「私にとってアリスは、“こんなふうになりたい”という憧れの象徴なんだと思います」
『アイドルマスターシンデレラガールズ』『中二病でも恋がしたい!』などさまざまなアニメ作品で活躍する声優の上坂すみれさんは、自宅の本棚にずっと置いてある一冊についてそう語る。
小学生のころに読んでいたものの、大人になってからはほとんど読み返したことがないという、ルイス・キャロルの『ふしぎの国のアリス』。次々と支離滅裂で不可解な出来事が起こるこの作品の世界は、上坂さんいわく“サイケな明晰夢”だ。キャラクターも奇妙で、挿絵も不気味。「めちゃくちゃ大好き、というわけでもないんです」というこの本を、上坂さんはなぜ手放せなかったのかーー。
(聞き手・構成/山本大樹、イラスト/久保田寛子、撮影/小野奈那子、編集/メルカリマガジン、ノオト)
現実逃避のパワーにあふれた、少女・アリスの無敵感
実は私、この本を一冊通して読んだ記憶がないんです。子供のころ、いつも寝る前にベッドの中で適当なページを開いて、10ページくらい読んですぐに寝落ちしていました。それでも、ちゃんとストーリーを追わなくても楽しめる作品なんです。
『ふしぎの国のアリス』と出会ったのは、11歳のとき。通っていた塾の本棚で立派なブックケースに入っていたのが気になって、なんとなく手にとって「ほしいな」と思ったんです。それで福音館書店から出ていた同じ本を母に買ってもらいました。当時はパソコンが趣味だったんですけど、ずっとそればっかりやっていると怒られちゃうので、童話の本だったら買ってくれるんじゃないかな? と思って。
なんでこの本がほしいと思ったのか今でも不思議なんですよね。ブックケースの絵もアリスが溺れかけている場面だし、挿絵も劇画調でちょっと不気味じゃないですか。童話なんだから、もうちょっとかわいく描いてくれてもいいんじゃない……? って思います(笑)。
『ふしぎの国のアリス』は、主人公のアリスが不思議の国に迷い込んで冒険する夢の中を描いたお話です。
その世界には、人間はアリスしか出てきません。笑うネコに水タバコを吸うイモムシなど次々とヘンテコなキャラクターが登場するし、公爵夫人が自分の赤ちゃんを「ブタ」と呼んだり、トランプのハートの女王様が「ネコの首をちょんぎれ!」と言い出したり、起きる出来事も支離滅裂。それなのに、アリスはときどき「奇妙な感じがする」と言うだけで、平然としているんです。
読者からしたら「ずっと奇妙だよ!」とツッコみたくなるんですけど、たしかに夢を見ているときって、変なことが起きてもスルーしちゃいますよね。「アリス、変なお茶でも飲んだのかな?」と思ってしまうような、サイケな明晰夢みたいな物語なんです。
これは私の勝手な想像ですが、作者のルイス・キャロルさんはきっと孤独でヤバい人だったんだろうな、と思います。友達がたくさんいるような人だったら、こんな偏屈なキャラクターばっかり出てくる小説を書かないですよね。
読んでいて感動するでもないし、元気が出るわけでもない。でも、とにかくアリスは少女特有の無敵感と絶対的なかわいさを持っていて、ヘンテコなキャラクターたちとも仲良くなれる。そういう現実逃避のパワーにあふれた作品なんです。
読み返さないのにずっと捨てられない 天真爛漫な少女の象徴
この本はめちゃくちゃ大好き! というわけではなく、読み返したのも本当に久しぶりなんです。それなのに持っている本の中ではいちばん昔から本棚に置いてある。何年かに一度本を一気に処分することがあるんですけど、なぜか手放せませんでした。
ただ、本を読み返していなくても、アリスとはさまざまな場所で出会ってきました。私の好きなアニメやゲームに出てくることもありますし、声優のお仕事を始めてからは、「アリス」という名前のキャラクターを演じたこともあります。
中学生のころにロリータ文化が好きになってからは、アリスとロリータ服との親和性の高さにも気がつきました。もう廃刊になってしまった『ゴシック&ロリータバイブル』というファッション誌が大好きだったんですが、その雑誌では毎シーズン『ふしぎの国のアリス』をモチーフにした服が紹介されていて。ロリータ・ファッションは「いつまでもメルヘンな世界にいたい」という少女の憧れの象徴なので、そういう意味でもアリスとは関係が深いんです。
最近も、スーパーファミコン版の『真・女神転生』で遊んでいたら「アリス」という名前の女の子が出てきました。おじさんをふたり引き連れて主人公を殺そうとするキャラクターなんですけど、もし普通の名前の女の子だったらひどいキャラだなと思っていたかもしれません。でも「アリス」だったらやるかもしれないな……と思えてしまうし、なんでも許されちゃう感じがします。『ふしぎの国のアリス』の原作が持っているパワーですよね。
そう考えてみると、私にとってアリスは「こんなふうになりたい」という憧れの象徴なんだと思います。
