イギリスの新学期である9月には、ほぼすべての学校で授業が再開したロンドン。3月下旬に始まったロックダウンは感染者が減少した6月から徐々に緩和され、秋晴れの街を行き交う人々の生活は普通に戻ったかのように見える。しかし最近になって感染者が再急増し、10月に入ってからは1週間に約7,700人もの感染者が報告された。
再増加傾向はロンドンだけにとどまらず、イギリス全体で1日の感染者が連続して1万人を超えるなど、いままさに第二波が訪れている状況だ。政府は10月10日に予定していたスポーツイベントなどへの観客再動員を見送ることになった。 さらに10月12日、感染者の数によってリスクのレベルを3つの段階(ティア)に分け、「とても高い=3」「高い=2」「中程度=1」と、ティアごとに対策を設ける「スリーティアロックダウンシステム」が発表された。リバプールなど、最も感染リスクの高いティア3地域では、パブやバー、カジノやジムなどの閉鎖が決定。一緒に住む家族やルームメイト以外と会う事が禁止に。ロンドンは現状、感染者の割合が1万人に100人以下のためティア1に分類されているが、「飲食店は22時閉店、6人以上の集まりは禁止、ショップ内や公共交通機関でマスクをしなければ200ポンド、最大で3,200ポンド(日本円で40万円程度)の罰金が課される」といった9月に設定されたルールが、引き続き適用される。
緊張感のある日々が続くが、店の看板や人々の会話など、街にはいたるところで“New normal”という言葉が定着し、ロンドナーたちは新たな生活様式にチャレンジしている。さまざまな変化がある中でも、特に目を引くのが不動産の動き。不思議なことにロンドンや周辺地域では、いま家が売れ、売家の価格も上がっているのだ。(取材・写真/金成チャット有美、編集/メルカリマガジン編集部)
ここ10年で一番“飛ぶように”家が売れた夏
「パンデミック下の不安定な経済の中で、誰が家なんて買うの?」そんな声が聞こえてきそうだが、これはいま紛れもなくロンドンで起きていること。英の新聞ガーディアン紙によると、今年の7月初めから8月終わりの約2か月間は、マーケットに出てから1週間以内に売れた家がここ10年で一番多かったんだそう。というのも、英政府がロックダウン後の経済対策の一環として、住宅購入時に支払う印紙税が、無料もしくは減税になる「スタンプデューティホリデー」を導入したことが最大の理由。家の価格によって違いはあるものの、最大で£15,000(日本円で200万円程度)の減税になることから、人気エリアの物件には内見予約が殺到し、「不動産屋に電話が通じづらい!」といった声も聞かれた。
ロックダウンをきっかけに、在宅ワークがより浸透し、通勤に便利なロンドン市内に住む必要がなくなったため、家の購入を考えるロンドナー達が目をつけたのがロンドン郊外や田舎暮らし。金融の中心地であるシティ・オブ・ロンドンの企業の中には、10月をめどにオフィスへの復帰を進める企業もあるが、その多くは週2日出勤推奨などフレキシブル。中には2020年内はもちろん、半永久的に在宅ワークを認め、オフィス縮小=コスト削減を図る企業もあり「エスケープ ザ シティ(都会を抜け出そう)」が、家探しをするロンドナーの新たな合言葉に浮上している。
ちなみに、ロンドナーが家を買うのは「スタンプデューティホリデー」だけが理由ではない。イギリスでは人々が家を購入するときはその多くが既に中古物件で、購入後に価格が上がることも多々あり、投資や貯金感覚で家を購入する人が多いのだ。湿気が少なく地震もないため、100年以上前の家が今でも普通に存在しており、状態が良ければより古い家の方が高いこともある。行政の景観保全策や、「テラスドハウス」「セミデタッチドハウス」と呼ばれる壁続きで建てられた家の構造上、外観を変えることが非常に難しいため、中古物件の内装を自分好みにリノベーションするのがイギリス流。しっかりと質の良いリノベーションがなされていれば、次に売りに出す時にはさらに価値が上がることも多い。こういったイギリスならではの物件事情も、不安定な経済状況でも人々の住宅購入を後押しする理由の一つと言えるだろう。
ガーデニングの新潮流「グロウ ユア オウン」
