音楽2021.08.16

いま注目のクラシックギター 世代や国境を超えるその魅力とは? 

「クラギ」とも呼ばれ、近ごろ愛好家が増えているというクラシックギター。爪弾く指先から紡ぎ出される音色には、フォークギターとはひと味違うやわらかさや繊細さがあります。コロナ禍においてメルカリでの楽器の取引も増えており、今年4月には「はじめるを応援」をテーマに「メルカリコンサート ギターオーディション」が開催され、幅広い年代からの応募がありました。

審査委員長を務められた福田進一さんは、日本のクラシックギター界のレジェンドともいうべき存在。ジュニアグランプリに輝いた15歳の押山一路さんとの対話を通して、世代や国境を超えるクラシックギターの魅力を語っていただきます。ヨーロッパなどと比べ「世界でも発展の仕方が特殊」という日本のクラシックギター界の現在地とは? おふたりにお持ちいただいたギターや、クラシックギターをはじめたい人にも参考になる、押山さん愛用アイテムをご紹介いただきました。
(構成/原典子、撮影/伊藤圭、編集/メルカリマガジン編集部)

クラシックもフォークもエレキも一緒だった

――はじめに、クラシックギターとの出会いについてお聞かせいただけますか。

福田 9歳のときから通っていたピアノ教室の2階に、たまたまギター教室があったのがきっかけです。ピアノ教室は男子が僕ひとりだけだったので寂しくてね、11歳の夏からギター教室に行きはじめました。でも、その当時はまわりにクラシックギターを習っている子なんていなかったから、ハ長調の音階が弾けただけで天才扱い。発表会でも曲の最後まで弾ける人がいないんです。笑い話のようですが、僕が子どもの頃はそんな時代でした。

――日本のクラシックギター人口は、いつ頃から増えていったのでしょう?

福田 クラシックギターというより、長い間日本ではフォークギターもエレキギターも全部ひと括りにされていた印象です。そういう意味では、最初のギターブームが1960年代後半から70年代初頭。ビートルズが初来日した1966年にはすごく流行っていましたね。誰もがこぞって『禁じられた遊び』のテーマ曲を弾いたり。とはいえギターは大人の楽器といったイメージがありましたから、子どもが習っているのはちょっとヘンに思われました。不良のはじまりみたいな(笑)。押山君は14歳でしたっけ?

押山 実は、つい先日15歳になりました。

福田 そうなんだ! ということは、僕とだいたい50歳違うんだな。今はクラシックギターをめぐる状況もまるで違いますからね。
――押山さんがクラシックギターをはじめたきっかけは?

押山 もともと父がクラシックギターをやっていて、息子にも弾かせたいと思ったようで、小学校1年生の夏からはじめました。最初は父に教えてもらっていたのですが、それだけでは足りないので近所のギター教室に通って、その後、今の先生(ギタリストの新井伴典さん)についています。

――自然な流れで、気がついたら弾いていたという感じですね。

押山 好きとか嫌いとかを超えて、ギターがもう生活の一部になっているようなところがあって。毎日、学校に行く前の朝の時間と、帰ってきた夕方に練習するのが日課なので、クラシックギターをやっていない自分がイメージできないかもしれません。最初は弾けなかった曲も、練習してだんだん弾けるようになってくると嬉しいですね。

実は幼少期から福田さんのファンだっという押山さん。(左)小学校5年生のとき福田さんの演奏会後に。(右)中学1年生のとき弦楽器フェア会場にて。

――学校のクラスメイトとかでクラシックギターをやっている人はいますか?

押山 いません。「ギターにクラシックの曲なんてあるの?」と聞かれたり。やっぱりギターというと、エレキとかフォークのイメージが強いみたいです。

福田 そこだけ僕が子どもの頃と変わってないんだよなあ。

演奏会の数が圧倒的に多いのは日本

――とはいえ近年では、クラシックのギタリストを主人公にした平野啓一郎さんの小説『マチネの終わりに』が映画化されたり(福田さんもサウンドトラックの演奏を担当)、コロナ禍のステイホーム期間中に楽器をはじめる人もいたりして、クラシックギターに注目が集まっているような気がするのですが。

