忘れがたい思い出がある、なぜか分からないけど手放せない――ずっと持ち続け、本棚で”熟成”させて年代物となった、ご自身にとっての「ヴィンテージ・ブック」を紹介していただく書評連載です。初回はライター・武田砂鉄さんの1冊です。(文/武田砂鉄、イラスト/久保田寛子、編集/メルカリマガジン編集部、ノオト)
自分の書いた原稿が初めて雑誌に掲載されるのを心待ちにしていた日の興奮を覚えているが、いや、でも、正確には覚えていないのだと思う。もっと興奮していたはずだし、もっと緊張していたはずだ。もしかしたら今日売っているかもしれないと発売日の前日に本屋さんに出かけ、もちろん売ってなくて、翌朝、再び本屋さんにかけこんだら、そもそも入荷のない店で、肩を落として家に帰ってポストをのぞいたら、編集部から見本が届いていた。寄稿者には見本が送られてくるという習慣さえ知らなかったのだ。
初めての本を出したのが2015年で、その前は出版社で働いていたとのプロフィールを載せているので、そのあたりからライター業を始めた人と思われていることが多いのだが、実際には、2001年末から細々とライター業を始めている。『beatleg』という洋楽ロック専門雑誌に「ライター募集」の告知を見かけ、ルーズリーフに思いの丈を綴って送ったら、編集長から電話がかかってきた。早速、編集部に出かけると、2分の1ページ分をキミのために空けたからコラムを連載してほしいと言われた。代々木にあった編集部からの帰り道、「うわ、これ、ほんと、アレみたいじゃん!」と興奮した。アレとは何かについては後ほど。
第1回のコラムが載った雑誌の発売を指折り数えて待った。原稿を送ってから2週間後くらいに、自分の名前が印字された雑誌として発売される。入学1年目の大学には、ちっとも馴染めなかったのだが、誰にも言わず、「自分、雑誌にコラム連載持ってるんです」と頭の中で繰り返しながら、端っこのほうで授業を受けていた。君たちと違って、コラムの内容考えなきゃいけないんでね、と思っていた。嫌な奴だ。でも、嫌な奴アピールする感じにさえなれず、上っ面な会話を続けていた。初めて自分の名前が刻まれた号は、しばらくカバンの中に入れていた。電車の中で開いては閉じ、ニヤニヤしていた。いやー、載っちゃったね、雑誌に、と何度でも興奮できた。結局、その雑誌連載は、出版社で働いていた約10年間を丸ごと飛び越えて、2016年初頭に雑誌が休刊するまで続いた。15年ほど書かせてもらったことになる。あの雑誌がなければ、今こうして、この仕事を本業にすることはなかった。
「アレみたいじゃん」と興奮した、と書いた。アレとは何か。映画『あの頃ペニー・レインと』だ。大学に入った年、2001年春に公開された映画だ。製作・監督・脚本を務めたのが、キャメロン・クロウ。彼自身が映画のモデルとなっており、彼は15歳の時から、音楽雑誌『ローリング・ストーン』に寄稿するジャーナリストになった。その経験を踏まえた映画では、弁護士を目指していた成績優秀な少年・ウィリアムがロックにのめり込み、雑誌や新聞に載った原稿が『ローリング・ストーン』の編集者の目に留まり、やがて、ロックバンドに帯同して記事を書くことになる。そこにはケイト・ハドソン演じるペニー・レインと名乗るグルーピーがいて、ウィリアムは好意を寄せていく。映画の全編で70年代を中心としたロックバンドの名曲群が流れており、ロックの世界が勢いよく躍動していく時代を見事に描いている。物書きとしてのウィリアムの姿勢はとにかく誠実。ある日、ツアーに帯同していたバンドのギタリストが、実家住まいのウィリアムの家にやってくる。部屋に招き入れたウィリアムは、テープレコーダーを置き、マイクを差し込み、マイクをギタリストに向ける。
「What do you love about music?(音楽の何を愛していますか?)」
青臭い質問だが、そのまっすぐな眼差しに引き込まれていく。
初めての本を出したのが2015年で、その前は出版社で働いていたとのプロフィールを載せているので、そのあたりからライター業を始めた人と思われていることが多いのだが、実際には、2001年末から細々とライター業を始めている。『beatleg』という洋楽ロック専門雑誌に「ライター募集」の告知を見かけ、ルーズリーフに思いの丈を綴って送ったら、編集長から電話がかかってきた。早速、編集部に出かけると、2分の1ページ分をキミのために空けたからコラムを連載してほしいと言われた。代々木にあった編集部からの帰り道、「うわ、これ、ほんと、アレみたいじゃん!」と興奮した。アレとは何かについては後ほど。
第1回のコラムが載った雑誌の発売を指折り数えて待った。原稿を送ってから2週間後くらいに、自分の名前が印字された雑誌として発売される。入学1年目の大学には、ちっとも馴染めなかったのだが、誰にも言わず、「自分、雑誌にコラム連載持ってるんです」と頭の中で繰り返しながら、端っこのほうで授業を受けていた。君たちと違って、コラムの内容考えなきゃいけないんでね、と思っていた。嫌な奴だ。でも、嫌な奴アピールする感じにさえなれず、上っ面な会話を続けていた。初めて自分の名前が刻まれた号は、しばらくカバンの中に入れていた。電車の中で開いては閉じ、ニヤニヤしていた。いやー、載っちゃったね、雑誌に、と何度でも興奮できた。結局、その雑誌連載は、出版社で働いていた約10年間を丸ごと飛び越えて、2016年初頭に雑誌が休刊するまで続いた。15年ほど書かせてもらったことになる。あの雑誌がなければ、今こうして、この仕事を本業にすることはなかった。