無敵でかわいくて、行動力があって、自分の意見もはっきり言える。怖い顔の女王様に「死刑」って言われているのに「そんなの馬鹿げてるわ!」と言い返せる強さも持っている。
子供のころの私はどうやったら怒られないかばかり考えている子だったので、アリスのように天真爛漫な少女に憧れていました。大人になった今も、いつまでも少女のままで、挫折を知らないアリスがうらやましい。今まで何度本を処分しても、この本だけはずっと手放せなかった理由も、そこにあると思います。きっと、お守りみたいなものなんでしょうね。
背伸びして読んだ本も、無駄ではなかった
『ふしぎの国のアリス』を読んで以来、私は夢野久作や江戸川乱歩、横溝正史など、「アリス」の物語が内包していたミステリー文学の方向にどんどん興味を持つようになりました。
そこから中二病を経験した人なら誰もが読んだであろう『ドグラ・マグラ』(夢野久作)や、楳図かずお先生のマンガ……同世代の子たちが知らなそうな作品や文化を探すようになりました。中野ブロードウェイの「タコシェ」で、絶対に中学生が読まなそうな本の表紙だけを見て、ビビって帰ったこともあります。
こうやって子供のころからの自分の読書歴を振り返ってみると、ずっと知的な人間になりたかったんだろうな、って思います。休み時間にクラスメイトたちの会話を聞きながらフロイトの『夢判断』を読んでいる自分に酔っていたというか……。客観的にみるとめちゃくちゃ恥ずかしいですけど、そうやって読んでいたものが意外と身についているんですよね。だから、背伸びするのも決して無駄ではなかったな、と思います。
※ゴシック・ロリータのビジュアルと耽美的でメルヘンチックな楽曲が特徴的な音楽ユニット
夢みたいなお仕事ばかりではないけれど
私も声優になる前は「アニメのキャラクターになれて、歌って踊って、夢のような仕事!」と思っていました。でも、実際にはもちろん夢みたいなことばかりではありません。大変なこともあるし、努力しなきゃいけないこともある。声優だって領収書をもらわないといけないし、水道代も払わないといけない。
でも、私の出演している作品に憧れや楽しみを求めてくれている人に対して、そういう現実を見せるのは本意ではなくて。できることならアリスのように、みんなから「上坂さん、いつも自由で楽しそうでうらやましいな」って思ってもらいたいんですよね。
アリスはあんなに大変な目に遭っているのに、愚痴を言いません。穴に落っこちるだけでも大変なのに、体が大きくなったり小さくなったり、動物たちに振り回されたり……。それでも「まあ、大変ね」と言うだけで、涼しい顔で問題をクリアしちゃう。そういう強くて自由なアリスを心の中に住まわせることで、自分を肯定している気がします。
だから私も、現実的な悩みや大変なことは、なるべく表には出さないようにしようと思っています。でも、最後まで私のことを見守ってくれるファンの方には、少しだけ教えてあげてもいいかもしれません。上坂すみれの物語の「あとがき」みたいな感じで……(笑)。
『不思議の国のアリス』でも、あとがきには現実のルイス・キャロルさんの生涯について書かれているんです。私の現実的な話も、それくらいさりげなく書いておくのがいいな、って。
振り返ってみると、お仕事でもプライベートでも、いろんな面でアリス的なライフスタイルを心がけてきた気がします。今までほとんど意識したことはなかったけど、やっぱり心の中にずっといたのかもしれないですね、アリスが。
『ふしぎの国のアリス』ルイス・キャロル作/生野幸吉訳/ジョン・テニエル画(福音館書店/1971年初版)
1865年にイギリスで刊行された児童小説の傑作の日本語訳に、原初版にあるジョン・テニエルの挿絵も収載したハードカバー本。「チョッキを着たへんてこなウサギのあとを追って、アリスはウサギの穴の底にひらかれた不思議な世界に迷い込みいます。そこで出会う奇妙な人物や動物たち、ちぐはぐな会話、とっぴょうしもないできごとの数々……。子どもへの教訓と道徳から解き放たれ、ユーモアとナンセンスあふれる純粋な空想の世界を、定評ある初版のジョン・テニエルによる挿絵でお楽しみください」(福音館書店公式サイトより)。
上坂すみれ
1991年12月19日生まれ、神奈川県出身。2011年に声優デビュー。TVアニメ、ゲーム、ナレーション等に出演し、2013年からは歌手としても活動中。
昭和歌謡、メタルロック、戦車、ロリータ、プロレス等、多方面に興味を示し知識を持つ、唯一無二の声優アーティスト。
主な出演作品は「中二病でも恋がしたい!」凸守早苗役、「スター☆トゥインクルプリキュア」ユニ/キュアコスモ役、「ウルトラマントリガー」カルミラ(声の出演)など。2022年はTVアニメ「うる星やつら」でラム役を演じることが決定している。