福田 少しずつ浸透はしてきているのかもしれません。そのあたりの判断は難しいところですが、もしそうであったら嬉しいですね。というのも日本のクラシックギターは、発展の仕方がヨーロッパとはまったく違って特殊なんです。ヨーロッパでは1960年代までにほぼすべての音楽大学にギター科が作られ、アカデミズムの世界が確立されていますが、日本ではいまだに東京藝術大学にもギター科がありません。そういう意味では、大きく遅れをとっています。日本ではもともと古賀政男さんらの尽力でギターが歌謡曲や演歌で使われるようになり、大衆に広く浸透していった反面、クラシックギターの文化は消えていってしまったのでしょう。
――なるほど。「ギター」全般としての認知度は高くても、「クラシックギター」としては不遇の時代が続いていたわけですね。

福田 けれども今では、ヨーロッパより日本の方がクラシックギターの演奏会の数は圧倒的に多いというのも事実です。それはやはり、クラシック以外も含めたもともとのギター人口の層が厚いという理由もあるし、荘村清志さん、山下和仁さんといった僕の先輩ギタリストたちのおかげでもあります。

押山 ヨーロッパの方が日本よりもずっと盛んだと思っていたので、それは意外です!
福田 向こうの若いギタリストたちは音大の教授になることを目指していて、演奏家として活動する人が少なくなっている傾向はあると思います。一部の、すごく有名なギタリストが各国に数人活躍しているだけで、数としては少ないですよね。

押山 福田先生は海外のコンクールの審査員やマスタークラスもなさっていますが、海外の若いギタリストたちはどんな感じですか?

福田 すごいファンタジーのある音楽を奏でるジュニアのギタリストがたくさんいますね、フランス、スペイン、アメリカなど世界中に。大学生にはあまりいなくて、13~15歳ぐらい、ちょうどあなたぐらいの年齢の世代に素晴らしいギタリストがたくさん出てきています。
――「ファンタジーがある」というのは、テクニックだけではなく、音楽的に優れているということでしょうか?

福田 そう、自分だけの音色を持っているというのかな。

押山 きれいな音色を出すのは難しいです……。
福田 どんな音がきれいだと感じるかという美意識は人それぞれ違うから、自分がきれいだと思う音を追求していけば、そのうち自分だけのスタイル、自分だけの音が出てくると思いますよ。問題なのはそれを追求しないで、ただ単にミスらないとか、音がデカいとか、速く弾けるとかいう方向に行ってしまうこと。そうなると、ただのデモンストレーションになってしまうから。

押山 ありがとうございます。

ギターは今生きている人の音楽

福田さんのギターを弾かせてもらうことになり、緊張の面持ちの押山さん。

――押山さんは、クラシックギターをやっていてよかったなと思う瞬間はありますか?

押山 作曲者の頭のなかにあるイメージや意図を、楽譜から自分なりに汲み取って、解釈して弾いてみたりするのは、楽しいなと思う瞬間です。

――たしかに、同じ曲でも演奏者によって解釈が違うのはクラシックならではの面白さかもしれませんね。

押山 たとえば先日、大阪のコンクールでマリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコが作曲した「悪魔の奇想曲」を弾いたのですが、この曲はギタリストのアンドレス・セゴビアが編曲したヴァージョンで演奏されることが多いんです。けれど僕は今回、テデスコの原典版の楽譜で演奏しました。両方を比べると、原典版にはセゴビア版にはない音や休符があったりして、「なんでここに休符を入れたんだろう?」などと推理したりするのは面白い作業でした。
福田 エラい! 僕はね、もうずっと若いギタリストに感心しっぱなしなの。僕が33歳のとき、突然10歳の村治佳織さんが現れて、「えらい大人なこと言うなあ」と思ったけれど(笑)、最近の若い子はますます大人だよね。すごいな。

