盤上ゲーム2019.09.20

対局中でも見た目への気遣いは忘れない 「貴族」棋士がファッションを通じて生み出す、新たな将棋の楽しみ方

日本固有の遊戯として親しまれ、いまなお数多くのファンを魅了する「将棋」。その将棋を生業とするプロ棋士は、頭脳の格闘技を勝ち抜いてきた「天才の象徴」であり、これまで彼らが生み出した“究極の一手”は、多くの感動を生み出してきた。

しかし、そんなプロ棋士が、どのような準備を行って対局に臨んでいるのかはあまり知られていない。時には24時間以上を対局に費やすこともあるなか、プロ棋士はどんなアイテムを携えて戦いに挑むのだろうか。将棋界の最高峰である「名人」経験者にして、若手棋士のトッププレイヤーとして君臨する佐藤天彦九段に、対局時に持ち込むアイテムのこだわりを聞いた。(編集/メルカリマガジン編集部、撮影/高橋奈水子)

長時間の正座でも疲れないよう、スーツはオーダーメイド  

貴族。

佐藤天彦九段のことを、一部の将棋ファンはこう呼称する。そのゆえんは、丁寧な言葉や格調高い仕草に加え、中世ヨーロッパを彷彿とさせる独特のファッションにある。お気に入りのブランドは、「ANN DEMEULEMEESTER(アン・ドゥムルメステール)」。ベルギー生まれの女性デザイナーが立ち上げたモードファッションのブランドだ。

ただ、それはあくまでプライベートでの楽しみであり、対局には専用のスーツをオーダーメイドで注文しているという。

「対局時は長時間正座をすることが多いので、既製品の細いスーツだと、ズボンやウエストが突っ張ってしまい、集中の妨げになってしまうことがあるんです。僕は練馬にある津坂テイラーというお店をよく利用するのですが、職人さんと対話を重ね、長時間の対局でもベストなパフォーマンスを維持できるスーツを作るんです。基本的には足回りやウエスト周りを緩めにして、長時間正座をしても疲れないよう工夫していますね」

お気に入りのスーツを羽織って対局に向かうことは、勝負の世界で戦う佐藤九段にひとときの休息を与えている。

「対局日とはいえ、1日中将棋のことだけを考えていると疲れてしまう。そんなとき、鏡でお気に入りのジャケットを直してみたりすると、勝負の厳しい空気感から解き放たれて、いい気分転換になるんです。スーツにこだわりを持つことは、自分の勝負に対する集中力を維持することに繋がっていると感じていますね」

プロ棋士と聞くと、将棋以外のことには興味のない、無骨で職人気質なイメージを持たれがちだ。実際、羽生善治九段が寝癖を残したまま対局に出向くことはファンの多くが知っており、その「抜け感」が、愛される理由にもなっている。

そんな将棋界にいながらにして、佐藤九段がファッションに目覚めたのは、福岡から上京した17歳のころ。思春期の青年らしく、同級生と遊ぶなかで「自分のファッションがイケてない」と感じ、見た目に気を遣うようになっていった。そこから自分の「好き」を見つめていくなかで、現在のスタイルに近づいていったという。


「ANN DEMEULEMEESTERは、当時愛読していたファッション誌で見つけました。直感的に好きだと感じ、21歳のときに初めて、表参道の直営店に向かいました。あのときの緊張は、将棋の対局以上でしたね。3点で25~26万円ほどだったでしょうか。持ち合わせがなくて、ATMまで慌てて走って向かったのは、いまでも鮮明に覚えています(笑)」

見た目への気遣いは、スーツだけに留まらない。対局時に持ち込むバッグにも、「貴族」ならではのスタイリッシュなこだわりがあった。

「対局中に暑くなってジャケットを脱ぐとき、畳に直接置いて“い草”がついてしまうのが嫌なんです。そのため、対局があるときは自立するバッグを持参し、スーツをかけられるようにしています。ここまでスーツのことを考えている棋士は僕くらいだと思いますね(笑)」

「アイテムにジンクスを持たせても意味がない」
持ち物はあくまで最低限。スタイリッシュな持ち物へのこだわり

将棋の対局と聞いて真っ先に思い浮かぶのが、対局中、扇子を優雅に扇ぐ姿だ。佐藤九段は常に、2本の扇子を持ち歩くようにしているという。

「思考のリズムを整える意味でも、無意識で扇子をパチパチと動かしているのですが、ごく稀に対局中に中骨が折れてしまうことがあって。万が一のために、予備として扇子は2本持ち歩くようにしているんです」

扇子には、直筆の揮毫がしたためてある。揮毫の文字は、「古色古香」と「遊」。特にどちらを使うと決めているわけではないが、最近では「古色古香」をよく使うそう。ちなみに古色古香とは「書画などが古くなり、独特の墨の色と香りを漂わせている様子、優雅な趣のあること」との意味を持つ。

「揮毫には、自分の在りたい姿や目指すべき将棋を投影した字を書くことが多いですね。プロ棋士のコミュニティのなかには書道部が存在し、書道の先生に教えてもらうこともできるのですが、僕の場合は完全に我流。特に、タイトル戦を経験すると多くのファンに向けて揮毫することが増えますから、自然と鍛えられていきました」

その他の持ち物は、リップクリーム、ティッシュ、ウェットティッシュ、目薬が2本…。目薬が2本ある理由について尋ねると「昼食休憩後に目を覚ます用のものと、目の乾きを抑えるためのものを持ち歩くようにしています」とのこと。しかし、当初抱いていた「勝負師」のイメージとは程遠い、OLのような持ち物だ。

