お笑いタレントとしてマルチな才能を発揮する光浦靖子さん。実は小学3年生からハマっているという手芸の世界でも有名だ。その腕前は市原湖畔美術館に展示を出し、著作も3冊にのぼるほど。手芸と出会って35年、「手芸で食べて行けたらいいなあ」と語るほどのめり込んだ理由とは。(編集/メルカリマガジン編集部、撮影/飯田協平)
草野仁に具志堅用高… “らしさ”全開の「似顔絵フェルティング」
「手芸って本当に楽しい。喋らなくてもいいし、自分のペースでできるし、悩みも何も考えずに逃避できて、『早くゴールが見たいわ〜』としか考えないのが本当に平和でいいですよ」
光浦さんが初めて手芸と出会ったのは10歳の時。つまり“芸”歴より“手芸”歴のほうがはるかに長いことになる。今では展覧会を開いたり、インスタグラムに次々と作品を投稿するなど、手芸界ではすっかり有名人だが、その手法はほとんどが「独学」だ。
「小学校の時に入った手芸クラブが抜群に楽しくって、それ以来ずーっとハマってます」
光浦さんが裁縫箱に手を伸ばすのは「『手芸したいな〜』ってなったとき。いつとは決まってないですが、自然とそう思うときがあるんです。で、人から頼まれてもないのにマスコット作ったりするんです。手芸のときはテレビで『科捜研の女』とか『相棒』とかを流しながら。一番はかどるし、一番心が落ち着く。一話完結で、脚本がしっかりしているドラマが向いてますね」。つまり耳だけでも話を追えるドラマが手芸にはいいというわけだ。
そう言うと、光浦さんのカバンの中から、数々の作品たちが姿を現した。「金ぴかのパグ」や「座布団の上でお腹を見せる柴犬」さらには「草野仁さんの顔」まで… 。こうした手芸のジャンルは“ ニードルフェルト”と呼ばれ、羊毛でできたフェルトをほぐし、針で刺し、成形して固めていくのだ。
それにしても光浦さんの作品はとてもカラフルだ。手のひらに収まるサイズの中に何色ものフェルトが用いられている。
「だからいつも色で困ってるんですよ。自分でフェルトを染色できるわけじゃないし、売っている色しか使えない。店に行ったけど、欲しい色がなかったってことも」
ネットでフェルトを買ったことはあるが、「ネットだと色を実際に見れないからなあ…」とぼやく。そうした色へのこだわりの一方で、パグや“仁くん”の顔つきなど、光浦さんの作品は絶妙なデフォルメも特徴的だ。
「私は絵が下手なので、フェルトで表現するほうが向いてるんですよね。立体に描く画力がなくて。飛び出てほしいところが飛び出てくれない。でもフェルトは半立体、2.5次元なもんで。例えばこの草野仁さんのヤツだと、絵で描いてると『ほっぺはもっと出てるのに〜』ってフラストレーションになるんですけど、手芸ならそのままほっぺに足していけばいいわけだから」
仁くん以外に、パパイヤ鈴木さんや具志堅用高さんなどをモチーフにした“似顔絵フェルト”もあるという。自分の頭の中の完成像をイメージしながらテレビドラマをBGMにフェルトをチクチクといじる、それが “至福の瞬間”だ。やがて作品から立ち上がってくる、その“人”が持つ独特の雰囲気。
「絵が上手い人がちゃちゃっと作るより、下手な人が一生懸命作ってるほうが、なんというか『一生懸命やってるな〜』って伝わってくるものがあると思うんですよね。一生懸命似せようとしている努力感が逆に“味”になっとるんじゃないかなあ」
それが作品を見る者の心を釘付けにするのだろう。
「いらないものしか作らない」というこだわり
羊毛だったフェルトを徐々に成形していく過程では「いろんな人に似てくる」のも魅力の一つと語る。
「人間は1ミリ整形しただけでも顔が変わるって言われてますけど本当にその通りで、汚い表現ですが、鼻くそくらいの大きさの塊を付けるか付けないかで全然変わってくるんです。やっている途中に“いろんな人”が顔を出す。『早く仁くん、出てこないかなぁ』って思いながらやってますよ」と苦労を語る。
今では総作品点数は250点にも及んでいる。有名人の顔以外にも「土偶」や「沖縄お土産シリーズ」などユニークな作品たちが光浦さんの針先から生み出されていく。
こうした題材は「突然やりたいと思ってやりだすもんで。まだ次にこれをやりたいってのはない状態なんですけど、作品に一貫したコンセプトがあったほうが題材も見つかりやすくなるかなと思って、今はコンセプトを考えつつあるところです」。
“模索中”のコンセプトの答えは、3作の著作にあるのかもしれない。光浦さんは過去に『男子がもらって困るブローチ集』『子供がもらって、そうでもないブローチ集』、自身の理想の暮らしをテーマにした『靖子の夢』を刊行している。光浦ワールド全開の3作に共通しているのは「頼まれてもないのに、誰かのために一生懸命作る」ことだ。「私は基本的に“いらないもの”しか作れないです。カバンや洋服は作れないし、サイズやら辻褄やらを考えなくてもいいので、いらないものは作るのが楽なんですよ」。あっけらかんと笑う。
手芸の仕方や題材選びからコンセプトまで、どこまでも我流で“自由に楽しむ”ことを大事にしている光浦さんだが、大高輝美さんのことを「フェルト界のカリスマ」と尊敬の念を隠さない。大高さんは1970〜80 年代 に手芸作家として空前のブームを巻き起こした。
大高さんの作品について「実物を見せてもらったんですけど、光ってるんですよね」と熱っぽく語る。
「手芸作品におけるズルさっていうのか、そういうのが一切ない。輝いて見えたんです。やっぱ本物って違うんだ〜って思いました」
夢は大きく「グッチとコラボ」
今後、光浦さんはどのような手芸道を歩むのだろうか。
「ばあさんになったら、手芸で食べていけたら最高だよなぁってぼんやり思ってます。1個ずつ注文受けて対面販売して生きていけたらなあ…って。夢ですね。無責任な夢ついでに、『グッチからコラボの依頼とかこねーかなぁ?』(笑)」と冗談っぽく語る。
「飲み屋で友達に『まずはグッチに知ってもらわないといけない、まずはインスタからだよ!!』って言われたので、勢いでインスタを始めたんですが…」と言葉をつまらせる。
「そうしたら?」と問いかけると一言。
「5000人からまったく増えない! 最近はそれが悩みでして…。普通タレントの名前を出すと、1日に何万人ってフォロワーが付くんらしいんですけど…グッチどころか、いろいろヤバいっす」