ロックダウン中、多くのロンドナーが家でしていたのがガーデニングだ。4〜6月はイングリッシュガーデンが最も美しいと言われている時期。ステイホームを言い渡されたロンドナーたちは例年以上にガーデニングに力を入れた。英の新聞インディペンデント紙の調査によると、ミレニアル世代の半分以上が、ロックダウン中、ガーデニングや観葉植物が心の健康を保つのに効果があったと答えたそうで、植物を愛するイギリス人らしい結果と言える。
自分の庭以外に、カウンシル(地方自治体)が貸し出す「アロットメント」と呼ばれる市民農園で野菜やフルーツを育てる人も。ロンドンの「アロットメント」はロックダウン以降さらに人気となり、空き待ちの状態だ
ロックダウンの段階的解除でも、そのニーズの多さから、ガーデンセンター(園芸品店)がどんな種類の店よりもいち早く再オープンを果たした。そんなガーデニングを愛するロンドナー達が、ロックダウン後に注目したのが自分の庭で野菜を育てる「グロウ ユア オウン」。イギリスを代表するガーデニングチャリティ団体RHSによると、ロックダウン後、 グロウ ユア オウン関連記事の閲覧が跳ね上がったんだとか。
セカンドハンドショップが大忙し
ロンドンには一つの街に必ずといっていいほど、チャリティ団体によるセカンドハンド(中古品)ショップがあり、多い場所では5店以上存在することもある。靴や洋服、本やインテリア用品など、何かモノが欲しいと思った時、まずはセカンドハンドショップを覗くのがロンドナーたちのお決まり。中古品は“プリラブド(誰かに愛されていたもの)”と呼ばれ、人々の生活に根付いている。ステイホームに中に家の整理をするのは万国共通なようで、倉庫やクローゼットの整理をしたロンドナーたちが、6月のセカンドショップの再オープンと同時に、抱えきれないほどの“プリラブド”を持ち寄ったため、多くのショップで、置く場所がないほどの中古品が溢れたという声が聞かれた。
ハロッズ、リバティ……老舗デパートの変化
買い物の仕方もロックダウン後は一変。店内入店の際には政府のガイダンス通り、必ずマスクを着用し、入り口に設置されたハンドジェルで手指を消毒するルールが採用された。通常、冬でも一切マスクをすることのないロンドナー達が、デパートやスーパーマーケットで一様にマスクを装着する姿を見ると、パンデミックが確実に人々の生活を変えたことを実感する。
ロンドンを代表するデパート、ハロッズやリバティも例に漏れず。店員も買い物客もマスクを装着、店内の至る所に消毒ジェルが置かれ、レジには大きな透明パネルが設置されている。支払いの主流はクレジットカードをタッチするだけで、サインや暗証番号の入力をせずに決済ができるコンタクトレス。パンデミック以前は£30だった限度額が、ニーズの高まりを受けて£45まで増額した。多くの人が接触を可能な限り少なくするため、現金を使用せずに買い物をしている。
オンラインを駆使したパブの新たな形
とにかくパブを愛するロンドナー。ロックダウン中、何よりもパブを恋しがる人が多かったのは事実。そこで、ロンドンの「カムデンブリューワリー」はロックダウン中に「オンラインパブクイズ」を実施。パブクイズとは、どこのパブでも定期的に開催されているクイズ大会で、チーム対抗でネット検索に頼らず、出された質問に答え(主に豆知識系)、優勝チームはビールの無料券などがもらえるもの。ビール片手にこういったオンラインイベントに参加したり、「ハウスパーティー」など、グループチャットアプリのパブクイズ機能を使って、友人同士で家飲みをパブ化する人々も多く見られた。
パブはロンドナーにとって、仕事帰りに同僚や友達とビールを飲んだり、休日には家族や恋人と食事をとったり、時にはお気に入りのチームの試合を応援しに行ったりする、生活に密着した特別な場所。7月上旬、約3か月の時を経て、再オープンした日には朝早くから行列のできたところもあった。平日は特に、仕事帰りにサクッと飲んで、食事は家でとる人も多いことから、多くの人が立ち飲みを好むのがイングリッシュパブのスタイル。本来であればこの時期は、店内も店外も立ち飲みする人たちで溢れ、グラスが空になったら、フラッとバーに向かい新しい飲み物をオーダーするというのがお決まりだが、ロックダウン後は多くのパブでテーブルサービスが主流となり、日本の居酒屋のようなスタイルに変化している。ロンドン名物であるパブの周りで立ち飲みする人々を見られる機会は少なくなった。