「ジンクスのあるアイテムを持っているのではないかとよく聞かれるのですが、あまりこだわりはありません。負けが込むと持っていけないものばかりになってしまいますし、なにより勝負の結果をしっかりと分析し、どこを強化すればいいのかさえわかれば、験担ぎは必要ない。もちろん負けて凹むことはありますが、なるべく振り返りを精緻におこない、SNSを通じてアウトプットするのを習慣としています」

佐藤九段は対局が終了したあと、自身のツイッターで必ず対局の振り返りを行う。テレビやインターネットの対局中継から伺い知ることはできない戦いの裏側を知ることができることもあり、佐藤九段のツイートを楽しみに待つファンも多い。

「もちろん、負けた対局の振り返りが辛くなるときもあります。しかし、他の棋士の意見やコンピュータを通じて客観的に分析することで、対局中は気づくことのできなかった“一手”の深い意味を知り、勝ち負けを超えた感動を得られる瞬間があるんです。そうした“将棋の完成度”を振り返ることで、負けた対局のあとでもうまく立ち直ることができ、次の勝負に向けて、心機一転することができているのだと感じています」

ファッション好きの源流は、中学時代に聞いた「クラシック音楽」

佐藤九段が「貴族」と呼ばれるのには、見た目以外にも理由がある。それは、趣味として嗜んでいるクラシック音楽だ。

中学時代、ドヴォルザーク作曲の『新世界より』との出会いに衝撃を受け、モーツァルトやベートーベンなどの古典派音楽に傾倒。クラシック音楽の世界にどっぷりハマっていき、その興味はヨーロッパの歴史や文化へと及んだ。その途上で出会ったのが好きなブランド「ANN DEMEULEMEESTER」だった。

佐藤九段は「クラシックも将棋も、掘り下げ甲斐があり、知的好奇心をどこまでも満たしてくれる点で共通しているんです」と持論を展開する。

「例えばクラシックでいうと、作品が発表された歴史があるなかで『何故、モーツアルトの没後すぐにベートーベンは独創的な音楽を創れたのか?』と疑問が浮かんだとします。そこで、歴史的背景を調べてみると、ベートーベンが活躍した年代にはフランス革命が起きており、大きな歴史のうねりが作品に影響を与えているのかもしれない…と、仮説が生まれる。

音楽の視点だけで見ていたら解けなかった疑問が、マクロな視点で世界を眺めると、新たな視点が出てくる。クラシックを聴きながら、そんなことを考えるのが好きなんです。

将棋もまったく同じで、“AかBか”の二択で悩んでいるときに、あえて思いも寄らない突飛な“C”を考えてみることで、新たな視点を得られることがあって。常に自分の固定観念を破壊し続けることができる点で、将棋とクラシックは飽きることなく熱中できているのだと感じています」

近年では、将棋の研究にコンピュータ将棋は欠かせないものとなり、分析の精度も日進月歩だ。佐藤九段も2017年、“電王戦”でコンピュータ将棋の進歩を体感した一人だが、一方で「人間にしか表現することのできない将棋がある」という発見もあったようだ。それは、他の棋士以上に「見た目」に気を遣う、佐藤九段ならではの気づきだった。

「例えば、僕が注目している“ファッション棋士”の一人に大橋貴洸五段がいるのですが、彼の将棋はファッションと似ていて、とても尖った一手を出すときがあるんです。そんな風に、見た目や仕草から感じることのできる個性は棋譜にも忠実に表現されていて。将棋の強さだけでなく、棋士の一手から滲み出るスタイルや個性が、AIに取って代わられることのない、人間が指す将棋の魅力になってくれると思っています」

「加えて、藤井聡太七段のような天才少年も出てきているわけですから、将棋界は安泰ですね」。佐藤九段は、最後に笑いながらそう付け加えた。コンピュター将棋の台頭や、天才少年の出現…。将棋界に到来する「うねり」のなか、どのような棋譜とファッションで私たちを魅了してくれるのか。これからの佐藤九段の活躍に、目が離せない。

佐藤天彦(さとう・あまひこ)
将棋棋士。1988年1月16日生まれ、福岡県出身。5歳の時に買ってもらった将棋の本をきっかけに将棋を覚え、2006年18歳でプロデビュー。2016年第74期名人戦で羽生善治名人から史上四番目の若さで自身初タイトルとなる名人獲得、九段昇段。3期連続名人位。ファッションやクラシック音楽、宇宙戦艦ヤマト、ぬいぐるみなどを愛好する。あだ名は「貴族」。著書に『居飛車穴熊必勝ガイド』(毎日コミュニケーションズ)、『佐藤天彦に学ぶ勝利へのプロセス ~順位戦全勝記~ 』(マイナビ)、『理想を現実にする力』(朝日新聞出版)、『天彦流 中盤戦術―「局面の推移」と「形勢」で読みとく』(NHK出版)など。公式Twitter(@AMAHIKOSATOh)

29 件

WRITTEN BY

半蔵門太郎

(はんぞう・もんたろう)未来からやってきた武士ライター。姓は半蔵、名は門太郎。1998年長野県佐久市生まれ。武士のように、まっすぐ生きる人びとの営みを追いかけています。‬好きなものは将棋、F1、時代劇、路地裏。

RELATED TAGS

好きなものと生きていく

メルカリマガジンは、「好きなものと生きていく」をテーマにしたライフスタイルマガジンです。いろいろな方の愛用品や好きなものを通して、人生の楽しみ方や生き方の多様性を紹介できればと思います。