趣味2021.08.02

「殴る男から抜け出せた日のこと」人生を変えた買い物#02 紗倉まな

誰にでも、人生を変えた買い物がある――さまざまな書き手の方に、記憶に残り、運命を狂わせた「お買い物」体験を綴っていただく、連載シリーズです。(文・写真:紗倉まな、イラスト:くぼあやこ、編集:カツセマサヒコ/メルカリマガジン編集部)

 遠出した際に購入した小さな置物、髭の斬られたぬいぐるみ、大量の御守り。それらは結界を張り巡らせるかのように、多くの目を私に向けつつ置かれている。タイで買ってきた小さな起き上がりこぼしは、不安定な軸でエアコンの弱い風に揺れる。髭の切れたぬいぐるみは、神経質な母親が、「目に入ったら危ないから」と無残に切り揃えていたもので、その癖が、いつの間にか私の習慣となっている。ハムスターの髭も、ハリネズミの鬚も、マナティーの鬚も、根元まで可愛げもなく切り落とされる。そして御守りは、神様たちがバトルロイヤルをしても不思議ではないほど、大量に積み重ねられている。
 これらは、一つに信仰をまとめられない私が、立ち寄った寺社仏閣等で、息を吸うように買ってきてしまったものだ。そもそも、置き土産もぬいぐるみも、私からすれば御守りみたいに大事なものだ。即物的ではない、何か神聖な気持ちを買っているのかもしれない。
こうした品々は、持ち主によっては必要か不必要かの酷薄なジャッジを受けて、埃をかぶる前に捨てられることがある。でも私には、とてもじゃないけど捨てられない。愛着が強すぎる。
 人が訪れると、「なんだろう、目が多くて落ち着かない……」と評される散らばった部屋。でも、それらより、もっと落ち着かない、しかし私を守ってくれる大切な品が、クローゼットの奥にしまわれている。

 さすまた。
 
 私が私の身を守るために買った、唯一の武器。
 遡ること十年前、学生の頃、付き合っていた男性が半端なく乱暴な人だった。「おはよう」と水をかけて私を起こす。どういうことだろうと思うが、私は寝起きが悪いから、洗顔を兼ねて起こしてくれているのだという。最悪だ。鼻腔に染み入った水が痛くて、プールで溺れかける夢を毎日見た。挙句、髪も引っ張るわ、蹴ってくるわ、時折、首も絞めてくるわで、典型的なDV男だった。命を懸けて付き合う、そんな宣誓をする価値もない人だ。
 しかし、「逃げたい」という気持ちは確実にあるのに、頭が鈍くなって、囚われたように身動きが取れない。彼は、私の隙や余白を決して見逃さず、反論や余裕を奪い、調達してきた鋭く汚い言葉で畳みかけて、私の存在自体を否定する。ぺしゃんこになった自尊心を見つめているだけでも、なんだか疲れた。どうしたことか……。

 しかしある日、後頭部にできた、たん瘤を押さえながら「なんでこんな人と付き合っているのだろうか? なぜこの人を好きになったのだろう?」と当たり前のことをふと思ってしまった。彼はいつの間に、私の神になったのだろう? どうして彼なしでは生きていけない、という気持ちを私はもっているのだろう? 今考えれば、自分はどうしようもない人間だという精神へと、彼に巧妙に塗り替えられてしまっていた。

 ごめんね、と平謝りをするこの男から逃れる術を、私は一生持ち合わせられないのだろうか。細い体に見合わない、屈強な男性の腕力に打ちひしがれた。その上、経のように垂れ流される不平不満には、聖母のような優しい対応を強いられた。こんな相手に対し、私は自分を大切にするための対抗策を、何も講じなくていいのだろうか。


……いいわけないだろー!!!(満場一致)

