趣味2021.04.30

『BRUTUS』『広告』編集長に訊く「本当にいいモノって何ですか?」カケルメルカリ06:西田善太・小野直紀

ファッション・音楽・アートなど、さまざまな分野で活躍されているトップランナーを招いて、これからの買い物やメルカリの進むべき方向について考えていくトーク企画「カケルメルカリ」。 第6回目のゲストは、雑誌『BRUTUS』編集長の西田善太さんと、雑誌『広告』編集長の小野直紀さん。

編集者歴は実に30年、「居住空間学」「珍奇植物」「危険な読書」「買えるブルータス」などポップカルチャー全般を題材とした名特集を世に送り出してきたベテラン編集者の西田さんと、「流通」特集号での段ボール装など、販売プロダクトとして雑誌の斬新な形式を打ち出し話題をさらう編集者兼プロダクトデザイナーの小野さん。同じ編集者でありながらも、異なるアプローチをとるお二人は、プライベートでもお付き合いのある間柄だという。

さて、今回投げかけたトークテーマはずばり「良いモノとは何か」。話はモノの「価値」を構成するレイヤーを細やかに分析するところからスタート。“最近買ったモノ”など、お二人の個人的なエピソードを挟みつつ、買い物の変容から消費がもたらす雑誌づくりへの影響の話まで多岐に及んだ。終盤には「もしメルカリをテーマに雑誌をつくるとしたら?」という問いにも言及。多様な視点からモノの価値を掘り起こしていく。聞き手は、幼少期から雑誌をこよなく愛するメルカリの長嶋太陽が務める。
(執筆/長畑宏明、撮影/玉村敬太、編集/メルカリマガジン編集部)
※対談・取材は飛沫防止シートの使用や除菌を徹底した上で行っております。

西田善太(にしだ・ぜんた)

雑誌『BRUTUS』編集長。株式会社博報堂のコピーライター職を経て、1991年株式会社マガジンハウスへ入社。ファッション誌『GINZA』編集部、『Casa BRUTUS』副編集長を経て、2007年12月『BRUTUS』編集長に就任。

小野直紀(おの・なおき)

雑誌『広告』編集長。 2008年博報堂入社。 2015年に博報堂社内でプロダクト・イノベーション・チーム「monom(モノム)」を設立。 2019年、博報堂が発行する雑誌『広告』の編集長に就任。

直感、知識、歴史……モノの価値は複層的。

まずは、お二人が考える「良いモノ」の定義からさっそく切り込んでいく。職業柄、常日頃からものごとへの審美眼が問われる立場にあるからこそ、「価値」という概念のうっすらとした輪郭をグルグルとまわりながら言語化していく、その解像度には驚かされるばかり。
長嶋 今回は、いま影響力をもつ雑誌の編集長を務めるお二人をお招きして、「そもそも“良いモノ”ってなんだろう?」というテーマのもと話をお伺いできればと。早速ですが、お二人は“良いモノ”をどのように定義されていますか?

西田 このまえClubhouseで小野くんと話していて、「いま価値があると思っているものは、実は自分以外にそう思わされている可能性がある」という話題が出て、おもしろいなと。なので、まずは小野くんから改めて話してもらっていいですか??

小野 はい。雑誌『広告』のリニューアル創刊号の特集がまさしく「価値」だったんですが、いま西田さんにご紹介いただいたのは、そのとき文化人類学者の松村圭一郎さんに取材したなかで出たフレーズですね。人によって価値観が違うのは前提として、パッと見たものの価値を独自に判断するのは意外に難しいっていう。
西田 小野くんが個人的に“良い”と思うモノって?

小野 機能に対して必要十分なデザインが備わっているモノ、ですかね。たとえばお茶をのむときには器が必要じゃないですか。その必要な機能から導きだされる、無理をしていない「形」をしているモノが好きで。

西田 なるほどね。たとえばメルカリで値段が高くなっているから人気がある、だから良いモノ、っていうのは誰もが思い込みがちで、だからこそ基本に立ちかえることが大事。そこで「無理をしていない」というのは、「エシカル」や「サスティナブル」より一歩引いた言葉に聞こえます。要は、作る側も買う側も無理をしていないモノ。

長嶋 その「基本」というのは、具体的にどういう地点なのでしょうか?

