お話を聞いた次の日、感銘を受けすぎて、僕も買いました。
今回のテーマは銀塩カメラ。いわゆる「フィルムカメラ」ともいわれ、カメラ本体に写真用フィルムを装填して撮影するもの……とはいえ、もはや見たことのない人もいるでしょうか。スマホで撮影できるようになりましたし、お店に並ぶのもデジタルカメラばかり。かつては「カメラ=銀塩」でしたが、1990年代からカメラを取り巻く勢力図はすっかり逆転していきました。
それでも、銀塩カメラならではの写りは、今なお人々に愛されています。最近だと「写ルンです」のブームをきっかけに、フィルムカメラの魅力を見直す動きもありました。
「銀塩写真の独特なやわらかさは、デジタルの加工でもまだまだ追いつけない表現力があるんです。それに、モノとしても可愛いですし、私の愛用カメラは親子3世代で使い続けているものです。デジタルカメラでは、ちょっとむずかしい愛し方ですよね」
そんなふうに話すのは、今回お話を聞いたカメラマンの中田智和さん。銀塩カメラだけでも300台のコレクションを有する愛好者です。さらに、中田さんは自ら古いカメラを修理し、メルカリに出品しているそう。「儲けよりも、状態の良いカメラをもっと世の中に行き渡らせたい」と話す中田さんに、銀塩カメラの魅力を教わりました。
(編集/メルカリマガジン編集部、撮影/鍵岡龍門)
カメラマン/photo live 代表取締役 中田智和さん
長野県塩尻市を拠点に活動するカメラマン。カメラ修理工房に務め、東京で有名アーティストのライブツアー同行など商業写真の分野でも活動した後に、長野へ移住。現在は長野県内の仕事のほか、企業広告に使われる風景写真を求めて国内外へ飛び立つことも!
発売から60年が経っても現役!親子で受け継いできた愛機
ご実家が時計店で、カメラも扱っていたことから、幼い頃からカメラに触れて育った中田さん。はじめての一台も、お祖父様から譲ってもらったものだったそう。初めて写真が仕事になったのは、知り合いから声のかかった美容室のカットモデル撮影。その写真が、とある賞を射止めることになり、中田さんのカメラマン人生はさらに駆動していきました。
モデルの撮影に使ったのは、祖父から父へ、そして子である中田さんへと受け継がれたキヤノンの銀塩カメラ「IV Sb改型」。今でも中田さんの手に収まる愛機は、まるで新品のように見えるほど、うつくしく磨かれています。
中田
このカメラの発売は1954年です。電池を一切使わず、全て機械式で動いていて、本体も金属製だから磨き続けることが可能なんです。たとえ中のパーツが壊れても、自分で真鍮を削り出して作ればいいですからね。からくり時計を直すみたいな楽しみがあるんですよ。
中田さんには小学1年生になる娘さんがいます。カメラに興味を持ち、自分でフィルムの装填もできるようになったとか。親子4代で愛機を受け継ぐ日を、中田さんは心待ちにしているようでした。
「フィルムとデジタルの接点にいる」思い出の機種
銀塩カメラは、IV Sb改型のような機械式だけでなく、電子化された機構を併せ持つ機種もあります。電子制御によって、状況に合わせたカメラの設定を自動で行ってくれる機能を搭載しています。まさに現代のデジタルカメラのように使える銀塩カメラ、というわけです。
中田さんが進んで修理を手がけるキヤノン「A-1」は、キヤノンが始めて電子機構を取り入れた記念碑ともいえる機種です。
中田
フィルムとデジタルのちょうど接点にあることに魅力を感じます。クセがあるカメラでもあって、自分がカメラへ寄り添うように撮っていくとうまくいくのも、最新機種にはない楽しみです。とはいえ、A-1の発売は1978年なので、メンテナンスは必要ですね。
A-1は、中田さんがお祖父様から譲ってもらった、初めてのカメラでもあるそう。「発売年とほぼ同い年」という愛着のある機種だけに、一部が壊れたり調子が悪かったりする「ジャンク品」をインターネットなどで見つけると、中田さんは買い求め、再び誰かの手に渡るように修理を施して出品しているのだとか。
カメラは「コミュニケーションの真ん中」を担ってくれる
実際に修理の工程を見せてもらいました。たとえば、修理道具のドライバーも、ぴったりと合うものがなければ金属ヤスリで先端を削って自作します。
慣れた手付きで分解していくと、ほんの20分ほどで修理が必要な箇所を発見しました。
中田
たくさん直しているので、壊れる箇所の見当はついていますからね。ただ、A-1も電子部品が壊れてしまうと修理が難しい。そういうときは、壊れた別のA-1と合体させて、使える個体を増やすこともありますよ。みんなの手に、ほどよい値段で、状態の良いものを手渡していきたいんです。
そう話す中田さんは、ある奇跡的な体験を教えてくれました。松本城で写真を撮っていたところ、そばにいた人から「いいカメラをお使いですね」と声をかけられ、意気投合。その人は「ネットで買った」というA-1を下げていました。レンズの指紋に気づいた中田さんは、クロスで拭いてあげようと彼のA-1を預かったとき、驚きました。
銀塩カメラの多くは本体にシリアルナンバーが振られており、中田さんは手の中のA-1のナンバーに見覚えが……後に記録を調べてみると、まさに自分で修理したA-1だったのです。
中田
メルカリ便だと購入者さまの住所はわかりませんから、まさか松本城で、私の手から巣立ったカメラと再開するとは思いませんでした!大切に使ってもらっているA-1を見て、すごく嬉しくなりましたね。だから、もし持っているカメラが壊れたとしても、捨ててほしくはないんです。欲しい人はいて、どうにか直りますし、なんなら僕が直しますから。
カメラを間に置くことで、年齢も性別も超えた出会いがつながる。さらに、手をかけられる銀塩カメラならば、親子のように歴史をつなぐこともできる。写りのやわらかさ、見た目のときめきだけでなく、「コミュニケーションの真ん中」にもなってくれる。中田さんの笑顔から、銀塩カメラというモノの魅力を教わりました。
“終わりに”
「せっかくですから、撮ってみますか?」
実はこれまでデジタルカメラしか使ったことのない僕は、中田さんの計らいで、銀塩カメラを初体験。おぼつかない手付きでフィルムを装填し、A-1と共に松本城へ。ピント合わせに苦戦しつつもシャッターを押すと、「シャコンッ!」と澄んだ音が。シャッターに合わせて、カメラの中にあるミラーの跳ね上がる振動が、手を通じて心地よく記憶に残りました。
あぁ、なんだか、気持ちいい。それに、データを記録するのではなく、「体験」として写真を撮っている感覚が、すごく楽しい!
後に、カメラ店で現像した写真を見ると、たしかにスマホやデジタルカメラとは異なる表現力を実感。「水面が美しい…!」と、自分で撮ったのに、ついつい、うっとり。一瞬で惚れてしまった僕は、自分なりに使いたい銀塩カメラを早速買い求めることに……。
中田さんが伝えてくれた銀塩カメラの愛から、またひとり、この魅力に開眼してしまったのでした。