 思い立ったが吉日、「自衛」「体を守る」と短絡的に単語を検索エンジンに入れ込んでみると、近くの公民館で、自己防衛講座が開かれているのを発見した。痴漢男や、刃物を持った人間が襲い掛かったときにでも、即座に対応できる護身術を教えてくれるという。  
ぼさぼさ頭の温厚そうなおじさんが師範だった。失礼ながらも、どこか頼りなく、胡散臭さを感じた。私は少しの間考えた。運動音痴の自分だと、護身術を取得するにも半年くらいかかるだろう。もっと即座に効果を得られるものがいい。
 辿り着いたのが、さすまただった。たまたま見つけた防犯グッズのHPで、スタンガンなどの不気味な商品が犇(うご)めく中で、一つの、さすまたに目を付けた。さすまたの弓なりの曲線、そのしなやかさに、惚れ惚れとしたのだった。古代エジプトの神々が所有しているような可愛らしさすらある。そしてアクセサリーのように、他の防護グッズと比べ、どれが自分に一番しっくりくるのだろうとスクロールしながら考えた。そして相対した時、さすまたを差し出したほうが、どことなく健全であるような気がした。
 早速、ネットで注文した。彼にばれぬよう、宅配ロッカーから、密かにさすまたの入った段ボールを回収する。開けてみると、その美しさにうっとりした。ぴかぴかと光り輝いて見えた。威厳のある風格を保っている。頼りがいがあるのがわかる。棒を伸ばしたり縮めたりしながら「へー、すごいじゃん、かっこいいじゃん、さすまた!」と私は、早速素振りをして、踏み出す構えと共に、気持ちが前進したように思えた。

 クローゼットの奥に忍ばせると案外わかりにくい。部屋の中のものを隈なく調べている彼ですら、何も知らなければ、その影は一見、引っかけ棒や傘にも見えなくもない。彼が私に手を上げる前に、クローゼットに駆け寄りさすまたで、一足早めのソーシャルディスタンスを保つのだ。彼は、私が常に泣き寝入りする立場であると、そんな愚かな憶測をして、油断しているに違いない。
 何度もシュミレーションをして迎えたある夜。とうとうその時は訪れた。
「それ以上、近寄るな!」
 手を挙げられる予兆を察して、慌ててさすまたを伸ばす私を見て、
「……え、なにそれ」
と彼は呆気に取られている。
 さすまたはなかなか狙いを定めにくかった。彼が大きな軌道で逃げるからだ。Uの字になった先を彼に両手で掴み取られながらも、その反動を有効に使って、壁に押さえつける。距離をとり、「嫌いなんだよ、出て行ってよ!」と私は大声を発して、さすまたを持ったまま非常階段から逃げた。「来るな!」と更に叫んだけど、別に追ってこなかった。

 結局そのあと、コンパクトサイズに縮めたさすまたと共に、ひっそりと財布を取りに帰ったら、彼はまだ家にいて(というか私の家だし)、ひどい言い合いになったけれど、さすまたの効力か、彼はそれ以上、腕力には頼らなかった。そして私には、さすまたを買った勢いがあった。だから、次々と放たれた最後の言葉の暴力にも耐えられたし、彼を追い出すこともできた。さすまたを使うほど、彼が有害であることを、改めて自覚できた。
 未だに、クローゼットの奥でさすまたは眠っている。十年以上も前のことだから、さすまたも古びているんじゃないかと思うけど、軋みもせず丈夫である。
 ニュースで凶悪事件の犯人の顔が映し出されると、さすまたをベッドの隅に置きなおす。一人で生きていくことを自覚させられた夜は、さすまたがクローゼットにあることを思い浮かべる。置物やぬいぐるみや御守りたちは、そんな風に逐一、過敏に怯える私を見ている。さすまたは、私の希望で、私の守り神だ。部屋には沢山の目と、一つのさすまた。不安の波は、さすまたで強く押し返せる。みんな、一つくらいは、さすまたを持ったほうがいいのではないかとすら思う。

紗倉まな(さくら・まな)
1993年、千葉県生まれ。AV女優、タレント、作家。主な著書に『最低。』『凹凸』など。

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メルカリマガジン編集部

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