『Shall we ダンス?』『シコふんじゃった。』などで知られる周防正行監督は、「モノを集めるのではなく、捨てられない気質。だからモノが集まってしまう」と語ります。そうして“集まってしまった”モノや資料は膨大な量となって、自宅のほかに借りているという書庫に所狭しと所蔵されているそうです。それはこれまで関わった映画作品に関する脚本・台本や取材資料のほかに、思い出の品や趣味の品まで、多岐にわたります。そこで、書庫に所蔵されているコレクションの一部を見せていただきつつ、周防監督が大切にしているアイテムを3点紹介していただきました。
(執筆/壬生智裕、編集/メルカリマガジン編集部、撮影/業天大和)
収集癖の原体験「クラシックのミニカー」
周防監督
「モノが捨てられなくなった理由を僕は明確に覚えているんです。小学生の時にミニカーを集めていたんですけど、中学生になる時に、もう自分は子供じゃないんだと思って、全部、他の子にあげちゃったんです。でも、あげた後の喪失感がすごくて。ポッカリと穴が開いちゃった。結局、その喪失感がそれからの僕を決めてしまった」
周防監督
「大人になってからは、プラモデル屋さんが一番のオアシスになりました。いきつけのプラモデル屋があって、そこに僕が持っていたミニカーと同じものがあったら買うようになっちゃいました。今日、持ってきたのはフェラーリとフォードとロータスにシャパラル。ただ残念なことにそのプラモデル屋さんが店を閉めてしまったので、行くところがなくなっちゃったんです。今だったらメルカリで探せるんですかね? それから通販で毎月いろいろなものが送られてくるシリーズがあるじゃないですか。あれの国産車ミニカーシリーズが創刊されて、そこにホンダS600とか トヨタスポーツ800とかもあったんです。いろんなおもちゃ屋で見ていても(プレミアがついていて)高くて買えないなと思っていたんですが、そういうところで安く手に入れることが出来ました」
趣味の草野球でまさかのプレゼント?元ヤクルトの館山投手が使っていたグラブ
周防監督
このグラブは僕の必須アイテムなんです。その昔、神宮外苑の草野球場で友人と野球をしていた時に、遠くから身体の大きい人が来て『周防さん!』と呼ぶんです。パッと見たら館山さん(今年で現役を引退した館山昌平投手)で。もうグラウンドは騒然ですよ。相手チームの人も何なんですかと大騒ぎだったし。そんな中で『よかったらこれを使ってください』と言われて、グラブをもらったんです。ただ実はそれ、硬式用なんで、革が硬めで重かった。軟式ボールだと捕りづらいんです。それでも試合で使い続けています」
周防監督
僕の唯一の趣味は草野球なんですけど、きっかけは『Shall we ダンス?』の撮影終了後の打ち上げ野球大会の時でした。それこそ20年ぶりくらいに野球をやったんです。自分としては昔とった杵柄で、結構速いボールを投げられるだろう、簡単に抑えられるだろうと思っていたんですけど、反対にボコボコにされちゃった。それが悔しくて。そこからトレーニングを始めて、映画会社のサラリーマンたちが集まる草野球チームに入れてもらったんです。それからずっと草野球をやっています。でも今年は忙しくて、ほとんど投げられていないですけどね。
周防監督
僕は幼い頃からスワローズのファンなんですけど、実はスワローズのキャンプに行ったことがあります。選手の練習が始まる前、朝一のまっさらなグラウンドで古田(敦也)さんが座ってくれて。ピッチング練習をさせてもらったことがあった。数球の予定が30球以上投げさせてもらっちゃいました。あれは嬉しかったですね。
最新作『カツベン!』取材の時に集めた落語・講談・浪曲のCD、DVD
(左、左から)『日本無声映画俳優名鑑』(無声映画鑑賞会 編/マツダ映画社 監修)、『活辯時代』(御園京平 著/岩波書店)、『日本百年写真館1』(朝日新聞社 編/朝日文庫)
