父・手塚治虫が描いた少女マンガをいま読み返す

手塚治虫の作品は代表作『鉄腕アトム』『火の鳥』『ブラック・ジャック』など、少年誌に掲載されていた印象がありますが、多くの少女マンガが存在することをご存知でしょうか?
 
いつ読んでも色あせることのない、深い魅力のある「手塚作品」を今読み返したい。そんな編集部のリクエストに、手塚治虫の娘である手塚るみ子さんが応えくれました。
 
手塚さんの紹介してくれる少女マンガの各タイトルの見どころを知るたびに、新たな視点で「手塚作品」が楽しめるかもしれません。
(文/手塚るみ子、編集/メルカリマガジン編集部)
マンガ家の娘ではあるけれど、父・手塚治虫の描いたマンガをすべて読破しているかといえば、そんなことはない。
 
なにせ父の作品は全部で700タイトル以上もあるのだ。もちろん子どもの頃はさんざん読んできたけれど、いちど読んでそれっきり読み返していない作品だって、かなりある。今でこそ仕事として父親の創作物に携わるようになり、作品をあらためて読み返す機会も増えてはいるものの、それでもすべて読み込んだとは到底言えない。世の手塚ファンに比べたら断然に勉強不足だろう。
 
けれど、そんな程度だからこそ、あらためて読み返した時に思いがけない発見や新たな感銘を得られるのではないかと思っている。コアなファンにはいまさらな話でも、手塚治虫のことをざっとしか知らない人にとって、それは新鮮な魅力に感じるだろう。何をキッカケに手塚マンガへ関心を持つのか、そのフックを作るのが自分の仕事である。そのフックは、難しい作品論などではなく、単純なインパクト、可愛い、楽しい、可笑しい、バカバカしい、エロい、怖い…等々、反射的に人が心動かされる要素のなかにある。


さて、前置きが長くなってしまった。
 
今回、あらためて手塚マンガを読み返してほしいというミッションがこのステイホームな機会にやってきた。そこで、これまで私があまり読んでこなかった手塚治虫の少女マンガを手に取ってみることにする。
 
手塚治虫といえば、代表作『鉄腕アトム』『火の鳥』『ブラック・ジャック』など、ほとんどの作品は少年誌・青年誌に掲載されたもので、少年マンガの代表作家と思われがちだ。しかし、実は手塚は多くの少女マンガを描いてきていることをご存知だろうか。まず誰もが思い浮かぶのはTVアニメにもなった『リボンの騎士』だろうが、それ以外にも35~40近くの少女向け漫画作品があるのだ。
 
その多くは1950年代から60年代前半までの約10年間に集中して描かれたもので、『リボンの騎士』が連載されていた『少女クラブ』をはじめ、『少女の友』『少女ブック』『少女』『なかよし』と少女誌が次々創刊され、そのどれにも手塚マンガが載っていて、一時期は月々に抱えている連載のうち半分くらいが少女マンガだったこともあったとか。
 
この機会にそのほとんどを再読してみたけれど、とても全部は紹介しきれないので、特に心に残ったものを幾つか紹介したい。

『リボンの騎士』には3つのバージョンがある

『リボンの騎士』©手塚プロダクション

少女向け手塚作品の筆頭と言えば『リボンの騎士』だろう。手塚治虫が少女マンガを描くキッカケとなった最初の作品であり、ダイナミックなドラマ性を持たせたことで日本の少女マンガの革命的な存在とも言われている。TVアニメはつとに有名だが、はたして原作を読んだ人はどれほどいるだろう。ましてや1953年の少女クラブ版を。私自身も最初は1963年のなかよし版でしか知らなかった。
 
少女クラブ版『リボンの騎士』の創作の背景には、宝塚歌劇がある。サファイアが王子の格好をして白馬にまたがり、勇ましく剣で争う…いわゆる男装の麗人の活躍であるとか、華麗なダンスのモブシーンなどは、宝塚歌劇のレビューの影響を色濃く受けたものだ。
 
