「こんな機会だからこそ、無理になにかする必要なんて、ない」塩谷舞 #みんなのおうち時間

みんなはいま、どんな時間を過ごしているのだろう。

こんなときだからこそ、普段は人に見せない「おうち時間」を、ちょっとのぞかせてもらえませんか――メルカリマガジンのそんなお願いに、さまざまな書き手の方が〈寄稿〉というかたちで参加してくださいます。

(文・写真/塩谷舞、編集/メルカリマガジン編集部)

「お気に入りの家での過ごし方を、記事にしてもらえませんか?」



──メルカリマガジン編集部から、そんなお題が届いた。




最近こうした流れが自然と、あちこちで増えている。いろんなところでいろんな人が、おうち時間を豊かに過ごすための提案をしてくれている。Google Trendsによると、3月25日に小池東京都知事から出された「自粛要請」の後を追いかけるように、「おうち時間」の検索数が急上昇している。

まるで兄弟のように見える青と赤のグラフは、非日常に投げ出された多くの人たちが、その数日後にはどうにか心を取り戻そうと、せめてしゃんと暮らそうと、家の中でスマホ片手に希望を探しはじめたことを物語る。現代に生きる私たちは、不安に苛まれたとき、まるで神に願うように言葉を検索窓に入力していたりもするんだ。

私は今、アーティストの夫とふたりでニューヨークで暮らしている。希望を掴みに来たはずの場所が、パンデミックの中心地に様変わりすることになろうとは。3月半ばまでは、4月から予定していた夫のニューヨークで初めての個展を成功させようと奮闘していた。しかしウイルスはあっというまに街に蔓延し、個展どころか、外で食事をすることも、友人に会うことも出来なくなった。



換気するために開けたコンドミニアムの窓の隙間からは救急車のサイレンが鳴り響いてくるし、近隣では陽性患者が何人も出ている。知人が闘病中、知人の知人が亡くなってしまった──…そうしたSNSを通じての訃報は、日々の悲痛なニュースがフェイクなんかじゃないことを嫌でも知らしめてくる。


けれども、市井の人である私たちに出来ることはまず、Stay homeという実に平凡な営みなのだ。闘う人たちの言葉を目にしながらも、前線で闘っていないことへの無力さを感じながら、InstagramでStay homeのスタンプを添える。ニューヨーク州知事のアナウンスに日々耳を傾け、そこで発表された施策により日常が狭められていく。


歴史の教科書で「民衆が」という言葉をまるで他人事のように読んでいたけれど、この状況のもとでようやく、自分は民衆の中の一粒なのだな、という当たり前の事実を噛みしめる。

Instagramは、Stay homeを「おうち時間」と日本語訳した。おうち時間。これは暮らし系と呼ばれる人たちが以前から使っていたハッシュタグであり、実にInstagram的である。直訳ではない、とても馴染みやすいローカライズだなぁと思うと同時に、小さな違和感も抱いてしまった。


何を隠そう、私自身「暮らし系」インスタグラマーにカテゴライズされそうな人種である。日頃から暮らしを整えることにささやかながら深い生き甲斐を感じていた。自らの手に馴染む器を揃え、抹茶を点て、破けた服の穴を繕い、出来る限りのものを自作する。「おうち時間」の過ごし方をシェアすることは、喜びであり、世界とつながるための手段であり、平常時の飯の種だった。




けれども、それは狭い世界で楽しむ蜜のような趣味であり、数多の多様性の中から選び取ったひとつの在り方に過ぎない。ていねいすぎる暮らしは、自らの美意識への静かな挑戦のようなもので、誰も彼もに勧めたいライフハック、という訳じゃあないんだ。



私は「おうち時間」を楽しむ小惑星を好んで、以前から居を構えていたけれど、それとは別にこれまでは、いろんな惑星があった。

大音量の渦の中で踊り狂う小惑星や、ハードワークに生き甲斐を感じながら走り続ける小惑星、仲間たちと一つのものを作り上げる小惑星、いろんな惑星があったんだ。平和な世界で人々は、多様な惑星の間を自由に飛び回ることが出来た。