(右、左から)『キートンの探偵学入門』、『キートンのセブン・チャンス』、『荒武者キートン』、『キートンの恋愛三代記』(以上、バスター・キートン 監督/アイ・ヴィー・シー)、『キートンの蒸気船』(チャールズ・F・ライスナー 監督/アイ・ヴィー・シー)、Talking Silentsシリーズ 1-6(溝口健二、他 監督/ビデオメーカー)
周防監督
『カツベン!』で活動弁士のしゃべりを研究した時に、『これは日本の語り芸を勉強しないとダメだ』と思ったんです。取材で知り合った活動弁士の方に聞くと、乃木大将のような偉人伝を話すときは「講談」を参考にする。そして熊さん・八っつぁんのような長屋ものの世界は「落語」を参考にする。さらに切った張ったという任侠の世界は「浪曲」を参考にするんだと。それが業界の当たり前の考え方なのか、その人独特の考え方なのかは分かりませんが、そうなのかと思いました。
(左、左から)『浪曲名人集 戦前SP完全復刻盤 10枚組』(オフィスワイケー)、『京山幸枝若 浪曲十八番 決定盤集<全ライヴ録音>』(日本コロムビア)
(右、左から)『怪盗ジゴマと活動写真の時代』(永嶺重敏 著/新潮社)、『活狂たちの半世紀ー無声映画鑑賞会50年史』(松田豊 編/ 無声映画鑑賞会)、『活動弁士 世界を駆ける』(澤登翠 著/東京新聞出版局)、『活動大写真始末記』(わかこうじ 著/彩流社)、『頗る非常!―怪人活弁士・駒田好洋の巡業奇聞』(前川公美夫 著/新潮社)、『日本映画の誕生』(今村昌平 著/岩波書店)、『映画探偵 失われた戦前日本映画を捜して』(高槻真樹 著/河出書房新社)
周防監督
落語や講談は耳なじみがあったんですが、浪曲を生で聞いた事はなかった。そこで浪曲を初めて聞きに行ったんですが、あまりの面白さにビックリしました。ならば浪曲を聞き込んでみようと思って。一世を風靡した浪曲師、広沢虎造さんの「清水次郎長伝」なんて本当に面白いんですよ。彼は浪曲界の王・長嶋というような人で、初めて浪曲を聴く人にも面白い。
周防監督
僕はしばらくの間、車に乗るときはこれしか聴いていなかったくらい。活動弁士のリズムというものを、浪曲をたくさん聴くことでイメージしました。やはり活動弁士は、語り芸があったからこそ生まれたと思うんです。それこそ日本には、琵琶法師や浄瑠璃、落語、講談、浪曲など、語りでイメージを広げてきた文化がありましたから。紙芝居もそうでしょう。なんであれだけ日本で活動弁士がメジャーな存在になったのかというと、やはり日本人の「物語り(ものがたり)」好きなところにあったんだと確信しました。
周防正行(すお・まさゆき)
1956年生まれ。東京都出身。立教大学文学部仏文科卒。1989年、本木雅弘主演『ファンシイダンス』で一般映画監督デビュー。修行僧の青春を独特のユーモアで鮮やかに描き出し注目を集める。再び本木雅弘と組んだ1992年の『シコふんじゃった。』では学生相撲の世界を描き、第16回日本アカデミー賞最優秀作品賞をはじめ、数々の映画賞を受賞。1993年、映画製作プロダクション、アルタミラピクチャーズの設立に参加。1996年の『Shall we ダンス?』では、第20回日本アカデミー賞13部門独占受賞。同作は全世界で公開され、2005年にはハリウッドでリメイク版も製作された。2007年の『それでもボクはやってない』では、刑事裁判の内実を描いてセンセーションを巻き起こし、キネマ旬報日本映画ベストワンなど各映画賞を総なめにした。2011年には巨匠ローラン・プティのバレエ作品を映画化した『ダンシング・チャップリン』を発表。2012年『終の信託』では、終末医療という題材に挑み、毎日映画コンクール日本映画大賞など映画賞を多数受賞。2014年の『舞妓はレディ』では、あふれるような歌と踊りとともに、京都の花街を色鮮やかに描き出した。2016年には、紫綬褒章を受章。