その一方、亜麻色の髪の乙女に扮した主人公のフランツ王子との美しいロマンスはじめ、悪魔に翻弄されて白鳥に変身させられたり、また森の動物たちと親しんで助け合うといったおとぎ話の要素には、ディズニーの白雪姫やシンデレラの世界観が感じられる。
 
ご存知のように、手塚の作風にはウォルト・ディズニーからの影響が大きい。特に50年代の丸っこい絵やアニメーションのような動き、舞台の構図などは実にディズニーっぽい。その意味で、宝塚とディズニーの絶妙なミックスアップが楽しめるのが少女クラブ版『リボンの騎士』の良さだろう。
 
そしてこの続編となるのが『双子の騎士』である。連載時は同じ『リボンの騎士』だったものの、のちに改題。サファイアとフランツが結ばれるという大団円を迎えた『リボンの騎士』のその後を描いた物語で、二人の嫡子となる双子たちを描いた別の物語。少女に変身して双子のお守りをするバンビがとても印象的なおとぎ話でもある。また成長して熟女となったサファイアを見るとしたらこの作品しかない
 
その後『なかよし』であらためて『リボンの騎士』がセルフカバーされる。60年代になると、手塚治虫も絵やコマ割りなどにずいぶん変化が生まれてくる。コマ割りは大きくとられ、見開きも活用し、キャラクターの動きや表情などには大胆なインパクトを持たせている。またサファイアもずっとスタイルがよくなり、大人っぽさが出てくるようになる。
 
セルフカバー版の『リボンの騎士』は、物語こそ大きな変化はないけれど、主人公が王女であるだけで男子でも面白く読める活劇ドラマになったのだ。初版発売からの10年間で社会は大きく変わり、女の子も男の子も区別なくマンガが楽しめる時代になっていた。そうした状況のなか、セルフカバー版『リボンの騎士』が男女問わず人気を博したのも頷ける。
 
こうして『リボンの騎士』と言っても実は3バージョンあるわけで、年代ごとに読んでいくと絵柄の変化や登場人物・ストーリーの改編があって面白い。
 
ところで私は昔からサファイアより悪魔の娘・ヘケートが大好きなのだけれど、少女クラブ版のヘケートがまったく姿の異なるキャラクターだったのには驚き、ガッカリした記憶がある。ポニーテールと吊り上がった瞳、スタイリッシュな出で立ち、どこかヘップバーンを思わせるあのヘケートこそ、小学生だった自分にとって最初に憧れた女子アイドルだったのだ。

日本の少女マンガのプロトタイプになったと言われる『ナスビ女王』

『ナスビ女王』©手塚プロダクション

1954年に始まった『ナスビ女王』は、『リボンの騎士』のような長編活劇ものを求められながらガラリと世界観を変えた一作目だ。舞台はまず現代であり日本。そして女学校を卒業した3人の少女たちそれぞれの物語だ。
 
どこかのおとぎの国の話ではなく、読者が共感しやすい境遇を採り入れ、昭和の日本の少女たちの夢と友情と勇気を話の柱にしている。また、その作風からも、これがこの後に続く日本の少女マンガのプロトタイプになったとも語られている。
 
お姫様に憧れるウブなナスビは他国の王女様と入れ替わって王女暮らしを体験する話だし、バレリーナに憧れるタカ子は苛めや貧しさに耐えて夢をつかむという試練ものだし、フジ子は二人を助ける友情係を担う。
 
3人の生きざまがいくつかの事件で絡み合うドラマ構造は、たしかにその後の少女マンガにも応用できるものだ。物語こそ今ではちょっと古めかしいけれど、50年代当時の少女たちに夢と現実、また多様な生き方があるのだと思わせる作品でもある。

