趣味2020.03.16

『パラサイト』世界制覇をもたらした、ハリウッド基準のプロダクション・デザイン

あの作品の“モノ”を徹底リサーチ #01
 
映画の質を決めるのは何だろうか? 監督の演出手腕? 脚本の面白さ? 巧みなカメラワークや編集? 役者の表情や動きや台詞回し? もちろんそのすべてだが、それと同じくらい忘れてはいけないのが、アカデミー賞のカテゴリーで言うところの「プロダクション・デザイン」だ。日本では単純に「美術」と訳されることが多い「プロダクション・デザイン」だが、その仕事が及ぶ範囲はセットのデザインやインテリアの装飾だけではなく、小道具や持ち物の選定にまで及ぶ。映画の作り手がそうした細部にまで意識と労力を注ぎ込むことは、それぞれのキャラクターが「本当に使っていそう」と思わせることで観客を作品の世界に没入させるだけではなく、作品全体の完成度を高める上でも極めて重要な役割を担っている。例外的な作品もあるにはあるが、ハリウッド映画と日本映画の最も大きな違いは、そんな「プロダクション・デザイン」の精度の差にあると言ってもいいだろう。
 
カンヌ国際映画祭のパルムドール受賞を皮切りに世界中で数々の賞に輝き、遂にはアカデミー賞で作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞まで受賞するという歴史的快挙を成し遂げたポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』。韓国の社会問題や生活習慣を克明に描いた同作が、外国語映画として史上初めてアカデミー賞で作品賞を獲得した要因の一つは、「プロダクション・デザイン」においてもハリウッド映画を凌駕する水準に達していたことにある。あまりにもリアルなので指摘されるまでわからない人がほとんどだろうが、貧困層家族の半地下にある住居も、富裕層家族のモダンな邸宅も、監督自身の精密な絵コンテに基づいてすべてゼロから作り上げられたセット。そして、その住居に配置された家具や絵画や小道具や持ち物も、綿密なリサーチと計算に基づいて選び抜かれていた。特に富裕層においては、意識的にも生活的にもグローバル化が進んでいる現代社会。『パラサイト』は格差社会というテーマだけでなく、そこで描かれている「モノ」においても、世界共通言語で語られている作品だった。  
(編集/メルカリマガジン編集部、イラスト/二階堂ちはる)

「あの作品の“モノ”を徹底リサーチ」は映画、ドラマ、小説などに登場する「モノ」から作品をより深く読み解くシリーズです。

メルセデス・ベンツSクラスとレンジローバー・ヴェラール

富裕層家族パク家の邸宅のセキュリティー万全なシャッター付きガレージ。そこには、半地下家族キム家の策略で父キム・ギテクがその運転手に収まることになるビジネス用のメルセデスベンツSクラス(セダン)と、キャンプなどのレジャーで活躍する家族用のレンジローバー・ヴェラール(SUV)が並んでいる。日本映画では蔑ろにされがちな「あるある」なポイントは二つあって、いずれも最新車種であること(会社経営者は経費でリースをすることが多いので型落ちのクルマには乗らない)と、用途によって当たり前のように車種を使い分けていること。また、両車ともそれぞれのジャンルにおける最高級の車種ではあるものの、例えばセダンならメルセデスベンツ・マイバッハやロールスロイス・ファントム、SUVならベントレー・ベンテイガなどの、極端に高額でラグジュアリーな車種ではないところにも注目。クルマに出費は惜しまないものの、そこに特別な愛着や執着があるわけではなさそうな、パク家の父パク・ドンイクのドライさもさりげなく示されている。

シャネルのコスメ、エルメスのバーキン

パク・ドンイクにとってトロフィーワイフ(社会的成功の証となる美人妻)である妻ヨンギョ。彼女のクローゼットには様々なモデルのエルメスのバーキンがズラッと並び、そのドレッサーには、シャネルのパレット、ペンハリガンのオレンジ・ブロッサム、サンタ・マリア・ノヴェッラのハーブウォーター、ドゥ・ラ・メールのクリーム、ジョー・マローンのコロンと、いずれもヨーロッパの高級ブランドのコスメが並んでいる。

作中でも「ヤング&シンプル」と称されているように、富裕層の妻ならではのシンプルでシックな出で立ちのヨンギョだが、バーキンの持ち手にさりげなく同じエルメスのスカーフを巻き付けているなど、恵まれた経済環境を存分に享受しているファッション上級者であることは間違いない。

「チャパグリ」とVOSSのミネラルウォーター

高級スーパーで、運転手のキム・ギデクに持たせた買い物かごに価格を一瞥もせずに次から次へと高級食材を入れていくヨンギョ。韓国家庭で流行中のB級グルメ、チャパグリ(韓国風ジャージャー麺「チャパゲティ」とピリ辛ラーメン「ノグリ」をミックスしたもの)を作るシーンでも、キム家では惜しげもなく大量の高級サーロイン肉がフライパンに放り込まれていく。そんなパク家の冷蔵庫の中で一際目を引くのは、ズラッと並んだ透明の筒状のオシャレなボトル。これはノルウェーのVOSSというブランドのナチュラルウォーターで、ボトルのデザインを手がけたのはカルバン・クラインのクリエイティブ・ディレクターでもあったニール・クラフト、375mlのボトルは日本円で約1,000円。それがパク家にとっての日常の「飲料水」なのだ。

