趣味2020.07.17

「60年代のムスタングからはじまった」CKB横山剣が小学生でハマった〈車の音楽〉への止まらぬ愛

クレイジーケンバンド(CKB)横山剣といえば、大の車好きとして知られる。ミュージシャンとしての多忙な日々の合間を縫ってレーサーとしても活動し、車への愛を語る著書もあるほど。そんな剣さんが語る車と音楽の関係は、まだ子どもだった60年代に輝いていた名車やレーサー、カーレース文化への憧れに彩られている。そして、あらゆる方向に伸びる剣さんの好奇心のアンテナは、レコードや映画、雑誌など、予想もしない切り口から愛する車カルチャーの匂いを嗅ぎつけてしまうのだった。(取材・文/松永良平、イラスト/松本セイジ、編集/メルカリマガジン編集部)

「青春プレイバック 懐かしのモノをメルカリでディグる」は青春時代から好きなもの、影響を受けた作品のお話を伺いながら、懐かしいモノに思いを馳せるシリーズです。

新曲『IVORY』のMV撮影より

──剣さんが最初に好きになった車はなんですか?

1960年代半ば、5歳のときに(横浜の)本牧で見たフォード社のムスタングですね。PXという米軍の物品販売所の駐車場に止まっていたのを見たのが最初です。もう少し後の話ですけど、車を歌にしてる曲で最初に好きになったのも〈ムスタング・サリー〉というタイトルでした。原曲はウィルソン・ピケットが歌っていますが、僕が聴いたのは『円楽のプレイボーイ講座』というレコードに入っていたインストのカヴァーでしたね。僕は小学生になってましたが、その曲のおかげで「あ、あの車のムスタングのことなんだ」とイメージがつながりました。他にもマルコス・ヴァーリのアルバム『ムスタンギ・コール・ヂ・サンギ(血の色のムスタング)』とか、セルジュ・ゲンズブール の〈フォード・マスタング〉って曲とか、ムスタング絡みの曲って、あの車のかっこいいデザインからくる質感が通じてるんだなと思ってました。

『円楽のプレイボーイ講座12章』ウルトラヴァイブ 

──車に関わる映画でもお好きな作品は多いと思いますが。

フランス映画の『男と女』(1966年)を子どもの頃に見て印象に残ってますね。フランシス・レイ が手がけたダバダバなテーマ曲がかっこよかったし、フォードのプロモーションじゃないかと思うくらいムスタングとかGT40 とかたくさん出てきたんです。今年の初めに公開された『フォードvsフェラーリ』のイントロダクションじゃないかと思うくらいです。もちろん、『フォードvsフェラーリ』は映画館で4回、自宅で4回観ました(笑)。

『男と女』フランス版レコード(フランシス・レイ)

──8回も見たんですか。すごい!

レース映画だと『グラン・プリ』(1966年)や、石原裕次郎さん主演の『栄光への五千キロ』(1969年)もいいですね。あと、車の映画じゃないですけど『卒業』(1968年)。ダスティン・ホフマンが乗ってるアルファロメオのデュエットスパイダーがかっこよくて、そればっかり見てました(笑)。プレスリーの『ブルー・ハワイ』(1961年)に出てくるMGAっていうイギリスの車も好きでした。ハワイなのにイギリス車とか、フランスなのにアメ車とか、越境感があるのが好きでしたね。田宮二郎さん主演の『銭のとれる男』(1966年)にはベレット1600GTが出てきます。この映画のなかでの田宮さんはレーサーなんだけど夜はトランペッターとして演奏してるんです。この時代はジャズとカーレース、映画が密接な関係だったんですよ。ジャズの名門ライブハウス「新宿PIT INN」も、カーレースの「ピットイン」からついたカーアクセサリー・ショップに由来する店名です。