対照的な少女タイプが登場する『そよかぜさん』と『ひまわりさん』。現代的ボクっ娘キャラが見どころ

『そよ風さん』(※『ひまわりさん』は単行本『そよ風さん』に収録) ©手塚プロダクション

『そよ風さん』と『ひまわりさん』はタイトルこそ違うけれど、2作は続きものなのでぜひセットで読んでもらいたい。まず前者は日本の田舎の村がその舞台。ひたすらに心優しいそよ風さんはどんな酷い目にあってもそれを許し受け入れ、時には悪人を改心させるという菩薩のような少女である。けれど仲の悪い2つの村に翻弄され、敵対する村のボーイフレンドとの悲劇を生み、その悲劇から村が変わる…という結末。

どにか『ロミオとジュリエット』的なこの悲恋のエッセンスは、『リボンの騎士』から続く「読者をハラハラさせて惹きつける」という手塚の古典的な手法だ。

そして、その続編となる『ひまわりさん』のほうが物語の構造は現代的だ。舞台はそよ風さんが上京することで東京へと移る。そしてそよ風さんと正反対のボクっ娘キャラ、ひまわりさん(ピュー子)が新登場することで、物語はぐっと新しくモダンなものとなっていく。

さらにそよ風さんとそのボーイフレンド、そしてひまわりさんとの三角関係という構図も差し込まれ、活劇ドラマというよりも「ボクッ娘の恋」という手塚の試みようとした新たなシチュエーションの方に断然興味がわく。

男まさりだった少女は、初恋の相手の彼から要望されてセーラー服を着てみたり、またその想いと裏腹にわざと男の格好に戻ったり。本音を隠して彼との友情に応えようと行動する。

ひまわりさんのその姿は実に愛おしく、そよ風さんそっちのけで応援したくなる。そういえばなかよし版『リボンの騎士』でもサファイアとフランツの恋仲にヘケートが介入してくるのだけれど、この「ひまわりさん」の関係性が応用されているのかと初めて気づいた。もうこのままNHKの朝ドラにもできそうな、そんな二人の少女を描いた作品である。

『ジャングル大帝』から続く動物と人間の交流がテーマの『シルクハット物語』と『とんから谷物語』

『とんから谷物語』(※『シルクハット物語』は単行本『あらしの妖精』に収録) ©手塚プロダクション

1954年に少女向け月刊誌『少女』に載った『シルクハット物語』は、小鳥がヒナたちのために見つけたシルクハットをめぐって、いくつかの人間模様が重なり合う短編作品。
 
まるであっという間に終わるピアノの小曲みたいな作品だけれど、すったもんだの騒動があった後、ようやく小鳥のもとへシルクハットが戻るという終わらせ方は、実に手塚らしい生き物たちへの優しさがあり、そしてやはりどこかディズニーアニメ的な大団円を感じさせる。小さな短編ながらとても心温まる良作だった。
 
また1955年から『なかよし』に連載された『とんから谷物語』は、豊かな自然に囲まれたとんから谷がダムの開発によって破壊されてしまうという物語を軸に、主人公の少女と森のリスや動物たちがそれを阻もうとさまざまな出来事が起こる。
 
森の動物たちにも人間と同様な暮らしや諍いがあること、そして人間社会における動物と人との交流を描いたところは『ジャングル大帝』にもどこか似ている。
 
また自然界の生き物たちが人間による自然破壊に抵抗する姿は、この後さまざまな手塚マンガのモチーフにもなるものだし、また実験アニメ作品『森の伝説』にも通じるテーマだ。
 
手塚治虫が生涯において持ち続けていた自然破壊に対するアンチテーゼは、可愛い女の子や小動物が登場するような少女マンガ作品においてもかなり早い段階から強いメッセージ性として打ち出していたことがわかる。

思わず没頭してしまう『あらしの妖精』の複雑な物語性

『あらしの妖精』©手塚プロダクション

1955年に『少女ブック』に2年間も連載された『あらしの妖精』は、「妖精モノでありながら時代劇」という斬新な設定。物語の始まりは戦国の争いから城主を救うかわりに森の妖精に生まれてくる姫君の顔を取り換えようと約束を交わしてしまう、まるで『どろろ』のような残酷なエピソードから始まる。
 
