あの人が選ぶ「私の名品」は?
人が選んで使うものは、その人を物語ります。ほかの誰かが決めた基準ではなく、「私」が好きなものを身の回りに置く楽しさ、贅沢があります。何気ないものでも、できれば自分が「名品」と感動したものたちと、毎日を一緒に過ごせたら素敵ですよね。このシリーズではさまざまな方に、ちょっと心を動かされ、生活の中で定番となった3つのものご紹介いただきます。(執筆・写真/羽田圭介、編集/メルカリマガジン編集部)
書くことに専念できる「キングジム ポメラDM200」
デビュー作『黒冷水』から三作目まで、小説の第一稿は手書きしていた。四作目の『ミート・ザ・ビート』からはじめて、第一稿もノートパソコンのワープロソフトで書くようになったが、長くは続かなかった。というのも、キングジム「ポメラDM20」なる端末と出会ったためだ。テキスト入力しかできないからこそ、書くことのみに専念できる。モノクロ画面だから目が疲れず、折りたたみ式の機構を開けば二秒で起動し書ける、というストレスのなさが、今より全体的にパソコンのスピードが遅くディスプレイのギラつきも強かった約一〇年前の時点では、画期的だった。DM100を経て、現行のフラッグシップ機DM200でこの原稿も書いている。
原稿は必ず紙に ブラザー工業「モノクロレーザープリンター」
ただ、ポメラで書いたテキスト形式の原稿をそのまま、編集者たちに送っているわけではない。一度パソコンにテキストを送り、ワープロソフトに貼り付け、紙に印刷して見直すという工程を必ず経る。ブラザー工業のモノクロレーザープリンター「JUSTIO HL-L2365DW」をもう何年も使っている。以前はスキャナー付きの複合機を使っていたが、プリンター部分が壊れ場所もとったので、コンパクトで頑丈な同機を使い続けている。インクジェット機ならもっとコンパクトなものもあるが、印字の綺麗さと速さにおいて、レーザープリンターにはかなわない。
短いエッセイくらいであれば最近はパソコンの画面上で書き直しそのまま送ることも稀にあるが、ある程度長さのある文章だと、紙に印刷し読み返さないと駄目だ。直すべきところに気づくと、印刷した原稿に赤ボールペンで直しを入れ、それをデータ上に反映させる。
年齢の近い女性先輩作家で、小説の執筆をすべてノートパソコン上で完結させている人もいる。その人がそれでできるのだから、自分には紙に印刷する工程が必要と思っているが、本当は必要ではないのでは? とたまに思いもする。ましてや、数ヶ月前に七十数万円もはたいて買った高性能ノートパソコン、MacBookPro16インチは画面のギラつきもないから目が疲れないし起ち上がりも早く、ポメラやプリンターもいらないようにますます感じられる。
それでも、動画編集や音楽編集もできる高スペックマシンだと、なんでもできますからなんでもやりましょうよ、と電力の消耗と共に急かされている気がして、落ち着かないのだ。その点、一度充電してしまえば何十時間でもテキスト入力が可能なポメラは、書いても書かなくてもどっちでもいいよという雰囲気が、執筆のリズムにあっている。最近、四〇〇字詰め原稿用紙換算(もう一〇年ほど四〇〇字詰め原稿用紙に書いてなどいないのに、未だに文芸誌の編集者とはこの“換算”を基にして長さの話をしている)三二〇枚ほどの小説を書き終わり、内容的な直しを行うため印刷しじっくり赤字を入れていったのだが、パソコン画面上だけで完結させるのは無理だとあらためて思った。おそらく、静と動の違いなのではないかと思っている。パソコンのディスプレイ上の文字は、肉眼では察知できないほどの速さでの消滅と表示を、たえず繰り返している。いっぽう、紙に印刷された文字は、一度刻まれてしまえば消滅と表示を繰り返すことなく、ずっと静の状態を保ちそこに在り続ける。その違いを、肉眼では無理だが脳が無意識下で感じとっている気がする。急かされないからこそ、自分のペースで大局的思考や神経質なまでの気づきも得られるのかもしれない。
リラックスして思索できる「オカムラのコンテッサⅡ」
書斎の椅子にもこだわりがあり、大学四年生のときに買ったオカムラ「コンテッサ」というOAチェアを約一〇年間使い続けた後、二年ほど前からは後継機「コンテッサ2」に座っている。長時間座った際の腰の楽さが、他の椅子と比べ全然違う。人間工学に基づいた身体に優しい高級OAチェアといえば、ハーマンミラー「アーロンチェア」が有名だ。腰痛に悩まされた時期にそれを家具屋へ見に行った際に、コンテッサのほうがより自分の用途にあっていると体感し、そちらを選んだ。
両者の違いはなにか。机に向かい、やるべき作業をやっているとき、いってみれば臨戦態勢のときは、アーロンチェアもコンテッサもさほど違いはない。アーロンチェアになくてコンテッサにあるもの。それは、だらけた体勢でいるときの、座り心地の良さだ。
コンテッサは後ろにのけぞると、そこらのソファーやリラックスチェアを凌駕するほど、身体をリラックスさせてくれる。小説の執筆等、その他創作活動では、やるべきことがわかっていて能動的になにかやっている時間よりも、だらけながら思索している時間のほうがはるかに長い。だから、書斎というそれなりの精神的規律を求められる場所においても、身体を弛緩させてくれる椅子はとても大事なのだ。コンテッサの座り心地が良すぎるせいで、どんなに良いソファーや寝椅子を買ったりしても結局、書斎のコンテッサに座っている時間が一日の大半を占めている。
ただ、素晴らしい仕事道具を使い続けてしまっているが故に、弊害も出ている。
昨今、身軽に旅をしながらホテルで仕事するということが提唱されていたりして、僕もそれに憧れはする。気分転換しながら、良いアイディアでも浮かびそうではないか。でもホテルだと、スイートルームくらいに泊まらなければ、仕事にたえうるまともな椅子や机は備えられていない、と思ってしまう。スイートルームにずっと泊まり続けられるほど金持ちではないし、仮にスイートルームにそれなりの机と椅子があっても、コンテッサはない。コンテッサは我慢し、ポメラを持ち歩いたとしても、ノートパソコンとモノクロレーザープリンターももれなくセットで必要となってくる。
だからMacBookProがいくら薄く軽くスタイリッシュなデザインになっても、こだわりの仕事道具に身体を縛られてしまっている僕は、東京の書斎から自由になることはできないのであった。真面目な話として、良い面と悪い面、両方あると思っている。
羽田圭介(はだ・けいすけ)
小説家。1985年東京都生まれ。2003年、「黒冷水」で第40回文藝賞受賞。2015年、「スクラップ・アンド・ビルド」で第153回芥川賞受賞。著書に『ポルシェ太郎』『成功者K』等。単行本化を控えている最新作は、モノを捨てまくるミニマリストが主人公の「滅私」(新潮社)。