みんなはいま、どんな時間を過ごしているのだろう。
こんなときだからこそ、普段は人に見せない「おうち時間」を、ちょっとのぞかせてもらえませんか――メルカリマガジンのそんなお願いに、さまざまな書き手の方が〈寄稿〉というかたちで参加してくださいます。
誰かの孤独で密やかな時間が、ほかの誰かを安らげ応援することが、きっとある。「みんなのおうち時間」では、多様な家での過ごし方と、お気に入りのアイテムをご紹介していきます。
(文・写真/燃え殻、編集/メルカリマガジン編集部)
「たまにはおうちでゆっくりしなさい」
2つ下の妹は小学生の頃から、母親にそう注意されるほど元気が過ぎて、近所の貴重な縄文時代の貝塚から勝手に化石を掘り起こして玄関に飾ったり、ザリガニを居間で放し飼いにするような子どもだった。僕はまったくもってその正反対で、「あなたはたまにはおうちから出て、外で遊んできなさい」なんてよく言われていた。だがそんな言葉で外に行くほど、僕のインドアなライフスタイルは軟弱じゃなかった。もしくは芯から軟弱だったので、とにかくうちから出ない子だった。
言い訳をさせてもらえるなら、僕は子どもながらに家でやることがたくさんあった。まず、犬を飼っていた。生涯お手すら覚えなかった頑固な柴犬ジョンの餌やりが毎日あった。散歩は祖母の運動を兼ねた日課だったので、僕の役割じゃなかった。
そして、小学3年生の時の女性の担任教師が、アガサ・クリスティのミステリー小説の大ファンで、授業で時間があまるたびに必ず朗読をしてくれた。彼女のことを女性として見ていた僕は、NHKで放送していた『名探偵ポワロ』を必ずチェックして、それを彼女に報告することによって好かれたいと日々画策していた。内容を間違って報告しないよう子どもながら真剣に『名探偵ポワロ』を観ていたら、普通にハマって、アガサ・クリスティを読み漁る渋めな趣味の小学生になってしまった。
他の時間は、自分だけの雑誌を作る時間にあてることが多かった。新聞やチラシ、父親が読まなくなったサラリーマンが読むような雑誌(『プレジデント』とか『ビッグトゥモロー』とか)で気になった記事を、ハサミで切り取ってはヤマトのりでファイルに貼り、自分だけの雑誌を作っていた。母親に「あなたは何をやってるの?」と心配されるたびに、「資料集めをしています」と答えていたが、「何の資料を集めてるの?」とさらに問われると、押し黙るしかなかった。押し黙りながらも小学2年生ぐらいから始めたその趣味を、恐ろしいことに今も継続している。ファイルの数は現在50冊を超えてしまった。
祖母は一杯飲み屋を経営していたので、夕方から夜にかけて化粧を始めて着物に着替える。僕は遊びにも行かず、その祖母の身支度を横でジッと見ていることが好きだった。むせ返るような白粉の匂いが、嫌いじゃなかった。化粧をしながら、「あの国鉄のジジイが今度うちの店の敷居をまたいだら、一升瓶投げつけてやるわ!」とか「いいかい、世の中はね、貯金額じゃないよ、その日の現金だよ」と話す祖母のダークサイドな会話も嫌いじゃなかった。時々、白粉を僕にもパフパフとやってくれた。あの匂いは、僕にとって子ども時代の象徴のような匂いだ。
現在、僕は46才になった。子どもはいない。妹は44才で、2人の子どもの母親として習い事、パートをやりながらback numberのファンクラブ会員として全国のライブに子どもと共に参戦する忙しい日々を送っている。三つ子の魂百まで、というやつだ。よって僕も相変わらず、うちの中で過ごすことが多い。柴犬は飼っていないが、今住んでいる家の1階に大家が住んでいて、そこには大きなゴールデンレトリバーがいる。勝手に「ジョン」(僕にとって犬は全部ジョン)と名付けて、大家の許可のもと、差し入れしている。
最近、あの頃にNHKで必死に観ていた『名探偵ポワロ』のDVD BOXを購入した。DVD BOXを観て一番驚いたのは、内容を全部知っていたということだ。小学3年生の時点で、自分はポワロをコンプリートしていた、というちょっと意味のわからない嬉しさがあった。『名探偵ポワロ』は、知っているからつまらない、なんて軟弱なものじゃない。日々テキトーに1枚、BOXから引き抜いて、2話鑑賞する。ポワロの声優、熊倉一雄さんの声は、そこらの睡眠薬なんかよりよっぽど気持ちを落ちつかせてくれる。ついでに『刑事コロンボ』のDVD BOXも買ってしまった。こちらも日々テキトーに1枚、BOXから引き抜いては鑑賞している。
多分、祖母の白粉が原点だと思うけれど、僕は日本のお香などの匂いがかなり好きだ。うちにいるときは、絶えず白檀のお香を焚いていた。最近のお気に入りは、日本のお香から離れ、ネイティブアメリカンの間で使われていたホワイトセージだ。あらゆるスピリチュアルに疎いのだけれど、乾燥したホワイトセージに火をつけ、軽く振って火を消し、煙をくすぶらせていると、気持ちが鎮静していくのがわかる。そして鎮静したところで、例の資料集めに入る。古本屋で見つけてきた雑誌、チラシ、新聞などを部屋に広げて、思いのままに切り取り、ファイルしていく。これぞ至福の時間だ。あの頃のように母に、「だからこれは何の資料を集めているの?」と問われたら、「お母さん、これは小説の資料に決まっているじゃないですか」と、うそぶくことすらできる。やっぱり大人って楽しい。
最近は新型コロナウイルスの影響で、自宅にいることが望ましいと、国から要請される時代になってしまった。心配だらけの世の中だが、こんなときこそ本領発揮といきたいところだ。こちらは年季の入ったおうち組だ。小学生時代からの僕の好きな記事しか載っていないマイファイルを読みながら、ホワイトセージの煙が部屋に広がる。それに飽きたら、『名探偵ポワロ』の時間だ。やっと時代と気が合った。きっといろいろと終息したら、世の中はまた僕を置いて、どこかに旅立っていくとは思うが、とにかく生きている間に1回、カチッと時代と針が重なった。今なら、今まで人には言わずに過ごしていたおうち時間を披露しても笑われまいと踏んだ。どうだろうか、なんかいい感じに思ってもらえただろうか。母からは一昨日、「やたらに今は外に出ないことよ」とメールをもらった。追いついた。時代と母親に追いついた。わかっているよ、お母さん。あの頃から出ていないよ。これが僕のここ30年くらい(長い)の、うちでの過ごしかたのすべてだ。
燃え殻(もえがら)
1973年神奈川県出身。都内のテレビ美術制作会社に勤務。会社員でありながら、小説家、エッセイストとしても活躍。週刊SPA!にてエッセイ『すべて忘れてしまうから』を連載中。新潮社の文芸誌yomyomにて小説『これはただの夏』を発表。2017年6月30日、小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』(新潮社)がベストセラーになる。