そんな運命を背負った姫君と、生まれ持った美しさをもらった妖精の娘が関わり合い、姫君を不幸から救いだそうと活躍する。これがなかなかの長編で非常に読みごたえがあった。
 
というのも、この作品に限らず、この時代の手塚マンガは実にコマが小さく、そして話の展開がやたらと早い。1ページの中でかなりの内容が詰め込まれ、あれよあれよと話が複雑になり、登場人物も増え、コマの進みもスピーディなため、かなり脳の回転を求められる。
 
セリフやキャラの動きが細かいのも少し老眼の入った私の視力にはなかなか厳しいものがあった。けれど、あれよあれよと物語が進行し、複雑になることによって、読者である子どもたちは一気に物語の世界へ没頭できるともいえる。
 
昔の子どもたちはこのスピード感と複雑さに十分ついていけるだけの脳味噌と、頭の柔軟性と、反射神経をもっていたのだろう。マンガは子どもの知能を発達させるのにも適しているとよく言われているけれど、それも至極納得できる。

外国映画の影響を色濃く受けた『虹のとりで』

『虹のとりで』 ©手塚プロダクション

1956年に『なかよし』に連載された『虹の砦』は、少女マンガにアラビアのエキゾチックな世界観を採り入れた、おそらく当時としてはとても斬新な作風だったのではないだろうか。
 
盗賊の娘で「黒猫」と呼ばれる怪盗ミミが主人公で、少女版アラビアンナイトともいえる冒険活劇。手塚の創作には外国映画の影響が少なからずあって、この物語も『バグダットの盗賊』のオマージュではないかと言われている。
  
たしかに、空飛ぶ木馬や魔法の壺、巨大な魔人や洞窟に隠された秘宝など、映画で観たようなアイテムやシチュエーションが次々と登場する。それを少女読者を対象としたマンガにアレンジしてしまうのが手塚の才能の見せどころである。
 
華奢なミミが軽業師のように飛びまわり、悪者と圧巻の闘いぶりを見せたり、捕まってヒヤヒヤさせたり。また王子とのロマンチックな恋もあり、親子の人情噺も忘れない。舞台こそアラビアではあるけれど『リボンの騎士』の原型をアレンジした作品と言えよう。

『こけし探偵局』 手塚作品に何度も出てくる「大きなリボンの女の子」の意味

『こけし探偵局』©手塚プロダクション

1957年『なかよし』掲載の『こけし探偵局』は、まずその扉絵の可愛さ、自分の頭よりも大きなリボンをつけた小学三年生のキャラクター・パコちゃんのインパクトで心惹かれる一作。華奢な姿とは裏腹に、怖いもの知らずのパコちゃんがご近所のミステリーや事件を賢く解決してゆく…といった物語。
 
敵キャラとして殺し屋が出てきた時には、いよいよ少女版コナンになるのかと読みながら期待したけれど、数回であっけなく終わってしまったのは残念でしかない。
 
それにしても、手塚の描く「大きなリボンの女の子」というモチーフは、サファイアといいピノコといい、自ら進んでなにごとにも挑む女の子の自由と活躍の象徴なのだということをあらためて気づかされる。また怖いもの知らずで敵に挑むパコちゃんの姿には、『鉄腕アトム』の妹ウランをちょっと感じなくもない。

『ヨッコちゃんがきたよ!』から読み取れる、女の子が芸能界に憧れた時代性

『ヨッコちゃんがきたよ!』 ©手塚プロダクション

1960年に『なかよし』に掲載された『ヨッコちゃんがきたよ!』。
 
イントロこそ天使が登場するようなおとぎ話っぽいのだけど、本編は芸能一家に生まれたお転婆な娘・ヨッコちゃんが男の子に扮してタレントとして活躍するという現代調のお話だ。ここでも『ひまわりさん』のピュー子の延長上にある「男の子以上に活発で、人を思いやれる女の子」というキャラクターが描かれる。
 