ただ、だれもかれもが今、不可抗力的な引力で「おうち時間」という、なんともやさしそうな惑星に一極集中している。




SNSを開けば、こんな言葉がずらりと並ぶ。



こんな機会だからこそ、お菓子を焼いてみよう。
こんな機会だからこそ、読書の旅に出かけよう。
こんな機会だからこそ、家庭菜園を始めてみよう。
こんな機会だからこそ、こんな機会だからこそ……




やさしい言葉に見えるのに、なんだろう、すこし喉の奥がギュッとする。たとえるならば、先月までは東京カレンダーもGO OUTもNYLONもメンズナックルもPopteenもHanakoもGENICもForbesもあったのに、いきなりそれらがすべて突然「暮しの手帖」に集約されるような事態である。なんてカオスなんだ!




それに、今は歴史的パンデミックの渦中。緊急事態なんだ。あちらもこちらも、右往左往している。信頼とか、安心とかが、根底から揺さぶられている。そんな中にいながらも、気分を切り替えて穏やかに過ごせるほど、人間は器用じゃない。


不安になる。ストレスを感じる。怒りがこみ上げてくる。無力感に包まれる。興奮してくる。そのどれも、おかしな感情なんかじゃない。誰もが経験したことのない非日常の真ん中にいるんだ。そうした感情を抱くことは私たちの心が確かにそこに在る、という証拠だ。




「こんな機会だからこそ」

だからこそ、落ち込んでいい、泣いていい。弱音を吐いていい。クッキーなんか焼かなくったっていい。読書や勉強して成長を求めなくてもいい。SNSの中と比べなくていいし、無理矢理アウトプットしなくていい。ちゃんと感情を感じていい。

雑でいい、てきとーでいい、でも最低限、腹が空けば飯を喰らおう。ごま油で野菜を炒めたらだいたい旨いし、バナナも剥くだけで食べられる。あとアメリカ生活を通してわかったことがあるが、日本のカップ麺は世界最高峰に旨い。虫歯や健康には気をつけたいが、何も食べないよりは全然マシだ。




この不穏でストレスフルな空気を浴び続けながら生命活動を維持してるだけでもう、めちゃめちゃすごいことなんだ。その上でさらに価値あるものを産まなければ、だなんて思い詰めなくていい。自分という価値ある存在を守り切るだけで、もう充分なんだ。


人によって置かれる状況は違うけれども、ストレスというのは相対評価ではなく、自分だけの絶対評価でしか測れない。

ニューヨークに事実上の外出禁止令が出されてから、ちょうど1ヶ月が経過した。

その間わたしは、なにひとつ誇れるような過ごし方をしていなかった。ニュースを見ては落ち込んだり、焦ったり、心を痛めたり──…ひとしきり感情的になったあと、少しずつ現実を受け入れる準備ができて、やっとこの原稿を書いている。


しかしこんな状況下でも、SNS越しには、困っている人を助けようと、事態をなんとか好転させようと、必死に闘う人たちの勇姿が見える。弱者を助けられる人は、なんてカッコイイんだろう。闘う人たちは、なんて強いんだろう。私だって誰かを助けるヒーローに憧れたけれど、大人になって世界の窮地に直面したとき、恥ずかしながら、自分は自分を守るので精一杯だった。


私はヒーローでもなかったし、革命家でもなかった。
自分の心と生命活動を守ることに精一杯の、ただの民衆だ。



でも今は、それをちゃんと許容したい。そして生き延びよう。生き延びるのだ。たくさんの中の一粒として。

塩谷舞(Mai Shiotani)
milieu編集長・文筆家。大阪とニューヨークの二拠点生活中。1988年大阪・千里生まれ。京都市立芸術大学卒業。2009年、アートマガジンSHAKE ART!を創刊。会社員を経て、2015年より独立。

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