サウンドトラック盤『グラン・プリ』MGM

── 60年代って、そういう時代だったんですね。

僕は車も音楽も好きだったから、三保敬太郎さんみたいに作曲家でありピアニストでありレーサーでもあるというマルチな存在に憧れてました。福沢幸雄さんという人は、服飾デザイナーをやりながらモデルもやってレーサーでもあって。三保敬太郎さんが音楽を手がけた『サウンド・ポエジー・サチオ』というレコードもあるんですが、それは福沢さんと三保さんがおしゃべりして、パリのレストランがいいとかまずいとかそんな話をしてる内容なんです(笑)。

三保敬太郎『11PMのテーマ』バップ 

──三保さんは、あの伝説的な深夜番組『11PM』のテーマ曲も手がけられた方ですよね。福沢さんは、1969年に事故で若くして亡くなったときに、友人のかまやつひろしさんが〈ソー・ロング・サチオ〉という曲を捧げています。

そうですね。あの曲は空気感ごとモロに刻まれている音がしてます。三保さんはレーサーの生沢徹さんのドキュメンタリー・レコード(『栄光のF1への道』)の音楽も担当されてます。生沢さんはすごく反骨心のある方で、外国人選手と日本人選手との待遇問題を巡って選手宣誓を棄権したり、車の整備の仕方とかステッカーの貼り方とか細かいこだわりもいろいろあるところが「レース界の山下達郎」みたいな存在だなと思うんです。もし達郎さんがレースをやっていたら生沢さんみたいだったろうし、その逆も成り立つ。たまたま違う業界に二人が変化身としているだけなのかも(笑)。

生沢徹『栄光のF1への道』ビクター 

──カーレースの実況録音盤や、スポーツカーの走る音を収録したレコードもありますよね。

ありますね。そういうレコードって映像がないだけに逆に集中できるんです。ちなみに、僕は70年代のTOYOTAの非売品レコード『レース!レース!レース!』というのを持ってるんです。その一部をクレイジーケンバンドの〈あるレーサーの死〉という曲のイントロで使ってます。アーウィンデールスピードウェイっていうロサンゼルス郊外にあるサーキットに行って、NASCARのレース音を自分で録音したこともありますよ。昨年のアルバム『PACIFIC』の〈車と女〉という曲にその音をつけました。現代の車が走ってるんですけど、歴史のあるサーキットなのでやっぱり昔ながらのレースの音がしてましたね。車の音だけじゃなく、アメリカの空気とか磁場のなせるわざだなという気がします。
──モータースポーツや車の専門誌も読まれてきたと思うんですが。

70年代には『オートスポーツ』と『オートテクニック』が二大雑誌でした。今も『オートスポーツ』は発行され続けてます。カーレースの結果とか、メカニックが車をいじってる姿とかが掲載されているんです。技術的な面だけじゃなくて、レーサーの心情とかもドラマチックに描かれていたり、スターレーサーのプライベートに触れるような写真もありましたね。そういう雑誌のバックナンバーを古本屋さんに行って探して買ってました。当時の雑誌には「レーサー出没地帯」という記事が載ってたんです。「この辺りに行けば、本物のレーサーに会える」という情報が書かれていて、小学生の頃は実際に見に行ってました。ホテルオークラのカフェテラス「カメリア」とか、飯倉のイタリアンレストラン「キャンティ」とか、田園調布のドライブイン「VAN・FAN」とか。

『オートテクニック 』1970年12月号

──実際に会えていたんですか?

ええ。会えたらサインしてもらったり握手したり。僕は顔も覚えてもらってましたね。「坊や、こないだもいたね」みたいな(笑)。渋谷と青山の中間に「レーシング・クォータリー」というカーレース関係のスポンサーのエンブレムを売っているお店があったんですよ。そこでエンブレムを買って、ジャンパーに縫い付けて、会いに行くとレーサーの人が反応してくれたりしましたね。

──そういうものも、今ではビンテージなコレクションの対象になっているんでしょうね。

その当時のものだったら、今は結構価値がついてますね。そういうモータースポーツ好きの人たちが集まるイベントに行くと、べらぼうな値段で出てたりしますから。

──剣さんもカーグッズをいろいろ探されますか?

