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モダニズム建築の巨匠ル・コルビュジエが手掛けたインテリア。LCコレクション、ランプ・ド・マルセイユ・ミニが誕生するまで

東京・上野の国立西洋美術館の設計者として知られる建築家ル・コルビュジエ(Le Corbusier/1887-1965)は、インテリアデザインにおいても多くの名作を残した、20世紀のモダニズム建築を牽引した革命児だ。

「住宅は住むための機械」という理念に基づいて考案されたのが、当時の最先端素材「スチールパイプ」を用いた椅子や、シンプルな意匠の照明器具などだった。装飾性を抑え機能性を優先したそれらのデザインは、現代に暮らす私たちにとっては美しく感じられる。だが、西洋建築の歴史を重んじる価値観をもつ当時の人々にとっては、彼の建築・芸術に対する考え方も、生み出した作品も容易には理解しがたいものだった。

プロダクトが誕生するまでのストーリーやフィロソフィーにふれることで、モノの価値について考える「モノヒストリー」。「わたしたちの眼は純粋な形に狂喜する」。第6回はそんな言葉を残したル・コルビュジエゆかりの家具に焦点をあてながら、彼の生涯を辿ってみたい。

外出時はスーツに蝶ネクタイという姿がトレードマークだったというル・コルビジェ。毎朝6時に起き、柔軟体操を終えると午前中はキャンバスに向かい絵を描いて過ごした。画家としての顔を持つ一方、建築界で力を持つアカデミズムに対抗するため、国を越えて建築家たちが連携を取り合うグローバルな集まり「現代建築国際会議(CIAM)」(1928年第一回実施)をヴァルター・グロピウスやミース・ファン・デル・ローエらとともに設立するなど、つねに権威と闘っていた

モダニズム建築を目指すパリの反逆児

伝統的な木造建築の多い、スイス北西部のラ・ショー=ド=フォンの街並み。日本の校倉造りに見られる高床式の建物もあり、柱で上層階を支えるル・コルビュジェ建築の特徴となったピロティのルーツを、故郷の伝統建築に見る専門家も多い

スイス北西部、ジュラ山脈の山あいに、時計産業の中心地として知られるラ・ショー=ド=フォンという街がある。ル・コルビュジエこと本名シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(Charles-Édouard Jeanneret)は1887年、時計職人の父とピアノ教師の母の元、次男としてこの街に生まれた。父の後を継ぐため、13歳でラ・ショー=ド=フォン美術学校に入学。高等科に進学するも、視力が極端に弱かったため時計職人になることは諦め、彼の才能を見抜いたシャルル・レプラトニエという良き師に導かれるまま、徐々に建築家への道を歩み始める。

20代になるとル・コルビュジエは貪欲に建築的素養、知識を吸収するため修行を重ねた。レプラトニエの紹介で鉄筋コンクリートにいち早く着目していた建築家オーギュスト・ペレのパリの事務所に入り研鑽を積む一方、ベルリンの建築家兼デザイナー、ペーター・ベーレンスのアトリエにも籍を置いた。また半年かけてイタリア、東欧、ギリシアなどをめぐり、多くの歴史的建造物の存在感に圧倒されたという。なかでもアテネのパルテノン神殿にはことのほか心を動かされ「パルテノンの出現は私をうちのめした」という言葉を残しているほどだ。

1917年(30歳)、地元でいくつか個人宅を手掛けたとはいえ、まだまだ駆け出しの若い建築家にすぎなかったル・コルビュジエは故郷を後にし、大都会パリに移り住む。最初の数年間は経済的にも苦労し、不摂生な生活の中、網膜剥離を起こし左目の視力を失うなど不運にも見舞われた。だが、パリの前衛芸術家アメデエ・オザンファン(※1)やパブロ・ピカソ(※2)らと親しく交流するようになり、1920年には、総合芸術雑誌『レスプリ・ヌーヴォー(=新精神)』を創刊する。ちなみに「ル・コルビュジエ」という彼の通称は、この雑誌で使用していたペンネームから生まれた。その由来は、母方の祖父の名前「ルコルベジエ」にゆかりがあるとも、鼻のとがった面長の横顔がカラスを思わせることからフランス語の「コルヴォ/Corbeau(カラス)」からきているともいわれる。

