他にも、冷マ(気づくとポストに入っている冷蔵庫のマグネット)やカスハガ(絵葉書セットに混じっている、何をアピールしたいのか意図が全く不明であるカスのような絵葉書)など、生み出してきたマイブームは多岐にわたる。
一見すると、あらゆるモノに価値を感じ、享楽のままに収集しているように見えるみうらさん。しかし、当の本人は、自身の収集癖の原体験には、子供時代に味わった「寂しさ」「孤独」があると語る。
還暦を迎えた2019年2月には、自著『マイ遺品セレクション』を上梓。自らが収集したモノたちを遺品という言葉で表現し、これまでと違った向き合い方を見せた。世間では「片付け」がブームになるなか、みうらじゅんは、自身の「収集癖」をどのように捉え、これからどのように向き合っていくのだろうか。
みうらさんのイベントにもたびたび登壇するラブドールの「エリカさん」も見守るなか、ご本人の事務所で「収集との向き合い方」をテーマにお話を聞いた。(編集/メルカリマガジン編集部、写真/熊田勇馬)
収集癖の源流は「一人っ子」の寂しさから
「子供時代の寂しさが、モノを集める原動力になっているのかもしれないね」
みうらさんは、自身の代名詞である「収集癖」をこう表現する。兄弟のいない家庭に生まれ、人一倍、寂しさを感じる日常を過ごしていた。あまりに平凡な毎日を暮らしながらも、どこか閉塞感を感じる日常だった。しかし、そんな人恋しい日常が、「みうらじゅん」の原型を作り出していた。
「一人っ子の寂しさのなかで、唯一孤独を癒してくれるのが、友達が遊びにきたとき。どうにかして友達を帰らすまいと、漫画を見せたり、オモチャを見せたり…あらゆる手を講じて飽きさせないようにするんです。それで時間が経って、『もう遅いから泊まってってもいい?』と言わせたら俺の勝ち。寂しさを紛らわせるために必死だったんです(笑)」
友達を引き止めるための作戦は、回数を重ねるごとに巧妙になっていった。最初こそマガジンやサンデーなどの漫画週刊誌を毎号購入し、読んでもらうことで時間を潰していたが、それだけでは居座ってもらうことはできない。そこで、自身がおかしな趣味に傾倒し、「三浦純」そのものをコンテンツにすることで、友人を楽しませる術を身につけていった。
「寂しがり屋の子どもだったから、『これを持ち続けていたら、いつかツッコミがくるんじゃないか?』みたいな思考でモノを集めていたんです。怪獣や仏像のスクラップブックや自作の歌、自作の漫画、自作のアニメ…。いま思うと、当時からエンターテイメントとして、“みせぜん(見せる前提)”でモノを集める思考があったんだと思う」
有名になり、サブカルチャー界の鬼才と崇められても、発言や作品にはどこか滑稽さがあり、親近感が持てる。唯一無二となった「みうらじゅん」のコンテンツはいまだ、寂しさを感じていた小学校時代の、四畳半の子供部屋が源流となっている。
もう1つ、現在のみうらさんに大きな影響を与えているのが、「ロック」だ。高校1年生のとき、吉田拓郎きっかけで出会ったボブ・ディランのフォークロック期に衝撃を受けた。
「ロックがおもしろいのは、真面目に『普通じゃねえんだよ!』って必死になっているところですかね。たぶん日常では誰よりも真面目だけど、ステージの上では頑張って無理をする。そんな頑張って無理してる姿にグッときたんです」
必死に無理をする――。ロックの独特な「おもしろさ」はみうらさんのコンテンツにどのような影響を与えているのだろうか。
「僕の収集もロックと似ているんです。誰も興味を持たないモノを永遠と集めて、無理しておもしろがってると、『バカだなぁ』なんて言いながら、一緒におもしろがってくれるひとが出てくる。そうして集まってくれたひとたちが離れないためにも、もっと盛り上げようとして必死になる。子ども時代の環境のせいで、そういう“接待グセ”が付いているのかもしれないです(笑)」
そうした“接待グセ”のせいもあってか「いつか使えると思っちゃって、モノが捨てられない」と語るみうらさん。近年では、少しでも不要だと感じたらバッサリと「片付ける」考え方を支持する人は多い。しかしみうらさんがモノへの、そしてその先にいる「ヒト」への愛着を捨てることはない。
「『これから必要になるか?』を考えて捨てるってすごく未来志向で、今日やってくるお客さんを笑わせようとか、エンターテイメントのない行動に思えます。偏見かもしれないけど、『有用か?』だけを考えて捨てる人は、人間関係も切り捨てちゃうような気がするんだよね」
自分の「琴線」を鈍らせないために、通い続けている場所がある