おそらく60年代当時は、女の子はどんどん社会進出して、芸能界でも大人顔負けで活躍する時代だった。TVタレントや歌手や女優に憧れる女の子が出てきた、そんな時代を反映した作品でもあるのだろう。
 
芸能界へ入るといえば、『ブッキラによろしく』のトロ子もそうで、あれもまた80年代当時の風潮──猫も杓子も芸能界に憧れる時代──を反映しているのだろうけど、当時大学生だった私がむやみにマスコミ志望だったことも少なからず影響しているのかもしれない。

昭和の少女たちの憧れの世界を描いた『あけぼのさん』 

『あけぼのさん』©手塚プロダクション

昭和後期、少女たちは生け花やお茶や日本舞踊ではなく、外国からの影響でピアノとバレエがその二大教養として流行っていた。TVドラマや映画でも女性はバレリーナだったり、ピアノを弾けたりするご令嬢だったりする。
 
そんな少女たちの憧れを、手塚治虫がマンガに反映しないわけがない。1959年にりぼんに掲載された『あけぼのさん』は、幸福に導く白いトウシューズと不幸を招く赤いトウシューズ、それに翻弄されるバレリーナの少女を描いた手塚治虫版の『赤い靴』だ。手塚自身によると、大好きだったオペラ『ホフマン物語』を反映させたとのこと。
 
クラシック音楽が大好きで、オペラはもちろんバレエやミュージカルも好んでよく観ていた父である。その創作の引き出しには、映画以外にもさまざまなエンターティメントから得たアイデアが詰まっている。

手塚のクラシック音楽への深い造詣がみられる『野ばらよ いつ歌う』

『野ばらよ いつ歌う』 ©手塚プロダクション

この時代の少女たちの代表的な憧れの職業だったピアニストを描いた少女マンガには1959年の『白くじゃくの歌』(なかよし)、1960年の『野ばらよいつ歌う』(少女サンデー)、そして1975年『虹のプレリュード』(少女コミック)がある。そのなかでも個人的にオススメしたい作品は『野ばらよ いつ歌う』だ。
 
シューマンの妻で名ピアニストだったクララ・シューマンの生い立ちを描いた物語なのだが、なによりまず言いたいのは幼いクララや彼女を慕う小さな3匹の猫たちの絵がすこぶる可愛い! これまでさんざん手塚治虫の描いた女の子や小動物を見てきたが、最強の可愛さである。
 
この可愛い登場人物を眺めるだけでもこの作品を読む価値があると言いたいところだが、物語としてもクララ・シューマンという実在の女性ピアニストを描こうとするなんてクラシックに造詣が深い手塚治虫ならではの着眼点。
 
またベートーベンやシューベルト、メンデルスゾーンといったクラシック界のレジェンドたちが登場するなど、クラシック好きにはとても興味をそそられる内容だった。しかしながら掲載誌の廃刊によって無理やりのエンディング。物語は中途半端なまま、残念な結末を迎えてしまった。もし連載が続いていれば、壮大な大河ドラマになっていただろう。
 
その後10年の間があいて再びクラシック音楽の歴史をもとに描かれた『虹のプレリュ-ド』では、同じピアニストでも大人の女性でポルトガル革命時代を舞台に音楽家たちの悲劇を描いている。手塚の「ピアニストの人生を描きたい」という衝動はその後『ルードウィヒB』へと続くのだけど、掲載誌の廃刊どころか本人の生命が尽きてしまい、盛り上がったところで唐突に終わらせることになったのは、『野ばらよ いつ歌う』に続いてとても残念。