(※1)フランスの画家、美術理論家(1886-1966)。ル・コルビュジエとダダの詩人のポール・デルメと共に『レスプリ・ヌーヴォー』を創刊。また、彼と共にキュビズムの流れを汲みつつ、より純粋に幾何学的視点からモノの形をとらえる「ピュリスム(純粋主義)」を提唱した。
(※2)スペイン生まれ、フランスで活動した画家(1881-1973)。対象となる人やモノを一つの視点からではなくさまざまな角度から捉え、絵画上で構成する「キュビスム(立方体派)」手法を生み出した。


当時のヨーロッパの建築法は、古代ローマ時代から続く「石造り(石積み)」が主流。だが、産業革命を経て、工業化の進化による機械時代を迎えようとしていたその頃、新たな素材として鉄やコンクリートを建築に使用する技術も発展を遂げつつあった。すでにル・コルビュジェはスラブ(床板)、柱、そして階段を建築の主要要素とする鉄筋コンクリートの骨組み構造「ドミノシステム」を考案していたが、建築界のアカデミー(学会)の人々には受け入れがたいものだった。そこで、無名でも野心だけは人一倍あるル・コルビュジエは、建築界の権威に反旗を翻すかのように、『レスプリ・ヌーヴォー』誌上で昔ながらの古い建築法を否定し、歯に衣着せぬ発言を繰り返した。旧体制からの批判を受けつつも世間の注目を集めだした彼は、1922年(35歳)にいとこのピエール・ジャンヌレとともに建築事務所を設立。しばらくは仕事にも恵まれず苦労を重ねるも、同郷の銀行家ラウル・ラ・ロッシュ(※3)の後ろ盾を得たことをきっかけに、少しずつ自分の思い描く「新しい住まい」を手掛けるようになっていく。

(※3)スイス人の銀行家でありアートコレクター(1889-1965)。ル・コルビュジエはパリの高級住宅街16区に彼の兄アルベール・ジャンヌレのために外見は1つだが2つの邸宅からなる「ラ・ロッシュ+ジャンヌレ邸」(1925)を手掛けた

「装飾は死んだ」~ル・コルビュジエ~

前世代の伝統的な手法や思想から抜け出そうと芸術家やデザイナーが活躍し始め、走るための機械「自動車」や飛ぶための機械「飛行機」が生まれた時代。機能とデザインが一体化した実用的な工業製品を、ル・コルビュジェは高く評価した。『レスプリ・ヌーヴォー』誌上での発表をまとめた書籍『建築をめざして』(1923)には、「住宅は住むための機械である」という彼の最も有名な名言が収められているが、もうひとつ、ル・コルビュジェは対となる言葉を残している。「住宅は生活の宝石箱であり、幸せをつくる機械でなくてはならない」

人びとが快適に幸せに暮らすためには、室内においても機能的で実用的な仕掛け、家具が必要となる。暮らし方においても革命を起こそうと考えたル・コルビュジェは、1925年、パリ万国博覧会において、アール・デコ調の展示だらけの中、いっさい装飾のない白い箱型の住居『レスプリ・ヌーヴォー・パビリオン』を出展。パリを超高層ビルで埋め尽くす『ヴォアザン計画』という都市改造案の発表と併せ、賛否両論を巻き起こした。

レスプリ・ヌーヴォー・パビリオン(再現)。装飾の多いキラキラした派手なパビリオンが多い中、この建物は、異彩を放った。館内の半分のスペースでは都市計画を、残るスペースにはダイニング、リビング、キッチンなどを配し、一住戸のモデルルームのような空間で新たな暮らし方を提案した

