んだのが、アイドルプロジェクト「アイドリング!!!」の第2期生募集。「歌とダンスは苦手だったんです。でもバラエティの要素もあるって聞いて、『やります』って即答しました」。
   
アイドリング!!!に加入してもセンターに立つことはなかった。自分のファンが少ないことは客席のうちわやタオルの数を見れば一目瞭然だ。その上、アイドリング!!!に加入した2008年はAKB48が大躍進を遂げようとしていた。
 
雨後の筍のように登場するアイドル戦国時代にあって、歌も踊りも得意でない菊地さんは無情な現実に叩きのめされた。
だが、それでも彼女はめげなかった。

「それならなんでもやるって決めたんです。テレビ番組のアンケートにも隅から隅まで細かかく答えるし、『最近悲しかった話』などのトークテーマを振られてもいいようにテーマごとにネタ帳をつけて。しかもそれを事務所のマネージャーさんに話に行く。そんな“アイドル”ホント面倒くさいですよね!」と笑い飛ばす。

バラドルとしての苦悩と、ターニングポイント升野英知の存在

そんな地道な努力の末、2013年には年間200本以上の番組に出演するようになり、幼少期からあこがれた”芸能人”になった。だが一方で、バラドルとしての苦悩が生まれたのもその頃だ。

「当時の私はいろんなジャンルの番組に出過ぎてて、隙あらばなんでもやろうって感じでした。升野さんに『すごいとっ散らかっているから、本当に自分が“これ”っていうのを見極めないと長くやっていくのは大変なんじゃない? やることはいいけどやりすぎも良くないんじゃない』って言われて。それからですかね。ちょっと余裕が出てきたのって」

がむしゃらアイドル期やトゲトゲ期を経て得た、大人の余裕

ただがむしゃらに休みなく突っ走ってきた足を止め、自分を見つめる余裕ができた。「プライベートどころか寝る間もなく頑張ってきたんで。まったく苦しいとは思わなかったですけど、ちょっと自分のプライベートとか将来のこととか考えるようになって」。

そう言うと菊地さんはおもむろにスマートフォンを触り始めた。「実は誰にも公開していないインスタグラムのアカウントがあるんですよ」。その秘密のアカウントでは、仕事で思ったことやプライベートでの出来事を密かに書き留め、日記代わりに使っている。
 
「誰にも公開していないから恥ずかしい」と言いながらも、こっそりと内容を見せてくれた。
 
2017年の4月にはこんなふうに綴られている。
 
今までは仕事に貪欲って感じだったのに、いつからかプライベートも楽しみたいって思っているから、好きな仕事もたくさんして、いろいろ経験して逃げ出したいときもあったけど、たくさん楽しんだし、後悔なく自分のやっていることに誇りを持ちたい
 
この投稿からちょうど2週間後に今の夫と友人の食事会を通して出会うことになる。
 
「それまで“結婚はタイミング”って言われても『なにそれ?』みたいな感じでした。でもちょうど心境の変化があったタイミング出会ったから結婚できたのかな、って。もし昔のトゲトゲに尖っていた自分だったら、旦那さんと出会っていてもなんとも思わなかったでしょうし。やっぱ結婚はタイミングなんだなぁって(笑)」
 
元アイドルでありながら結婚についてあけすけに話してくれる。「今までいろいろ出しているのに、そこだけ隠す必要あるかなって(笑)」。
 
歌も踊りも不得意だった元アイドルはなぜ、バラエティ番組という土俵で戦い続けることができるのだろうか。本人は起用される理由が今もわからないようだ。「なんでだろ……。私の代わりなんて正直いっぱいいると思うんですけど、でも……。」
 
するとマネージャーが「よく言われるのは“安心感”ですかね!」とこっそりフォローを入れてくれた。

「ちょっと! うれしい!  そういうのもっと教えてくださいよ!(笑)」。そう突っ込むと現場がにわかに活気づく。
 
何気ない一言でふわりと場を和らげたり、ぱっとにぎやかにしたり。変化に富み、予測困難なバラエティの世界だからこそ「この人がいれば大丈夫」という菊地さんの安心感が光るのかもしれない。
 
がむしゃら期からトゲトゲ期を経て――。菊地さんには29歳の「余裕」が漂っている。

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菊地亜美(きくち・あみ)
1990年9月5日北海道生まれ。2006年、レプロガールズオーディションにエントリーし、最終審査で落選するも審査員に声をかけられ所属が決定。その後、アイドリング!!!16号として活躍し、2014年に同グループを卒業。2018年に一般男性と結婚し、現在はバラエティー番組を中心にマルチに活躍中。

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武田鼎

(たけだ・かなえ)経済記者だったはずが、気づけば”なんでも屋”の編集者に。好きなものはアメコミとコーギー犬。

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