スノーピークのキャンプ用品

クルマもコスメもバッグもミネラルウォーターもヨーロッパ・ブランド贔屓のパク家だが、家族のレジャーや広い庭でのホームパーティー用に揃えられたキャンプ用品は日本のスノーピーク社の商品だ。スノーピークは新潟県三条市に本社がある日本の高級アウトドアブランド。経営者の山本太氏は昨年アメリカに移住、今春ポートランド(ナイキやキーンやコロンビアなどの本社がある、アメリカのスポーツ/アウトドア系ブランドのメッカ)にフラッグシップ店をオープンして本格的にアメリカ進出を果たす。韓国や台湾では既にブランド展開済みで、当地のキャンプ・カルチャーの定着に大いに貢献してきたというが、きっと韓国でアウトドア系のレジャーを嗜むことは経済的に余裕がある家族のステイタスなのだろう。キャンプの準備の買い出しで家に持ち帰っていたギガパワーストーブ剛炎とテーブルウェア、娘ダヘが部屋で着ていたTシャツのロゴ、地下室への階段に設置された棚に収納されていたギガパワープレートバーナーの空き箱と、まるでプロダクト・プレイスメント(企業とのタイアップで作中に商品を登場させること。ハリウッド映画ではプロダクト・プレイスメント専門の広告代理店がいくつも存在するほど定着している)を疑うほどの『パラサイト』のスノーピーク推しは興味深いところ。

インディアン・グッズ

劇中に「これはメタファーだ」というセリフが何度か出てくるように、画面に映るあらゆるものに様々なメタファーや文脈が張り巡らされている『パラサイト』。中でもギョッとさせられたのは、パク家の長男ダソンがはまっているインディアンのグッズだ。劇中でパク家の妻ヨンギョは「アメリカのECサイトで買った」と語っているが、それを無邪気に子供に買い与えるのは現代のポリティカル・コレクト的な観点からはギリギリの行為。日常会話に英語を混ぜるアメリカかぶれのヨンギョだが、それがいかに表層的なものであるかが示されている。また、歴史的に韓国がアメリカの植民地主義の犠牲になった国であり、現在も経済的に侵略されていることに対しても無自覚だと言えるだろう。ちなみに、本作におけるインディアン・グッズが何のメタファーであるかについて、インタビューでポン・ジュノ監督は「潜入した場所に、既に住んでいる家族(=先住民)がいる」と答えている。

山水景石

最後に、半地下家族の持ち物にも注目してみよう。友人のミニョクから譲り受けた山水景石を、キム家の長男ギウはまるでお守りのように大事にしている。山水景石は、日本における「水石」の文化とも近いルーツを持つもので、鑑賞用の自然石を通して、山や水などの自然の営みや景色を思い浮かべる文化から生まれたもの。『パラサイト』の作中では「金運と学業運をもたらすもの」とされている。機能的かつ高品質なモノに囲まれている裕福なパク家が(おそらくは美貌を武器にここまでのし上がってきた)妻ヨンギョを除いてモノにあまり執着していないのとは対照的に、貧しいキム家に生まれたギウは、水害からの避難の際にも足手まといになる、まったく機能的ではないスピリチュアルな意味が込められたモノに執着し続けている。その「モノ」の対比、そして「モノへの態度」の対比にも、『パラサイト』の残酷なテーマが込められている。また、注目すべきは水害の際にその石が水に浮いていること。ギウがその山水景石を通してすがっていた未来の希望や夢は、最初から空っぽだったのだ。

『パラサイト』全国公開中
キム一家は家族全員が失業中、“半地下住宅”で貧しい生活を送っていた。そんなある日、長男ギウは友人の紹介で、IT企業CEOパク一家が暮らす高台の大豪邸へ家庭教師の面接を受けに行く。やがてキム家は次々と素性を偽り、豪邸に足を踏み入れていく。正反対の2つの家族の出会いは、想像を超える悲喜劇へと猛スピードで加速していく……。『殺人の追憶』『グエムル 漢江の怪物』『スノーピアサー』の監督ポン・ジュノと主演ソン・ガンホが4度目のタッグを組み、本作は2019年に第72回カンヌ国際映画祭で韓国映画初となるパルムドールを受賞した。第92回アカデミー賞でも外国語映画として史上初となる作品賞を受賞したほか、監督賞、脚本、国際長編映画賞(旧外国語映画賞)の4部門に輝くなど世界的に注目を集めた。

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WRITTEN BY

宇野維正

(うの・これまさ)映画・音楽ジャーナリスト。好きなものはラップミュージックとホラー映画とクルマ。著書に『1998年の宇多田ヒカル』『くるりのこと』『小沢健二の帰還』『日本代表とMr.Children』『2010s』がある。

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