ファッション2021.02.18

銀幕を彩ったハット「ボルサリーノ」のプロダクト・フィロソフィー

「品格を高めるのは帽子ではなく、それを着用する頭だ」

こんな言葉を残した男がいる。ジュゼッペ・ボルサリーノ(1834-1900)。素材にこだわり仕様に革新をもたらした、高級紳士帽の天才職人である。帽子はあくまで帽子。身に着ける人物自身のあり方、振る舞い、ひいては装いに対するフィロソフィーがあってこそ品格がにじみ出る。紳士御用達の高級帽を手掛けた彼だからこその含蓄ある言葉だ。

アパレル消費のあり方が多様化しているなか、いまどんなアイテムを手に取って身に着けていきたいだろうか。プロダクトが誕生するまでのストーリーやフィロソフィーにふれることで、モノの価値について考える「モノヒストリー」。

第3回は、レオナルド・ディカプリオやニコール・キッドマンなどの俳優をはじめとし、多くのファッション愛好家から支持されているソフト・ハットの象徴「ボルサリーノ」の歴史に迫ってみたい。その誕生のルーツを探ると、ときは紀元前へとさかのぼる。

紳士の必需品トップ・ハットの誕生

羊毛のフェルト生地や皮、わらなどで作られた古代ギリシャ時代の日よけ帽

帽子の誕生は紀元前5世紀頃、古代ギリシャ時代。フォルムは山(クラウン)を大きめのつば(ブリム)が囲う「日よけ帽」で、日差しを避けたり寒さを防いだりする目的で生まれたそうだ。頭部を守る実用的な道具だった帽子は、やがて身分や階級の象徴、戦場での防具、正装におけるエチケットアイテムなど、時代と共に役割が変わっていく。女性たちに愛用された帽子は、ベールやレースなどの髪飾りやフードタイプなど、髪型を崩さないものだったが、男性の間ではフェルト製や革製のつば広型が主流だった。

そして近代に入り、19世紀の紳士の正装に欠かせない帽子として登場したのが「トップ・ハット」だ。

特徴となるのは円筒型のクラウン(帽子の山)。硬く丈夫なクラウンの誕生の起原は「狐狩りなどの乗馬時に落馬しても頭部を守れるため」や「イギリス・ロンドンの中心地、チャリング・クロス街で帽子店を営むジョン・ヘザリントンが帽子税(※)に反対するために考案(1797年)した」など諸説ある。


(※)当時の帽子は高価であったため購入時に帽子税(1796年導入)が課税されていた。支払いの証拠として帽子の内側に支払い証書が張られたが、その印紙が見えないくらい奥行きのある(帽子の山の高い)帽子をつくり、帽子税支払いの有無を見えにくくすることで帽子税反対の意思表示をしたという説

トップ・ハットが誕生した土地についてはイタリア・フィレンツェや中国・広東省などさまざまな説がある

さらに時代が進むと「トップ・ハット」はより身に着けやすいものになっていく。乗馬用の正装として着用されることが多かったトップ・ハットはクラウン(帽子の山)が高く、低木にあたって頭から外れてしまうことがあった。そこで、より動きやすく、より頭にフィットするよう工夫されたのが、1849年にイギリスのウィリアム・ボウラーが考案した「ボウラー・ハット」。名前の由来は、考案者のボウラーにちなむ、もしくはクラウンの形が丸い半球型(ボール型)だからとも言われている。

ドイツ語でメローネ、フランス語でムロン、アメリカではダービーとも呼ばれるボウラー・ハット

素材の変遷と階級意識

トップ・ハットとボウラー・ハット。19世紀を象徴するこのふたつの帽子は、身に着ける人物の階級を示すアイテムともされていた。それは使われた素材の変遷からも読み解ける。

トップ・ハットは誕生直後、「ビーバー・ハット」という別名でも呼ばれていた。その名の通り、ビーバーのファー・フェルトが用いられていたからだ。フェルトは、動物の毛皮をギュッと凝縮させ固めた素材。当時の帽子に多く使われていたのはウール(羊の毛)・フェルトとファー・フェルトで、ファー・フェルトの中でも最高級といわれたのがビーバーのファーだった。強く、軽く、しなやかで美しい光沢を放つビーバー・ファーは「黒いダイアモンド」とも呼ばれるほど希少価値があった。しかし、ビーバー・ファーはトップ・ハットの誕生以前より帽子の高級素材として高値で取引され続けていたため乱獲され、ついにはビーバー自体が絶滅の危機に瀕することとなる。そこで19世紀初頭に登場したのが、シルク製のトップ・ハットだ。だから、トップ・ハットはシルク・ハットとも呼ばれた。シルクも高価な素材であり、トップ・ハットはつねに富裕層にしか手が届かない高級帽だった。

では、ウール・フェルトや、その他のファー・フェルトが使われたボウラー・ハットはどうだったか。こちらは中産階級に広まっていく。チャールズ・チャップリン(1889-1977)のトレードマークにもなったことがきっかけで、労働者階級のみならず世界中に広まり、多くの男性諸氏から人気を集めた。日本でも、江戸時代後期の慶応年間(1865-1868)にイギリスから輸入が始まり、文明開化とともに「山高帽」という愛称で市民に親しまれるようになった。このボウラー・ハットこそ、のちに職人ジュゼッペ・ボルサリーノが生み出す「ボルサリーノ」のルーツとなる。