この頃から、ル・コルビュジェは未来の住居に似合う家具作りにも意欲を持ち始めていたようだ。中でも刺激を受けたのは、ドイツのバウハウスのデザイナー、マルセル・ブロイヤーが発表した世界初のスチールパイプを使った椅子「ワシリーチェア」(1925)(※4)だった。スチールパイプは耐久性に優れているうえ、軽い。量産可能で、「座るための機械=椅子」づくりには最適な素材だ。

(※4)バウハウスの同僚であった画家のワシリー・カンディンスキーの誕生日に贈ったことから名付けられた。発表当時の名前は「クラブアームチェアB3」

ル・コルビュジエが新素材で人間工学的にも優れた椅子づくりを模索していた折、彼の著書に衝撃を受け、事務所を訪ねてきた女性がいた。駆け出しのインテリアデザイナーのシャルロット・ぺリアン(1903-1999)である。

著書とは、前述の「住宅は住むための機械である」と記された『建築をめざして』(1923)と「装飾は死んだ」という彼らしい辛辣な表現を収めた『今日の装飾芸術』(1925)の2冊。ぺリアンは、彼の提唱する革新的な考えに共鳴。のちに自伝の中で「(彼の本を読んだとき)未来の前に立ちはだかる壁を越えられる」ような気がしたと綴っている。ペリアンは24歳、ル・コルビュジエは40歳だった。

名作寝椅子「LCコレクション」誕生

1927年、ペリアンは正式にル・コルビュジエのもとで働き始める。その頃、ル・コルビュジエはさまざまな座り方をする男女のシルエットを描きながら、実用性、機能性を重視した未来の椅子に関するコンセプトを固める作業の途上にあった。一方、ペリアンはすでに自ら回転椅子を手がけるなど、コンセプトを洗練させ形にする術を備えていた。ル・コルビュジエに加えて建築事務所を立ち上げたピエール・ジャンヌレも協働することになり、3人は装飾性や重さから椅子を解き放つだけではなく、可動性や可変性を加えることで機能とデザインが一体化した椅子づくりを目指した。

3人の協働から生まれた家具の中でも代表作としてとくに名高いのが、「ドシエ・バスキュラン」「グラン・コンフォール」「シェーズ・ロング」という3点の椅子だ。1929年、パリの「サロン・ドートンヌ(秋のサロン)」での出展で公にお披露目され、いずれもニューヨーク近代美術館(MoMA)所蔵作品となった。

「ドシエ・バスキュラン」は、フランス語の意味する「傾斜/上下移動」の名の通り、座った人の姿勢に併せて背もたれが回転して動くリクライニングチェア機能を持つ。インドに駐留したイギリス軍の折り畳み椅子をヒントに発想されたという、コンパクトな椅子

現在では「LC2」として親しまれる「グラン・コンフォール」。「サロン・ドートンヌ」発表直後、ドイツの家具メーカー「トーネット」社(1819年設立)で生産されたものの一部の顧客にしか購入されなかった。その後、本格的に生産を請け負うメーカーは現れず、世の中の多くの人に認知されるには発表から約35年の歳月を待たなければならなかった

「大いなる快適さ」と名付けられた「グラン・コンフォール」は、スチールパイプでつくられた籠のようなフレームに合計5つのクッションを埋め込む簡潔な設計のミニマルなソファ。

そしてル・コルビュジエが「休養のための機械」と呼んだのが、90年以上経った現在でも「世界一有名な寝椅子」と評価され続ける「シェーズ・ロング(長椅子)」だ。体の線に合わせて緻密にデザインされた座面と背面が一体となったカーブ。それを下部で支える弓型のパイプを動かすことで、身体を預けた時に、心地よい角度に調節することができる仕組みになっている。

現在では「LC4」として親しまれる「シェーズ・ロング」。彼の代表建築「サヴォア邸」(※5)の浴室には、この椅子とほぼ同様のカーブを描いたバスタブの縁がデザインされている。毛皮の選定など、官能性を盛り込んだシャルロット・ぺリアンの功績も大きい作品