西田 ひとつ頭に浮かんだのは、「民藝」のこと。民藝運動を提唱した柳宗悦はかつて、民藝品の定義のひとつとして「無銘性(むめいせい)」を挙げています。「特別な作家ではなく、無名の職人によってつくられたものである」と。つまり、有名な作家が手がけたから価値が上がるというのはおかしなことで、たとえば無名の人が作り上げた湯呑の形が、何十年とさまざまな人に売られて、使い続けられるというのが本当の民藝だ、という考え方です。

長嶋 なるほど。時間の経過の中で、モノの価値が証明される、という考え方ですね。

西田 その反面、モノの価値にはストーリーも欠かせない。インターネットは検索を前提としたメディアで、欲しいものがハッキリしていれば使いこなすことができるけれど、雑誌は発見のメディアで、人はたとえば美しいボールペンが載っている誌面をみて初めて「自分はこのボールペンが欲しかったんだ!」と思う。モノを見て初めて、自分の欲望に気づくんです。自分の欲望に関して人はだいたい3割くらいしか言語化できていないって説もあります。「人間の欲望というものは自存する感情ではなく、目の前にそれが現れたとき発動する感情だ」という言葉も好きです。『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクター博士の言葉ですけどね(笑)。
長嶋 つまり良いモノというのは、簡単に言葉にできるようなものじゃない、と。

西田 できないというよりも、“ならない”かな。あと知識のほかに“直観”も必要ですよね。先ほど話に出した柳宗悦の家では、日頃使っているのが李朝の器だったりしたそうです。息子である、これまた高名なプロダクトデザイナーだった柳宗理さんが「子どもの頃、食卓で見た器が、翌月、日本民藝館で展示されてたことがある」とおっしゃってました。その柳宗悦は、勉強のために住み込んでいた学生の書生によく「○○くん、この器をどう思うかね?」と突然尋ねたそうです。そこで言い淀むようではダメだと。モノを見て瞬時に良し悪しや意味を判断するためには、勉強して知識を身につけるだけでなく、直観も必要ですよね。「良いモノ」が独立してあるわけではなくて、モノと受け手の歩み寄りの先に関係ができる。そして僕の場合は、自分から歩み寄っていくことの方が多いんです。

小野 そういう意味で、モノとの出会い方って重要ですよね。親しい誰かからプレゼントされるのと、量販店でパッと買うのとでは、同じものでも価値が変わってくる。

西田 どちらにせよ、冒頭の話に戻すと、自分が「良いね」と思ったときに「もしかしたら、そう思わされているかも」と一度疑ってみるのはいいかもしれない。そのモノを勧めてくれた人が一言添えてくれる、というのを信じるとかね。

長嶋 西田さんご自身のなかで、何か原体験があったのでしょうか?
西田 たとえば、僕は毎年「ほぼ日手帳」を買っているんですけど、あるときまでは手帳を信じていなかった。ほら、たとえば日記って自己愛が強すぎる感じがして。そもそも日記やメモを書いたとしても後で見返すこともないし。でもね、あるとき糸井(重里)さんにその話をしたら、「西田くん、わかっていないよ。たとえば今よりも4年前の自分の方が答えを出していることもあるんだよ」と言われたんです。つまり、人間はリニアに成長をしていくのではなくて、同じことを繰り返しながら成長するのであって、4年前から答えを知っていたのに、それを忘れて同じ迷路に入っているのだと。

長嶋 ああ、たしかに。子どもの方が真理を知っている、みたいな話もありますよね。

西田 そうですね。そんなことを糸井さんに言われてから「その瞬間の答えを残しておこう」と思うようになって、手帳を買い、日記やメモを書き記すようになったんです。その一言によって、僕にとって手帳は価値のあるものに変わった。つまり、きっかけがあって、物語(ストーリー)があって、歩み寄っている。そういうモノとの出会い方って大事だなって。

小野 安易に買ってしまうと、すぐに飽きて無駄になる可能性も高い。モノの価値はユーザーとの共創によって生み出されるとすると、僕は自分にふさわしいモノなのかをよく考えたい。人に勧められたから買う、だけではなく、精査するとか俯瞰するっていうのが大事だと思います。

西田 そういえば、テレビショッピングに比べるとラジオショッピングの方は返品率が低いという話があって。テレビは目でモノをみるから完璧にイメージできちゃうんだけど、ラジオは具体的なイメージがないまま購入するから、想像との差異はぜんぶ自己責任じゃない?

長嶋 面白いですね。それはたしかに!