『エンゼルの丘』手塚の少女マンガのなかでもダントツの面白さ 

『エンゼルの丘』 ©手塚プロダクション

1960年に『なかよし』で連載が始まった『エンゼルの丘』は『リボンの騎士』に次ぐ手塚の少女マンガの人気作で、実にドラマチックな長編大作。私にとっては父の少女漫画のなかでもダントツ1位だ。初めて読んだ幼稚園児の時から何度となく読み返しているが、55歳になってまた読み返してもやっぱり面白く、その世界に引きこまれる。
 
物語はエンゼル島の人魚族のプリンセスであるルーナが、島をのっとろうとする悪い祈祷師から追い出されるところから始まる。たまたま拾われた船長と一緒に記憶を失ったルーナが人間社会で暮らしていると、仇役の魔の手が迫り…という、いわば手塚版『人魚姫』だ。
 
とてもロマンチックなおとぎ話のようでいて、やはりそこには脈々と続く手塚マンガのエッセンスがつまっており、ルーナをはじめ、登場する少女たちによる麗しくも勇敢な冒険活劇となっている。
 
なにより読んでいて楽しいのは、さまざまな登場人物たちだ。エンゼル島と人間社会、ふたつの舞台それぞれに敵対する構造や情が絡む人間模様があり、ルーナをめぐって二つの世界が関わりあうなかで、多様なキャラクターたちが大活躍する。ルーナはもちろん、彼女を慕ってくる子猿のチーチとオウムのココ、彼女を引き取った船長、その妹でルーナそっくりなアケミ、その母親。
 
一方エンゼル島を乗っ取ろうとする祈祷師ピューマ、ルーナの姉ソレイユ姫、島を取り囲む人魚たち、殺し屋だったチャーとベター…等々、どのキャラクターも実に魅力的で存在感がある。
 
そして一番に魅力的なのは少女たちのファッションだ。ショートヘアに真珠を止めた髪形、ウエストを絞って傘のように広げるスカートは今見ても憧れる。チャーとベターのペアルックもすごくモダンでステキだ。幼なくなりすぎない「乙女のスタイル」がそこにある。
 
また、60年代になると手塚の少女マンガはコマ割りが大きくなって、キャラクターの全身を映したコマも増えていく。それまでの手塚漫画の特徴だった、1ページに多くの要素を入れ、せせこましくコマが埋め込まれた作風も、この頃から全体的に見やすく読みやすいものになっている。この変化のおかげか、多少ストーリーが複雑な展開になっても自分のペースで読むことができる。
 
やはり読んで馴染んだマンガのサイズ感、コマの構成というのが時代ごとにあるのだ。今だったらスマホサイズに、手塚はどう変えていただろう。

『野ばらの精』手塚の描く少女キャラの「キュン死にしそうな可愛さ」

『野ばらの精』©手塚プロダクション

『ヨッコちゃんが来たよ!』に続いて『なかよし』に描かれた『野ばらの精』は、現代の設定から再びどこかの国のおとぎ話に戻る。ある日突然戦争が起こり、国が分断されてしまう。そのせいでボーイフレンドとは離れ離れになり、父親は越境しようとして捕まり、母親は医者へ行けず、病死してしまう。
 
いきなり悲惨な目にあう主人公のユリーは、さらに後妻の継母から意地悪く扱われるというシンデレラ状態。ある時バラの園でシルビアという身寄りのない幼な子と出会って一緒に過ごすようになるのだけれど、そのシルビアがとにかくまあ可愛い。ロンパース姿など、キュン死にしそうなほどだ。
 
そんなシルビアをかいがいしく面倒をみるユリーの母性もまたいい感じで微笑ましく、物語の流れよりも二人のやりとりにだんだん目が離せなくなってくる。そして人買いから逃れるため、ボーイフレンドのロニーと三人で国境を越えて脱走、再びいつかのバラ園に辿り着くと、シルビアの正体が判明。やがてユリーとロニーは戦争を終わらせようと立ち向かい、自由を手にする…。
 