──日本でクラシックギターという分野そのものが育った証かもしれないですね。では最後に、クラシックギターの「推し」ポイントをお聞かせいただけますでしょうか。

押山 あらゆる曲が弾けるのがクラシックギターの魅力だと思います。小学校5年生のとき、ラファエル・アギーレさんが僕の大好きな『スター・ウォーズ』のテーマ曲をクラシックギターで弾いているのをYouTubeで見つけて、毎日パソコンの前に座って、どうやって弾いているのかを研究したのが良い思い出です。そうやって編曲すればいろいろな曲が弾けますし、ギターのために書かれたカッコいい曲もたくさんあります。「メルカリコンサート」の本選で弾いた現代のレオ・ブローウェルや、古典のフェルナンド・ソルも、どれも弾いてみるとカッコいいですね。
福田 「今生きている人の音楽」であるところがクラシックギターの魅力だと思います。レオ・ブローウェルやローラン・ディアンスなど、我々と同時代の作曲家が「新曲を書いた!」と聞きつけては、ギタリストたちがこぞって弾いてヒット曲が生まれるという。こんな現象は、レパートリーの大半が何世紀も前の曲であるクラシックのほかの楽器ではなかなか体験できません。武満徹さんが亡くなったとき、ブローウェルが武満さんへのオマージュとして「HIKA(悲歌)」という曲を書いて僕に送ってきてくれた。それが今ではギタリストのスタンダードになっていますが、そういった体験は人生の宝です。

──まさに歴史を作っていくことができるという。素晴らしいですね。

福田 次の歴史は若い世代が作っていってくれることを楽しみにしています。

福田進一さんのギター

ロベール・ブーシェのギター

フランス最高峰のギター製作者によるもの。1982年に作られた遺作のシリーズのなかの1本。ヴァイオリンと同じメープルで作られている。ブーシェはモンマルトルで46歳まで画家だった人物だけに、細部に至るまで美的デザインが貫かれている。「これより大きな音が出るギターはたくさんあるけれど、このギターはコンサートホールの空間で弾くと本当に良く響く。みんなが耳をそばだてて聴き入ってしまう音色というのが、ブーシェのすごいところ」。

押山一路さんのギター

サイモン・マーティーのギター

オーストラリアの製作家による楽器。一般的なクラシックギターとは違う構造で、より大きな音が出る。「トータル5本目のギターになりますが、中学入学を記念し、無事に合格できたお祝いに買ってもらいました。気分が上がりましたね」

クラシックギターをはじめたい人必見! 押山さんの愛用品

◎爪磨きセット
クラシックのギタリストにとって、右手の爪のお手入れは大切な日課。「このヤスリは父が見つけてきて、気に入ったのでまとめ買いしています」。
◎スマートフォン、ヘッドフォン、防水スピーカー
ギターのために編曲されている曲の原曲(たとえばドメニコ・スカルラッティのチェンバロ曲など)をSpotifyで聴いて研究しているとのこと。ギター以外にもスティーヴ・ライヒやドミトリー・ショスタコーヴィチなど「カッコいい曲」が好き。
◎自作カウンター/楽譜と蛍光ペン
レゴが好きなので、自分で考えて作ったカウンター。難しいフレーズを練習するときに、1回弾けたらブロックを1個移動させて、間違ったら全部戻してもう1回最初からやる。がむしゃらに繰り返すのではなく、「何回弾く」と決めてから計画的に練習するのが良いとのこと。
小学校4~5年のときに弾いていたフェルナンド・ソルの練習曲集。絶版などで手に入らない楽譜をメルカリで買うことも。

福田 進一(ふくだ・しんいち)
ギタリスト。大阪生まれ。1977年に渡仏し、アルベルト・ポンセ、オスカー・ギリアの両名教授に師事した後、81年パリ国際ギターコンクールでグランプリ優勝、さらに内外で輝かしい賞歴を重ねた。以後35年に亘り、ソロ・リサイタル、内外の主要オーケストラとの協演、エドゥアルド・フェルナンデスとのデュオをはじめとする超一流ソリストとの共演など、その活動は留まることを知らない。19世紀ギター音楽の再発見から現代音楽まで、そのボーダーレスな音楽への姿勢は世界中のファンを魅了している。平成19年度、日本の優れた音楽文化を世界に紹介した功績により「外務大臣表彰」を受賞。さらに平成23年度の芸術選奨「文部科学大臣賞」を受賞上海音楽院、大阪音楽大学、広島エリザベト音楽大学、昭和音楽大学、上海音楽院(中国)、アリカンテ大学(スペイン)各音大のギター科客員教授。さらに東京、アレッサンドリア、ハインスベルグ、コブレンツ、全米ギター協会など、主要国際ギターコンクールの審査員を歴任している。