西田 でも僕は電話口の声で期待されて、実際に会ったらガッカリされるんだけど。声だけなら一生寄り添っていたいってさ(笑)。
長嶋 そんな!(笑)。そもそも、名前やブランド、歴史によって良いと思わされることはネガティブなことなのでしょうか?

西田 いや、そうとも言い切れないかな。価値とは複層的なもので、たとえば「この着物の紋様がいいんだ」というのは、歴史的価値を学ぶことで“そう思わされている”こと。だけど、実際に身につけて高揚する気持ちは否定のしようがない。ファッションの話に置き換えてみても、メディアは「半年で気分を変える」「新しいものが正義」というメッセージを打ち出してきたけれど、それって世の中の面白がり方としては間違いではないんですよ。新しいモノを見つけて買うのは、たしかに楽しいんです。とくに90年代は時代的にもそれでよかったんです。

ベストじゃなくても、今このタイミングで信じられるか、に賭けた方がいい。

次のテーマは、個人的な体験から導き出された各々の「価値観」について。誰しも自分にとってベストなモノに囲まれて暮らしたいと願うはずだが、それに固執しすぎてタイミングを逃すと永遠に「良いモノ」には出会えない……そこで小野さんが提唱するのが「カレーライス理論」。価値を理解するための大切なヒントが潜んでいる、かも?

長嶋 お二方は具体的にどういう思考プロセスを踏んでモノを選ぶんですか? 最近何か購入されたモノがあれば教えていただきたいです。

小野 僕はカバンを買いました。本業がプロダクトデザイナーなので、図面で使うA3用紙が入る大きめのショルダーバッグを買うようにしているんですが、ここ最近ずっと探していたモノがGINZA SIXのお店にあったので、電話で取り置きしてもらって。それで、実際にお店で見てみたら、想像よりも小さくて、A3がギリギリ収まるくらい。

長嶋 先ほどの発言の感じだと、小野さんはそこで買わない選択をしそうですが……。

小野 いや、目の前に店員さんもいるし、買わないわけにはいかないなと(笑)。

西田 ああ〜、よかった。意外に人間っぽい行動で安心した(笑)。
小野 僕のなかには、「買い物に使った時間を無駄にしたくない」という気持ちもあって。店頭で実際にモノをみて、すこし小さいとはいえ「まあまあ良いな」とは思っているわけだから、そこで買うっていう行為を終わらせたかった。いざ使ってみるとやっぱり小さいんですけど、我慢できる範囲なので付き合っていくものなのかなと。使っていくなかで、だんだん愛着も湧いてきますしね。

長嶋 それって、時間とお金を交換しているイメージなんですか?

小野 そもそも僕にとって買い物は負荷なので、あんまり時間を使いたくないんです。そういう意味ではタイミングが重要なので、たまたま時間ができたときに、少し気に入らないところがあっても根本的に問題じゃなければ買うっていう。たとえば「今からカレーをどんどん出していくから、一番美味しいと思ったらそこでストップして」と言われたとして、いったん「さっきの方が美味しかったかも?」とか「もっと美味しいカレーがくるはず!」」と思ってしまうと、もうキリがないでしょう?

西田 それはそうだ。

小野 僕はそれを勝手に「カレーライス理論」と呼んでいるんですが(笑)。だから、いったん「良い」と思ったら後も先も考えるなと。今このタイミングで信じられるか、に賭けた方がいいんです。

西田 最近はなんでも生産性を求めるじゃないですか。すると、合理的で効率のいい消費こそがよいということになる。でも僕は岩崎俊一さんが西武百貨店のために書いた「贈る者は、汗をかけ」というコピーが、自分が知っているコピーのなかで一番好きなんです。実際にモノを選ぶまでに相手のことをたくさん考えて、日常のなにげない言葉のなかにもヒントを探して……そうやって汗をかいて選んだモノには価値がある。良いモノ、あるいは良い買い物というのは、そうあるべきだなと。
長嶋 コロナ禍のなか、良いモノの概念も変わってきたのかなと思うのですが、個人的なコロナ以降の変化を教えていただけますか?

西田 2008年のリーマンショックや2011年の東日本大震災のときは、ドン底から復興していくプロセスを踏んできたのですが、今は底がみえない。さすがにこれは体験したことがない状況なので、価値観が変わるのは当たり前ですよね。『BRUTUS』のことでいえば、僕らはジャーナリズムというより、「娯楽、楽しみをつくること」を生業にしているので、スタッフには「来月には全員(国民)がワクチンを打って、世の中に出ていくことを想定して雑誌をつくろう」と伝えています。

長嶋 コロナだからといって、特集内容を大きく変えることはしないんですか?