登場人物が可愛いだけでなく、戦争の悲惨さと不遇な運命にくじけず必死に生きようとする子どもたちの強さ、そして人間の争いの犠牲となった儚くも美しい花の生涯があることも伝える、思っていた以上に手塚らしい名作。
 
国境越えのシーンでは、父とよく観ていた映画『サウンドオブミュージック』のシーンも思い起こされて、もしかしたらここにも映画の影響が? と調べたら、不思議なことにこの漫画が発表になった段階では、まだ日本で映画は未公開。単に私が映画の記憶を重ねていただけだったかもしれない。

父がピノコを描いた理由

1966年に三度目の『リボンの騎士』の連載が終わると、手塚も少女マンガの世界から退く。すでに女性のマンガ家たちが十分活躍しはじめていたこともあっただろう。またその時期に私という実の娘が誕生し、それまでマンガで描いてきた少女とはまったく違う、リアルにわがままな実の娘に手を焼き、その体験から『ブラック・ジャック』のピノコのような女の子像を作りだすようになったと思う。

それはまた別の話だけれど、とにかく今回、手塚治虫の少女マンガを再び追って読んでみると、その時代の読者である少女たちの気持ちがどこに向いているのか、どんな夢や理想をもっていたのか、それをいつも意識して父はマンガを描いていたように思う。そして、それに対する答えを作品に反映し、読者たちの気持ちを代弁するかのように作品を描いたことを感じずにいられなかった。
 
女の子はいつもおしとやかで口を慎まなければならない。男の後ろを三歩下がって歩き、政治や社会の出来事には首を突っ込まず、家事に勤しまなければならない。夫をたて、子を作り、家族円満を担う役割こそが女の幸せなのだ…そんな古い時代の女性像から脱却し、近代的な女性の在り方を目指そうとしていた時代。
 
手塚は、女の子だって男の子と同じように夢ややりたいことを堂々と目指し、道を切り開いてゆくべきと考えていたし、マンガを通して女の子たちにエールを送っていたのだと思う。
 
手塚治虫は生前、1983年『PHP』臨時増刊号のエッセイで、若い女性たちへこんなメッセージを送っている。
 
「ひとつは、男を打ち負かす強さと根性をもっているジャンヌ・ダルク型の女性。そしてもう一面は、愛に生き、愛のために生涯を捧げる、しとやかでけなげな女性。(中略)仕事に強い信念と情熱を長く続けて持てる女性。しかも世の中全部にやさしい愛を捧げる、心の広い女性…それをぼくは望みます」 
 
世界が不安を抱えている今、女性たちはどんな力を発揮して苦難を乗り越えられるだろうか。さまざまな脅威から、どんな優しさで国や社会や家族を守れるだろうか。あの時代と状況は変わっているけれど、私たちはサファイアになろう。    

手塚るみ子

プランニング・プロデューサー。㈱手塚プロダクション取締役員。

漫画家・手塚治虫の長女に生まれ、成蹊大学卒業後、広告代理店I&Sに入社。セールスプロモーションの企画・制作に携わった後フリーとなり、手塚作品をもとにした企画・タイアップのプロデュース、コーディネーションの活動を始める。

2003年に音楽レーベル「MUSIC ROBITA」を設立し、「鉄腕アトム」トリビュートCD『Electric-Brain feat.ASTROBOY』はじめ、システム7との共同制作『PHOENIX』、『手塚治虫 その愛した音楽』などを制作。またABCラジオ『EarthDreaming~ガラスの地球を救え』の番組パーソナリティも務める。

イベントでは『わたしのアトム展』に始まり、『手塚治虫のヒロインたち展』・『手塚治虫美女画展』・『手塚治虫のニャンコ展』・『手塚治虫文化祭~キチムシ』など、新機軸の企画展をプロデュースすることでも話題。

著書に『オサムシに伝えて』『こころにアトム』『定本オサムシに伝えて』、共著『ゲゲゲの娘レレレの娘らららの娘』がある。 - twitter【https://twitter.com/musicrobita

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メルカリマガジン編集部

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