みうらさんの収集のおもしろさは、集めていくなかで生まれる独自の文化圏にある。例えば15年前に訪れた「テングブーム」では、「テングの鼻に見えるもの」を集め続けた結果生まれたのが、テングとペンギンのハーフキャラクター「テングー」だった。自らが考案したにも関わらず社会的な「テングブーム」は訪れなかったが、テングーは天狗山がそびえる、小樽市の博物館に展示されることとなった。
「まぁ、テングーは俺から頼んで置いてもらったんだけどね(笑)。でも、自分で勝手に集めていたものが、ゴリ押しであろうが『公式』に認められたのは、これも1つのマイブームの成果だと思います。
集めている最中は結構しんどいんです。テングのグッズなんて、なんでこんなものに数万円…と想うことは多々あれど、自責の念に耐えながらレジに持っていく。そうするといつか文化圏ができていて、『テングー』みたいな思わぬアウトプットが出てくることがある。そこがおもしろいんですよね」
「ほかにも『ゴムヘビブーム』のときには、縁日で売られているゴムヘビが、みうらじゅんが大絶賛しているという建前で定価の2倍で売られていたこともあった。それを買っちゃうもんだから、自分で自分の首を絞めましたけどね(笑)」
テングーやゴムヘビなどの新たな文化圏の端緒を聞くと、「修学旅行で木刀を買っちゃうテンションと一緒」だと笑いながら話すみうらさん。「なんでこんなものを買ってしまったんだろう…」と過去の自分の行動を後悔しつつも、迷いをなんとか殺し、黙って収集を続ける。
「よく、『マイブームになるものの共通点はあるんですか?』と聞かれることがあります。けど、そのときどきで気になったきたものを手にとって、それを無理やり集めているだけだから、理由とか、共通点とかは特にないんです。でも『なぜ手にとってしまったのか?』ってところに、言語化できない自分の“琴線”があって。それを意識的に、無理してでも集めてみることで、自分が気になった理由を知った気になれるんだよね」
自らの琴線を信じ、無理してでも収集を続ける。では、「琴線」を鋭敏に持ち続けるコツはどこにあるのだろうか。そんな疑問をぶつけると、実践していることが2つあると教えてくれた。
「1つは、あまりインターネットを見ないこと。常にインターネットを見ていると、自分の嗜好を探求しようとしなくなっちゃうんだよね。Amazonは嗜好を分析してオススメを出してくれるけど、こっちはヒューマンエラーで飯を食ってるわけですから(笑)。わかりやすい連鎖に身を委ねると、おもしろい出会いは減っていくんじゃないかと思ってね」
もう1つ実践しているのが、本屋への「散歩」だ。
「新宿の紀伊国屋書店によく行くのですが、専門書からビジネス書まで、全てのフロアの、全ての本のタイトルを見ながら歩き回るんです。自分が全く興味のない、医療とかも全部見る。そうして見てみると、全然興味のなさそうなエリアに1つだけ、ピンとくる本があったりするんだよね。カラー図版入りの『ふぐ調理師免許』なんて本が気になって仕方なくなり、思わず買っちゃったこともありました。でも、まだ一回も開いてないんだけどね(笑)」
『マイ遺品』から半年、いまのマイブームは「拓本」「科捜研の女」
これまで、数々のマイブームを生み出し、その度にものを集め続けてきたみうらさん。そんなみうらさんに現在のマイブームを聞くと、「科捜研の女ブーム」と「拓本ブーム」があると教えてくれた。
「拓本は伝統的な複写のやり方の1つで、石碑に紙を被せて、そのうえから墨を打ち込むと、凹んだ部分が白くなって浮き上がってくるんです。これを今、いろんなロゴに打ち込んで“タクる”のにはまっています」
「『科捜研の女』がマイブームなのは去年の11月から。肩が痛くて原稿が進まずに休んでいたら、夕方の再放送で流れてくるじゃないですか(笑)。ついつい見てたらどハマりしてね。何か関連グッズはないものかと色々捜しています(笑)。ブロマイドとクリアファイルはてにいれたのですが」
還暦を迎えたいまでも、収集への情熱が衰えることはない。自分の琴線を信じ、感性のままに集め続ける…やっていることはシンプルだが、いまの時代、自分の感覚を信じて収集を続けられる人間は、あまり多くないのではないだろうか。「時代遅れがちょうどいいんですよ」と表現するみうらさんだが、その背中は、多くのことを教えてくれている。
みうらじゅん
1958(昭和33)年京都府生れ。イラストレーターなど。武蔵野美術大学在学中に漫画家デビュー。1997(平成9)年「マイブーム」で新語・流行語大賞、2004年度日本映画批評家大賞功労賞を受賞。著書に『アイデン&ティティ』『青春ノイローゼ』『色即ぜねれいしょん』『アウトドア般若心経』『十五歳』『マイ仏教』『セックス・ドリンク・ロックンロール!』『キャラ立ち民俗学』など多数。共著に『見仏記』シリーズ、『D.T.』などがある。