だが、時代を先取りし、装飾性を潔く排除した彼らの椅子は、「サロン・ドートンヌ」での発表直後、すぐさま世間に受け入れられることはなかった。多くの人に知られるようになったのは、1927年の創業以来、デザインに対するこだわりが強いイタリアの家具メーカー「カッシーナ」社が復刻制作を始めたからだ。同社は、1964年、ル・コルビュジエ、ピエール・ジャンヌレ、シャルロット・ぺリアンとこれらの椅子の復刻生産を始める契約を結んだ。「ル・コルビュジエ(Le Corbusier)」の頭文字を取り「LCコレクション」(1965)として世に出された家具の数々は、商品化された順にプロダクトナンバーがつけられ、マエストリ(巨匠)の名作家具を復刻制作する同社の「イ・マエストリコレクション」の起点にもなった。「LCコレクション」は、ル・コルビュジエ単独デザインの家具も併せ、テーブルや収納棚、コートラックなど多彩なラインアップを誇り、現在も生産が続けられている。

(※5)フランス、パリ郊外に建てられた鉄筋コンクリート製の個人住宅(1931)。1926年にル・コルビュジエが提唱した「近代建築の五原則(ピロティ、屋上庭園、自由な平面、自由なファサード、水平連続窓)」を体現した設計となっている。

幾何学の原形を活かしたコンパクトな照明器具

40~50代半ばに至るまで、のちに代表作となる「サヴォア邸」(1931)やスイス政府から依頼を受けた「スイス学生会館(1932)」(※6)など、主に個人宅や小規模な集合住宅を手掛けていたル・コルビュジエ。そんな実績の集大成となったのが、第二次世界大戦終戦の年、フランス政府から受注した戦後の住宅難解消を目的とするマルセイユの大型集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」だった。

(※6)ル・コルビュジエ最初の公共建築。パリ南部のジャルダン国際大学都市の敷地内に建てられたスイス人留学生のための寄宿舎。

ル・コルビュジエ建築の代表作のひとつとなったフランス・マルセイユの「ユニテ・ダビタシオン」(18階建て、337住戸)。完成は1952年。その後、フランスの2都市およびドイツ・ベルリンに計4カ所建設された。各部屋には、両面カウンターの機能的キッチンをはじめさまざまな工夫が凝らされている

フランス語で「住まいの統合体」を意味する集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」には、ル・コルビュジェが編み出した建造物の基準寸法モデュロール(Modulor)(※7)が用いられている。中層階には食料品店やレストラン、宿泊施設、郵便局などが入った商業フロアがあり、最上階には幼稚園、また屋上には体育館、プールまでが設けられたひとつの小都市ともいえる施設だ。

(※7)ル・コルビュジエが考案した人間にとって理想となる建物の寸法を示したもの。「module=寸法」と「Section d'or=黄金分割」というフランス語を掛け合わせた造語。人が立って片手を挙げた時の指先までの高さ(ヨーロッパであれば226cmセンチ)を最大値に肘まで、胸まで等々、各々の比率を計算し、それらの数値を用いて人が動きやすい寸法の空間や家具を考案した。


ル・コルビュジェは室内用の家具も手掛けており、なかでも注目したいのがマルセイユの「ユニテ・ダビタシオン」向けにデザインした「ランプ・ド・マルセイユ・ミニ」である。

下向きのシェードからは直接光、上向きのシェードからは関節光を放つ「ランプ・ド・マルセイユ・ミニ」。自由に向きを調整できる可動範囲の広いアーム部分も特徴だ。イタリアの照明器具ブランド「ネモ」社(1993年設立)から復刻され、現在も販売されている

一見すると飾り気のない、円錐型のふたつのシェードを絶妙に組み合わせたこの照明器具には、ル・コルビュジエの美意識がてらいなく表現されている。それは彼の残したこの言葉からもうかがい知ることができる。