ハリウッドの古典映画のタイトルにもなった「ボルサリーノ」

ジュゼッペ・ボルサリーノは、1834年北イタリアの帽子工業地アレッサンドリアでうぶ声を上げた。12歳になる頃にはすでに帽子製造の見習い工となり、寝る間も惜しんで働いていたという。「いつか世界一の帽子を作る」。そんな大志を抱いたジュゼッペは修行を重ね、1857年(34歳)で満を持して独立。フェルト製造を手掛けていた兄ラッファーロと共に工房を興した。

ボルサリーノ兄弟はとことん素材にこだわり、原材料の仕入れから仕上げ、完成まですべての工程を工房で一貫生産する徹底ぶりを見せた。希少なビーバーや白うさぎ、ビキューナなどの最高級ファー・フェルトのみを選び用い、トップ・ハットやボウラー・ハットはじめ、さまざまなスタイルの帽子づくりに精を出した。そうして瞬く間に帽子業界において名を馳せる。1861年には、従業員約60名を抱えるまでの大所帯となり、工房は正式に「ボルサリーノ(BORSALINO)」社となった。

8年後の1869年。イタリア全土が統一運動の渦に巻き込まれていた時、ボルサリーノ社にとって大きな転機が訪れる。ある下院議員がフィレンツェ(当時のイタリアの首都)で暴漢に襲われ、相手のステッキの一撃でボウラー・ハットのクラウン部分に凹みをつけられる事件が発生。下院議員は傷を負うことはなかったが、「名誉の負傷」を誇示するかのように、真ん中が凹んだ帽子をかぶり続けた。

この変形した帽子にインスピレーションを得て、同社は帽子の中央を凹ませ、センタークリース(中央の折り目)を入れたスタイルの帽子を造り始める。それまでのボウラー・ハットは硬く固めたフェルトが使われたハード・ハットであったが、ボルサリーノ社が柔らかいフェルトで紳士帽を製造し始めたことで、以後、柔らかなフェルト製の帽子は総称として「ソフト・ハット(中折れ帽)」と呼ばれるようになった。

後年は帽子職人たちのために病院や学校を建設するなど、地元アレッサンドリアで慈善家としても活躍したジュゼッペ・ボルサリーノ

ソフト・ハットと所作

ジュゼッペは、帽子を脱ぐ際の扱いにも気を配った。当時のマナーでは男性は室内や女性の前で帽子を脱ぐことがエチケットとされていたが、柔らかい素材となったソフト・ハットはクラウン(帽子の山)をつかもうとすると型崩れしやすく、所作も美しくなくなる。そこで、帽子を脱ぐときに指で挟んでつまみやすいように、彼はクラウンの前方部分にふたつの窪みを入れたフォルムを考案した。トップの凹みと併せ3つの窪みを持つ帽子。これがまさに、ボルサリーノ社ならではのソフト・ハットとなる。現在、世界中の人が通称「ボルサリーノ」と呼ぶようになったソフト・ハットはこうして誕生したのだ。

1930年頃からは、映画の都ハリウッドでボルサリーノ社製の帽子が多用されるようになる。映画『カサブランカ』(1942)ではハンフリー・ボガート(1899-1957)が同社のソフト・ハットを着用。名画のラストシーンを彩ったアイテムとして多くの人の記憶に残る帽子となった。また、高級ブランドで初めてその社名が映画のタイトルとなったのが、1970年製作のフランス映画『ボルサリーノ』だ。アラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモンド主演のギャング映画だが、仏二大スターの中折れ帽姿はダンディズムの象徴となった。

アラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモンド共演の映画『ボルサリーノ』で二人がかぶる帽子はすべてボルサリーノ社によるもの

20世紀以降もボルサリーノ社製品に限らず、多くの帽子メーカーが生産するソフト・ハットの粋さはフェルト帽の王道となり、1980年代にはマイケル・ジャクソンを筆頭にポップスターが着用したことで人気が再燃。現在においても、レオナルド・ディカプリオなどのハリウッド俳優や、日本においてはサッカー選手の三浦知良などが愛用している。女性にも人気が高く、ニコール・キッドマンやナオミ・キャンベルがマニッシュ感をまといながらエレガントにコーディネートする姿が見受けられる。

「モノヒストリー」第3回は、近代の帽子の歴史とあわせ老舗高級帽子ブランドのボルサリーノ社を取り上げた。公式ホームページによると2021年現在9つの旗艦店と、約550店舗が世界展開されている。「ボルサリーノ」の名称はオックスフォード英語辞典にも掲載されており、男性向けのみならず婦人用も手掛けるボルサリーノ社製の帽子は今でも多くの帽子ファンの憧れの的となっている。
(執筆/岸上雅由子、イラスト/東海林巨樹、監修/出石尚三、編集/メルカリマガジン編集部)

(参考文献)
『帽子の文化史~究極のダンディズムとは何か』出石尚三著
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