「アレみたいじゃん」と興奮した、と書いた。アレとは何か。映画『あの頃ペニー・レインと』だ。大学に入った年、2001年春に公開された映画だ。製作・監督・脚本を務めたのが、キャメロン・クロウ。彼自身が映画のモデルとなっており、彼は15歳の時から、音楽雑誌『ローリング・ストーン』に寄稿するジャーナリストになった。その経験を踏まえた映画では、弁護士を目指していた成績優秀な少年・ウィリアムがロックにのめり込み、雑誌や新聞に載った原稿が『ローリング・ストーン』の編集者の目に留まり、やがて、ロックバンドに帯同して記事を書くことになる。そこにはケイト・ハドソン演じるペニー・レインと名乗るグルーピーがいて、ウィリアムは好意を寄せていく。映画の全編で70年代を中心としたロックバンドの名曲群が流れており、ロックの世界が勢いよく躍動していく時代を見事に描いている。物書きとしてのウィリアムの姿勢はとにかく誠実。ある日、ツアーに帯同していたバンドのギタリストが、実家住まいのウィリアムの家にやってくる。部屋に招き入れたウィリアムは、テープレコーダーを置き、マイクを差し込み、マイクをギタリストに向ける。
「What do you love about music?(音楽の何を愛していますか?)」
青臭い質問だが、そのまっすぐな眼差しに引き込まれていく。
物を書く仕事には高校時代から憧れがあって、ラジオ番組に長めの文章でリクエストを送ったり、音楽雑誌に投稿したりしていたが、ああ、こういう仕事がしてみたい、と改めて思ったのがこの映画で、公開されたタイミングは大学に入ったばかりの4月と、なんともタイミングが良かった。大学にある音楽雑誌サークルに顔を出すと、雑誌作りなどほとんどせずにイベントの運営に明け暮れているとわかり、すぐに行くのをやめた。
映画のシナリオ対訳本を買った。台本通りの英文が左ページに、日本語訳が右ページに載っている本なのだが、正直、頭から最後まで読み通したことはない。でも、ずっと長いこと、もう20年もの間、本棚の目立つ位置にささり続けている。映画を観た当時、自分は18歳だったが、早く音楽雑誌に書けるようになりたい、そのためには売り込まなくては、と焦っていた。だって、ウィリアム少年は、そして、キャメロン・クロウは15歳だったから。その後で発見したのが、先述した『beatleg』だったというわけだ。
ウィリアムに連絡をしてきた『ローリング・ストーン』の編集者が彼に言う。
「君はくるっと振り向いて、引き返し、弁護士か何かになるべきだ。でも君の顔を見てると、そうはしないって気がするな。35ドル払おう。ブラック・サバスについて1000語以内で書いてみろ」
自分の思いの丈を原稿にしてお金をもらう。アーティストにマイクを向けて話を聞く。キャリアなど関係なく、共通の舞台に立たされる。今、様々な仕事をしていると、そのひとつひとつへの思い入れがどうしても薄まってくる。送られてきた掲載誌を数日放置している事さえあって、そんなこと、あの頃であればありえなかった。慣れてしまったのだろうか。興味が薄れてしまったのだろうか。そんなことはない、と思いながらも、でも、そんなことはあるのだ。やっぱりちょっと、いや、かなりだいぶ、慣れてしまっているのだ。
新鮮な気持ちというものはなかなか取り戻せないけれど、この本をパラパラめくると、ああ、自分はこういう仕事をやりたくってたまらなかったんだ、と思い出す。ちゃんとやってんだろうなオマエと、今の自分を監視されているような気持ちになる。
映画のシナリオ対訳本を買った。台本通りの英文が左ページに、日本語訳が右ページに載っている本なのだが、正直、頭から最後まで読み通したことはない。でも、ずっと長いこと、もう20年もの間、本棚の目立つ位置にささり続けている。映画を観た当時、自分は18歳だったが、早く音楽雑誌に書けるようになりたい、そのためには売り込まなくては、と焦っていた。だって、ウィリアム少年は、そして、キャメロン・クロウは15歳だったから。その後で発見したのが、先述した『beatleg』だったというわけだ。
ウィリアムに連絡をしてきた『ローリング・ストーン』の編集者が彼に言う。
「君はくるっと振り向いて、引き返し、弁護士か何かになるべきだ。でも君の顔を見てると、そうはしないって気がするな。35ドル払おう。ブラック・サバスについて1000語以内で書いてみろ」
自分の思いの丈を原稿にしてお金をもらう。アーティストにマイクを向けて話を聞く。キャリアなど関係なく、共通の舞台に立たされる。今、様々な仕事をしていると、そのひとつひとつへの思い入れがどうしても薄まってくる。送られてきた掲載誌を数日放置している事さえあって、そんなこと、あの頃であればありえなかった。慣れてしまったのだろうか。興味が薄れてしまったのだろうか。そんなことはない、と思いながらも、でも、そんなことはあるのだ。やっぱりちょっと、いや、かなりだいぶ、慣れてしまっているのだ。
新鮮な気持ちというものはなかなか取り戻せないけれど、この本をパラパラめくると、ああ、自分はこういう仕事をやりたくってたまらなかったんだ、と思い出す。ちゃんとやってんだろうなオマエと、今の自分を監視されているような気持ちになる。
武田砂鉄(たけだ・さてつ)
1982年、東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年よりライターに。『紋切型社会――言葉で固まる現代を解きほぐす』で第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。他の著書に『日本の気配』『わかりやすさの罪』『偉い人ほどすぐ逃げる』などがある。週刊誌、文芸誌、ファッション誌、ウェブメディアなどの媒体で連載を多数執筆するほか、近年はラジオパーソナリティとしても活動の幅を広げている。
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