「私たちの目は、光の中で形を見るようにできている。立方体、円錐体、球体、円柱体、ピラミッドなどは、光が有利に作用する偉大な原形であり、私たちにとってあいまいさのない、明確で具体的なものだ。だから美しい。最も美しい形なのだ」

ル・コルビュジエはパリで暮らし始めた30代、友人であった画家のオザンファンと「ピュリスム(純粋主義)」という新しい美のとらえ方を提唱した。瓶やグラス、水差しなど身の回りにあるものを立方体や円錐形など幾何学的原形でとらえ直し、絵画上で簡潔に構成する手法だった。「幾何学こそは人類の偉大なる創造であり喜びである」。その思いは、30年以上を経ても彼の中で変わることなく、21世紀の現代においても色あせない照明器具を生み出すことになった。

妻へのプレゼント、LC14 カバノン

マルセイユの「ユニテ・ダビタシオン」建設中の後期、ル・コルビュジエはこの建物とはまったく対照的な小建築を手掛けている。1952年、妻イヴォンヌへの誕生日プレゼントとして設計し完成した「カップ・マルタンの休暇小屋」だ。カップ・マルタンは南フランスの小さな村。地中海を愛したル・コルビュジエはイヴォンヌの故郷モナコにも近いこの小屋に毎夏バカンスに訪れ、海水浴を楽しんだ。

わずか10畳ほどの広さしかない質素な小屋で使うため、ル・コルビュジエは立方体そのものの素朴なスツール「LC14 カバノン」やキノコ型のカラフルなフックを持つコートラックなどをデザインした。

カッシーナ社の「LCコレクション」から復刻生産されている木製のスツール「LC14 カバノン」。カバノン=CABANONとは小屋の意。「モデュロール」を基準に設計され、各木板の継ぎ目には「ダヴテール(和名=蟻ほぞ継ぎ)」という接合方法が使われている。取手用の穴が6面にしつらえられているので、持ち運びしやすく、縦にも横にも自由に配置することができる

だが、ル・コルビュジエがイヴォンヌと共にこの小屋に毎夏通うことができたのはたった5年間だけだった。1957年にはイヴォンヌが先立ち、3年後の1960年には最愛の母マリーが100歳の長寿を全うし亡くなった。母マリーは、無名時代の彼が建てたスイスのレマン湖畔を一望できる「小さな家(母の家)」(1932)に生涯住み続け、時に弱気になる息子を受け止め励まし続けていたという。

大きな心の支えとなっていたふたりの女性を失いつつも、70代のル・コルビュジエは長年精力を注いできたインドの新都市チャンディーガルの都市計画および主要建築物の設計やヨーロッパ各地での大規模な展覧会をこなしながら、毎夏、カップ・マルタンの休暇小屋に通い続けた。残された映像の波打ち際に座るル・コルビュジエの後ろ姿からは、彼がいかにこの海を愛したかが伝わってくる。
「私は子供の頃から、貝殻に目がなかった。らせん状に成長したもの。縁に向かって放射状に広がったもの。貝殻たちのもつ調和の法則、シンプルなアイデアに基づいた、その美しさが好きだった」

彼は幾何学的な数や比例の法則は、自然界のあらゆる造形物の中にひそんでいることを信じてやまなかった。稀代の建築家ル・コルビュジエは1965年8月27日、奇しくもカップ・マルタンの地で亡くなった。77歳だった。彼はいま、この村の地中海を見下ろす丘の上の墓地に、妻イヴォンヌと共に眠っている。
(執筆/岸上雅由子、イラスト/黒木仁史、監修/河内タカ、編集/メルカリマガジン編集部)

(参考文献)
「ル・コルビュジエ 生涯と作品」林美佐 著
「芸術家たち 建築とデザインの巨匠 編」河内タカ 著
「名作椅子の由来図典」 西川 栄明 著
「天才たちの日課」メイソン・カリー 著
「シャルロット・ペリアン自伝」シャルロット・ペリアン著 ほか

(参考/ドキュメンタリー)
Le Corbusier 50: stories of encounters that have revolutionised design,
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