また、パンデミック以前には、多くの人がハグやキス(頬を合わせる挨拶)をし、肩を寄せ合って盛り上がっている姿が見られたものの、最近では、ハグやキス、握手をする人は激減。代わりに、肘と肘をタッチする「エルボーバンプ」や「ナマステ」と呼ばれる手と手を合わせる挨拶など、新たな手段も出てきた。エルボーバンプはボリス・ジョンソン首相も公務で行うなど、公式の場でも採用されている。
夏休みの合言葉は「ステイケーション」
例年、夏休みにはスペインやフランス、イタリアなど近隣のヨーロッパ諸国へ旅行に出かけるのがロンドナーの定番だが、今年は新型コロナウィルス感染予防の観点から政府が国内旅行を楽しむステイケーションを推奨。国内のホテルやレストラン、エンターテイメント系施設のVAT(日本の消費税にあたるもの)が20%から5%に減額された。さらに、7〜8月にかけては第二波を防ぐため、スペインやフランスなどからの帰国者には2週間の自己隔離を求める発表があったこともあり、ロンドナー達は近場で楽しめるラグジュアリーなホテルステイや大自然の中のグランピングなどに目を向けた。
Interesting day to cover for @merrionstreet with an elbow bump moment as An Taoiseach @MichealMartinTD meet with UK Prime Minister @BorisJohnson at @HillsCastle today #StaySafe #Covid_19 pic.twitter.com/fVwWLj2MYm
— Julien Behal (@Julienbehal) August 13, 2020
8月、公務でアイルランドを訪れたボリス・ジョンソン首相。アイルランドの首相とエルボーバンプで挨拶
ロイヤルファミリーやセレブリティも然り。毎年、夏には家族でカリブ海へ旅行するウィリアム王子とキャサリン妃だが、今年はイギリス南西部コーンウォール州にあるシリー諸島のトレスコ島へ。コーンウォールは他にもデビッド・ベッカム、ビクトリア・ベッカム夫妻やその息子のロメオ・ベッカムがガールフレンドと訪れた場所でもあり、ロンドナー達にも人気の高い滞在場所だった。また、ボリス・ジョンソン首相も自らスコットランドで2週間のステイケーションを楽しんだそう。
感謝を込めて広がるレインボーの輪
NHS(National Health Service)と呼ばれる国営病院があり、イギリス国民のみならず、在住者なら誰でも無料で医療が受けられるイギリス。パンデミック下でも人々のために変わることなく働き続けるNHSの医療従事者をはじめ、スーパーマーケット、公共交通機関などで働くキーワーカーへの感謝を込めて、子どもたちが希望の象徴であるレインボーの絵を描き、窓辺に掲げるのが大きなムーブメントに。ロックダウン当初、1日1回のみ許された散歩時に、公園や学校に行けない子供たちの唯一の楽しみとして、どの家にレインボーが掲げられているのかを探すことが流行となり「#chasetherainbow」というハッシュタグも登場した。
レインボーの絵と一緒に花や植物を並べる人も。趣向を凝らした窓辺は見るだけでほっこり
ロックダウンが緩和された今でも、ロンドンのいたる所で、多種多様なレインボーを目にすることができ、アートを楽しむようにそれらを眺めるのを日課にしている人も少なくない。街中を彩る感謝と希望の象徴であるレインボーは、パンデミックの中にあってもロンドナーたちの心をひそかに元気づけている。
ピカデリーサーカス駅の入り口は、通常観光客や買い物をする人でごった返しているが、日曜の午後でこの静かさはかつてみたことがない(9月上旬撮影)
金成チャット有美(かなり・ちゃっと・ゆみ)
都内の出版社にて約6年間、モノ雑誌の編集を担当。2015年、結婚を機にシンガポールへ。現地メディアでレストランや美容関連の記事を書く傍ら、フリーランスとしての活動も行う。2018年にロンドンへ移住。mylittleflowersintheuk.tumblr.comにて“実はおいしい”イギリス料理やイングリッシュガーデンの魅力を発信中。