西田 たとえばね、去年の4月には旅特集(2020年5/1号)を出しました。会社には「売れなかったから自分で買い取れよ」って脅されたんですけど(笑)。その号には、「SOMEWHERE SOMEDAY いつか旅に出る日」というコピーをつけたんです。その次、9月にまた出した旅特集のコピーは、「私たちは旅を忘れない。新・ニッポン観光」に。そこには、足下ばかりをみていても不安だし、遠景をみると茫漠としているから、今は4年先くらいをみていようという意図があって。「目標」ではなく、4年先にどうしていれば自分が楽しいのか、を考えるんです。
長嶋 モノの話を超えて、生き方の話のようにも聞こえますね。そういえば、買い物の動向の変化に対してはいかがですか? メルカリではわかりやすくエンターテインメント分野(ゲーム)が売れるようになったりしたんですが。

西田 それは単に過ごし方が変わった、ということでしょうね。実際に消費に使われるお金は減ったわけでしょう? そこで考えるのは、出会い頭で「よし、買っちゃおう」と思うことがなくなったわけで、「無駄が減った」と思ってほしくないな、ということ。「こんなの買っちゃったんだよね」って言いながら、買い物袋をいっぱい下げている、そういう微笑ましさって楽しいじゃないですか。生産性だけを突き詰めて、カッチリキッカリ生きているのは嫌で。雑誌という“不要不急”のモノをつくっている身としては、余計にそう思いますよ。

小野 それは本当にその通りで、もちろん消費自体は下がっているんですが、家で過ごすための椅子にしたって機能性だけでは選ばないじゃないですか。人間工学的なことよりも、僕だったらインテリアとして部屋に馴染むかどうかを優先するだろうし。そこが生産性を追求するものだけになる現象は、実は今もそんなに起こっていないんだと思います。
長嶋 「検索」で買い物をするっていうのは効率的ではあるんですが、よく生きる、楽しく生きる、という面で考えると危険なことでもありますよね。

西田 イージーな回答が手に入ってしまうからね。

長嶋 そうなんです。それで「自分は得をした」って思うんですけど、それはどこまでいっても資本主義的な考え方であって。

小野 出会い方もふくめてユーザーとモノが価値を共創しているとすると、出会いが画一化すると価値を共創する力は下がります。実はそろそろ二拠点生活を始めようと思っていて。自分が東京の価値観に浸されていて、まわりのみんなもこぞって同じ展示やイベントに行っていたりとかして、その状況がちょっと気持ち悪いなと。これまでは注目されている場所に行けることが東京に住むメリットだったんですが、今は「行けないほうがいいんじゃないか」って。物理的な制限があるほうが吟味の量が増えますし。

西田 これもいわば場所の「価値」に関する話だよね。東京に住んでいたらダメになることがあるんじゃないかっていう。これだけで2時間は話せそうだし、「そろそろ次にいけ」っていうカンペが出たから、続きは別の場所で話そうか(笑)。

小野 そうですね、そうしましょう(笑)。

もしメルカリをテーマに雑誌をつくるとしたら? あらゆる視座から「価値」を捉え直してみる。

最後は、メルカリというプラットフォームの特性について、お二人の実体験を踏まえて語っていただいた。やはり、モノの価格が不当につり上がる「高額転売」にはすこし思うところがあるようで……。

長嶋 インターネット上にある最適化された情報じゃなくて、雑誌のように誰かに提案された情報がいま改めて必要だなと思うんですが、それについてはいかがでしょう?
小野 わかります。以前、雑誌『WIRED』の松島(倫明)編集長と話した時に聞いたのですが、『WIRED』には93年の創刊時から「溢れる情報に意味と文脈を与える」というコンセプトがあったそうです。それによって初めて読者も「世の中をどう切り取るのか」という視座を持つことができる。僕自身もコピーライティングや広告制作をやりながら世の中と向き合ってきたんですけど、それとはまた違った意味合いで、編集は「視座」に影響を与えることができるなと実感していて。編集者を経験すると、情報発信やものづくりの見方が変わる気がします。