押山一路(おしやま・いちろ)
中学3年生。7歳から父の手ほどきでギターを始め、9歳から新井伴典氏に師事。2019年第41回ジュニア・ギター・コンクール中学生の部第1位及び最優秀賞、第44回GLC学生ギターコンクール中学生の部第1位及 びGLC賞(最高賞)。2021年メルカリコンサートギターオーディション クラシックギター部門ジュニアグランプリ、第45回ギター音楽大賞大賞部門第2位。

※1 古賀政男

昭和に活躍した作曲家。多くの歌謡曲を作曲し、「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」「東京ラプソディ」など「古賀メロディ」として親しまれるヒット曲を世に送り出した。「古賀ギター歌謡協会」を主宰し、ギターの普及にも尽力した。

※2 荘村清志

日本を代表するギタリスト。1963年、来日したギターの巨匠ナルシソ・イエペスの歓迎演奏会で氏に認められ、翌年スペインに渡りイエペスに師事。74年にはNHK教育テレビ「ギターを弾こう」に講師として出演し、一躍、日本全国にその名が知られるようになった。

※3 山下和仁

日本を代表するギタリスト。1977年、16歳のときにラミレス(スペイン)、アレッサンドリア国際(イタリア)、パリ国際(フランス)という世界の主要ギター・コンクールにおいて、いずれも史上最年少1位という記録を打ち立てた。

※4 マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ作曲「悪魔の奇想曲」

イタリア出身の作曲家、マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコが「悪魔に魂を売り渡したヴァイオリニスト」と呼ばれたニコロ・パガニーニを讃えて作曲したギター独奏曲。アンドレス・セゴビアに献呈された。

※5 アンドレス・セゴビア

20世紀最高のギタリストのひとり。独学でギターを学び、1908年にスペインのグラナダでデビュー。バッハの作品などのギター編曲を手がけるほか、同時代の多くの作曲家から作品の献呈を受け、ギターの独奏楽器としての地位を引き上げた。

※6 村治佳織

実力・人気ともにトップクラスのギタリスト。3歳より父・村治昇の手ほどきを受け、10歳より福田進一に師事。数々のコンクールで優勝を果たし、15歳でCDデビュー。パリのエコール・ノルマルに留学し、アルベルト・ポンセに師事した。英国の名門レーベル、DECCAと日本人としては初の長期専属契約を結び、幅広く活躍中。

※7 ラファエル・アギーレ

スペインを代表するギタリスト。2007年、フランシスコ・タレガ国際ギターコンクールをはじめ、ニューヨークのプロ・ムジチス賞などを含む13の国際コンクールで優勝を飾り、そのキャリアをスタートさせた。

※8 レオ・ブローウェル

キューバの作曲家・ギタリスト。ジュリアード音楽学校で学び、ハバナ音楽院作曲科教授、キューバ映画芸術研究所の実験音楽部門の部長を歴任する。キューバの民俗音楽と西欧の前衛音楽を折衷させた作風。

※9 フェルナンド・ソル

ギター音楽の古典時代を代表するスペインの作曲家・ギタリスト。政治上の理由から1813年にスペインを離れ、世界を遍歴しながら活躍した。情緒と精神性に優れたソルの作品は、現在もこの分野で最高の古典とされる。

※10 ローラン・ディアンス

フランスの作曲家・ギタリスト。チュニジア出身、パリのエコール・ノルマルに入学し、アルベルト・ポンセに師事。ギタリストとして高く評価されるのみならず、彼の作・編曲作品が世界のギタリストに取り上げられる機会も多い。2016年に世を去った。

※11 HIKA(悲歌)

武満徹と親交のあったキューバの作曲家、レオ・ブローウェルが武満の死を悼んで、福田進一のために書いた作品。「イン・メモリアル・トオル・タケミツ」という副題がつけられている。
50 件

WRITTEN BY

メルカリマガジン編集部

誰かの「好き」が、ほかの誰かの「好き」を応援するようなメディアになりたいです。

好きなものと生きていく

メルカリマガジンは、「好きなものと生きていく」をテーマにしたライフスタイルマガジンです。いろいろな方の愛用品や好きなものを通して、人生の楽しみ方や生き方の多様性を紹介できればと思います。