探しますね。できれば当時物がいいです。今は、英国のレース用パーツの店、レスレストンのグッズや、インディ500レースやモナコ(グランプリ)関連のステッカーとかエンブレムとかですね。ベレットのエンブレムとか、GTって書いてあるやつも探してます。あとはフロントグリルにくっつけるカーバッジですね。世界のいろんな公認カークラブのバッジがあるんですが、それは集めたいなと思ってます。
──今メルカリでもカーグッズやカーパーツに力を入れているそうで、ちょっと検索してみただけでもハンドルとかもたくさんヒットするんですよ。

ありがたい限りです(笑)。やっぱりステアリング(ハンドル)は重要ですね。イギリスまで買いに行こうと思ってたくらいの当時物が、ネットのおかげで見つかる。便利な時代になってきたなと思います。

──「当時物」というのは、やっぱり60年代ですよね。

そうですね。グッときますね。60年代の物はいつまで経っても古くならないし、ひとつの時代じゃなくてポップ・アイコンとして見て新しさがあるんです。
──これまでも車にまつわる曲をたくさん書かれてきた剣さんですが、これぞ車への愛が溢れた曲だと思うリストを挙げていただきたいのですが。

車絡みだと100曲弱くらい書いてるかもしれないですね。そのなかでも、まず〈スポルトマティック〉〈GT〉〈ベレット1600GT〉。車のことは直接言ってないですけど、車のなかのシチュエーションなので〈流星ドライブ〉、それから〈間違いだらけのクルマ選び〉。あの曲はスピルバーグの『激突』 (1973年)って映画からのインスパイアなんですけど、全然違う方向に逸脱してできました(笑)。
──『間違いだらけのクルマ選び』って、徳大寺有恒さんの書かれた昭和のベストセラー本の書名でもありますよね。僕の実家にもありました(笑)。ちなみに、車の曲を書くときは、やはり特定の車のイメージや愛着から歌詞を書き始めるんですか?

作ってるときに出てきちゃうパターンもありますね。交通事故現場を通り過ぎたときのイメージで書いた〈夜明け〉って曲もありますしね。ゲンズブールにも〈ジャズと自動車事故〉って曲があります。

──車で移動する時間の感覚やいろんな道路の風景も、剣さんのカーソングに作用していますよね。246、第二京浜、第三京浜、国道16号線……。

そうですね。ユーミンさんとも「16号って何かあるよね」って話になったことがあります。あの道路には、福生、厚木、横須賀とか、ツボというか経絡みたいなポイントがありますよね。その「経絡」という言葉は、細野晴臣さんと中沢新一さんの共著『観光-日本霊地巡礼』に出てきたんですけど、それと車が女性の人格を持って人を襲うという映画『クリスティーン』(1983年)の要素も入れて〈透明高速〉という曲になりました。

──人格を持った車がカーステレオから流すオールディーズの歌詞を自分の言葉の代わりにするんですよね。車と音楽が合体した最高にいかれた映画で僕も大好きです。

いいですよね。やっぱり、自分で書いた車の曲でいちばん気に入ってるのは、〈透明高速〉ですね。

『クリスティーン』ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント 

横山 剣(よこやま・けん)
クレイジーケンバンド・リーダー/作曲・編曲・作詞・Keyboards・Vocal
1960年横浜生まれ。和田アキ子、TOKIOなど、 数多くのアーティストへも楽曲を提供。
2020年6月24日、クレイジーケンバンド 約 5 年ぶりとなるシングル「IVORY ep」をリリース。

クレイジーケンバンド / IVORY

出典: YouTube

1)ムスタング

アメリカを代表するスポーツカー(マスタングともいう)。1964年にアメリカのフォード社が初代モデルを発売開始。現在もモデルチェンジを重ね、人気を誇る。

2)PX

米軍キャンプ内にある日用品などの売店。第二次世界大戦後の日本ではアメリカ文化を身近に感じられる場所だった。CKBの「デトロイト音頭」はPXの駐車場で毎年行われていた「日米親善盆踊り」がヒントになている。