西田 「編集者は3日で10年」、3日間で覚えたことをあたかも10年前から知っていたことかのように話すべき、とよく教わりました。3日、というのは嘘ですけど、特集を作るプロセスでどんどん見えてきて、話せるようになるんです、本当に。特集のテーマを決めたら、まずは本を読んで調べる。いろんなモノを見る。そうしていろんな意見を入れておいて、自分の中に知識の受容体を作っておいて、今度はたくさんの詳しい人、識者に会う。そこで Aさんが言ったこととBさんが言ったことがぜんぜん違うとする。自分のなかに受容体をつくっておくと、「うん、Aは怪しいぞ?」というのがピンときたりするから。あくまで主体者じゃない。だから編集は社会的な仕事になるんですよ。

長嶋 雑誌『広告』に関しては、販売後の顛末をnoteにも書いていましたよね。メルカリでも多く転売されていましたが、改めて当時のことを振り返っていただけますか?

小野 Webでも書店でも「購入は一人一冊まで」でお願いしていて、アマゾンの発送も僕らで管理して同じ住所に2冊までしか送らないように徹底していたんですが、それでも世に出した一万冊のうち約400冊がネット上で転売されたんです。
西田 でも、それだって織り込み済みじゃないの?

小野 もちろんそうなんですが、あまりに出過ぎると……。僕らが当初想定していた転売数は200冊。その線を超えたということで、現象を分析して反省をつづったnoteを書きました。ただ市場経済的には転売も必然の流れなので、僕も仕方ないとは思っていて。ちなみに、アマゾンとメルカリとその他のプラットフォームで平均売価が違ったのは興味深かったですね。それと、誰かが「1円で買う体験がなくなった、という意味では(この雑誌そのものの)価値が下がった」って書き込んでいて。

西田 それはおもしろい指摘だね。「出来るに出来ぬあり、出来ぬに出来るあり」って言葉が好きで。何かができるようになると、「できない」ことができなくなる、って感じですね。

長嶋 二次流通でモノの値段が釣り上がるという現象に対してはどう思われますか?

西田 うーん、そこだけはどうしても違和感が残る。DIORがNIKEとコラボしてリリースした“エア・ディオール”を僕は持っているんだけど、手に入れたその時点でリセール価格が120万にまで高騰していた。限定販売だったんでしょうがないけど、自分もそれを意識して履けなくなっちゃって(笑)、すこしでもソールが減ると「価格に換算するとどれくらい減ったんだろう……」とか余計なことを考えちゃってね。一回だけ履いて外に出たんだけど、10分くらいで家に帰ってきちゃった(笑)。それはメルカリのせいだぞ!(笑)。

会場 (笑)
長嶋 それでは最後の質問をさせていただきます。もしお二人がメルカリをテーマに雑誌をつくるとしたら、どんなものをつくりますか?

小野 そうですね、「良いモノ」について考える雑誌にするとか?ただそのなかでも、サービスとしての「膿(うみ)」みたいなものを出したい。たとえば、先ほども触れましたが、転売の問題のほか、著作の問題、偽物の問題など、プラットフォームが抱える問題には既に根深いものがあります。社会的役割を担うほどの規模にまで成長したメルカリだからこそ、そこに向き合うことは、世の中にとっても、メルカリにとっても、生活者・ユーザーにとっても意味のあることだと思うので。西田さんは、いかがですか?

西田 2008年に『BRUTUS』で「YouTube」の特集をつくったことがあって、それが本国ですごく喜ばれたんですよ。彼らはすべてモニターのなかで完結するモノをつくっていて、物理的なモノをつくっているわけではないので、会社としての実態が見えにくかった。メルカリも同様に、中の人たちに徹底的に話を聞いたうえで、モノの価値が反映された秘密の売買データをみせてもらって、それを多様に分析して面白がるかな。

長嶋 おお、ずばりタイトルは?

西田 「世界一、モノの価値がわかる本」とかね? どうだろう? 

西田善太(にしだ・ぜんた)
雑誌『BRUTUS』編集長。株式会社博報堂のコピーライター職を経て、1991年株式会社マガジンハウスへ入社。ファッション誌『GINZA』編集部、『Casa BRUTUS』副編集長を経て、2007年12月『BRUTUS』編集長に就任。

小野直紀(おの・なおき)
雑誌『広告』編集長。 2008年博報堂入社。 2015年に博報堂社内でプロダクト・イノベーション・チーム「monom(モノム)」を設立。 2019年、博報堂が発行する雑誌『広告』の編集長に就任。

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メルカリマガジン編集部

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