3)『円楽のプレイボーイ講座』

1969年発売。正しいタイトル『円楽のプレイボーイ講座12章』。落語家の三遊亭円楽(先代)が前田憲男とプレイボーイズが演奏するしゃれたジャズやソウル・ナンバーをバックに「プレイボーイになるための手ほどき」を語るというレコード。2019年には、井上順の語りと小西康陽の音楽により『井上順のプレイボーイ講座12章』としてリメイクされた。

4)セルジュ・ゲンズブール

ジェーン・バーキンとデュエットした「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」(1968年)が世界的なヒットとなり注目を集めた。作曲家/歌手/俳優と多岐にわたる活動のどれもがセンセーショナルでタブーをおそれないものだった。91年に62歳で没。バーキンとの間に生まれた娘がシャルロット・ゲンズブール。

5)『男と女』

フランスの映画監督クロード・ルルーシュが運命の恋を描いた名作(1966年公開)。当時新鋭の作曲家だったフランシス・レイが作曲し、ピエール・バルーとニコル・クロワジールが「ダバダバダ」とスキャットでデュエットしたタイトル曲も世界的にヒットした。

6)フランシス・レイ

フランスの映画音楽家。『男と女』の主題歌のヒットを皮切りに、フランス映画に欠かせないロマンチックな名曲の数々を残した。代表作に『パリのめぐり逢い』『白い恋人たち』『ある愛の詩』など。2018年に86歳で没。

7)GT40

ムスタングを手がけたフォード社が、実戦向きのレーシングカーとして1964年に完成させた。映画『フォードvsフェラーリ』でも重要な役割を果たす。

8)アルファロメオのデュエットスパイダー

イタリアの自動車メーカー、アルファロメオの新型スポーツカーとして1966年に登場した2シーターのオープンカー。1967年に製造された「スパイダー1300ジュニア」の白いボディが映画『卒業』で使われたモデル。

9)MGA

イギリスのスポーツカーブランド、MGのオープンカーモデル第1号として1955年に生産開始(1962年に後続モデルのMGBに切り替わる)。丸みを帯びたエキゾチックなボディが印象的。

10)ベレット1600GT

日本の自動車メーカーいすゞが1963年に開発した国産スポーツカー。のちに続くトヨタ1660GT、スカイラインGT-Rなどに先駆けた名車だった。

11)ピットイン

カーレース場でタイヤの交換や給油、ドライバーの交替のために設けられている施設。レーシングチームが作戦をたて、ドライバーに指示を出す前線基地の役目も果たす。

12)『11PM』

1965年から1990年まで、日本テレビ系列で平日深夜(23時台)に放映された大人のためのバラエティ番組。三保敬太郎が作曲し、高速スキャットをあしらったテーマ曲は深夜放送を見られないはずの子ども世代も知っていたほど有名だった。

13)『栄光のF1への道』

日本のカーレース創世記からのスタードライバー。海外での経験も豊富で60年代から70年代にかけて内外のレースで功績を残した。『栄光のF1への道』は生沢の歩みを語りと音楽で構成したドキュメンタリー・レコード(1970年発売)。

14)『レース!レース!レース!』

1960年代から70年代にかけてのカーレース・ブームの影響で、自動車メーカーはプロモーション用にCMソングやレース実況録音盤を数多く作って配布した。そのうちのひとつで、トヨタのスポーツカーのレースの模様を実況録音している。

15)NASCAR

全米自動車競争協会(National Association for Stock Car Auto Racing)の略称でもあり、現在は北米で行われる市販車モデル(F1モデルではない)のスポーツカーで行われる大規模なレースを指す。

16)インディ500レース

アメリカ中西部インディアナ州のインディアナポリスで毎年5月に開催されるレース・イベント。正式名称は「インディアナポリス500」。世界最速で競われるレースとしても知られる。

17)『激突!』

スティーヴン・スピルバーグが1971年に監督したテレビ映画。運転中に追い抜いたトレーラーになぜか追いかけられることになるというストーリー。ホラー要素の強い車映画の傑作で、スピルバーグの評価が高まるきっかけとなった。

18)〈透明高速〉

クレイジーケンバンド、4作目のアルバム『グランツーリズモ』(2002年)収録。
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メルカリマガジン編集部

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