写真家・藤代冥砂の沖縄暮らし。サンダルで珊瑚まじりの道を歩く朝

2011年の東日本大震災を機に神奈川県の葉山から沖縄に移住した写真家・小説家の藤代冥砂さん。
 
北中城村の小高い丘の上にある元・米軍住宅を改修した自宅で暮らしながら、撮影の仕事があるときは数日だけ東京に戻ってくる──といった生活を送っています。
 
そんな藤代さんには、沖縄で暮らすようになってからずっと愛用しているサンダルがあるといいます。そのサンダルを通じて感じた「歩く」ことの楽しさについて、寄稿していただきました。
 
(写真と文/藤代冥砂、編集/メルカリマガジン編集部)

裸足に近い状態で歩く

まるで皮膚のようなサンダルである。
 
足の裏に、もう1枚厚めの皮が生まれたかのような履き心地は、衝撃的だった。アウトドアショップで、フィッターさんのアドバイスを受けながら試着した時に、購入を即決。久しぶりにワクワクした買い物だったことを今でもよく覚えている。
 
そもそも、新しいフットウエアというもの自体が、特別な高揚を与えてくれるものなのだが、このサンダルには、過去のどのシューズに対しても抱いたことのない、知的な興奮が伴っていた。
 
普段使うモノ、それも毎日使うモノには、とことんこだわりたい。日頃からそういう視点でモノ選びをしている僕だが、サンダルというアイテムに対しては、決定的なモノとは出会っていなかったことを実感した。それほどまでに、このルナサンダルは、僕の日常に、刺激的にくいこんだのだ。
9年前に葉山から沖縄に移住してから、僕は「歩くこと」を心がけるようになった。
 
地下鉄も鉄道もなく、バスが割高な沖縄は、どうしても車移動が主流になってしまう。それこそ近所のコンビニに行く時ですら、車に乗るようになってしまう。とにかく歩く場面がなくなっていく。そうなると、二足歩行というベーシックな運動がどうしてもおろそかになってしまうのだ。
 
僕は、「歩くこと」は馬鹿にできないと考えている。
 
歩行による足裏からの振動は、全身の筋肉と脳を刺激し、それが自律神経の健やかさを保つ。いわば、健康維持のキーを「歩行」は握っていると信じている。
 
とはいえ、ところは沖縄、冬でも最低気温は13℃くらいで、春と秋が短くて、夏がとにかく長いのである。湿度だって高い。いったんお日様が昇ると、てくてく外を歩くのは、実際不快以外の何ものでもない。それも沖縄に住む人が歩かない理由でもあるだろう。
 
そこで、僕は早朝の犬の散歩を歩行時間と決めて、毎朝1時間ほどを費やすことを日課としている。そして、ここ数年は、必ずこのルナサンダルをチョイスしている。
冒頭で、このサンダルを履くことは、知的興奮を誘うと記した。それは縄文時代の人々の暮らしに触れたときの知的興奮に似ていて、僕たちの現代生活が失いつつある何か、過去に持っていたはずの消えゆく遺産を、掘り起こす時のそれと同質のものだ。
 
そういう知的作業は、表面的には、ただ文化の流れに逆行するかのように見えることが多い。ただの懐古趣味と断じられることも多い。だが、逆行ではなく、再発見と解釈すれば、「1歩下がって2歩進む」になる。
 
近年のシューズ開発は、クッション性能の競争であったと思う。アスファルトの上を歩くことが当然の環境になり、どれだけ膝やその他のジョイント部に衝撃を与えないかを目指していたのだが、その高性能のクッションのおかげで、そもそも人間が持っていた歩行能力を忘れさせることになってしまったのではないだろうか。
 
人間は裸足で生まれてくる。その事実だけみれば、裸足で歩き、走ることができるポテンシャルを持っているはずで、それを維持することは、できるだけ裸足、もしくは裸足に近い状態で歩くのが良いと考えられる。もちろん、TPO的に常時サンダル・オンで過ごすことは無理だろう。だが、コロナの時代は、ビジネスマンですら革靴から離れる機会が多いと思う。積極的にサンダルをチョイスできるタイミングはあるはずだ。

「やっと本当の歩行に戻れる」

で、僕の場合だが、前述したように、朝の1時間の犬散歩は、もはやこれ無しには、始まらない。

最初のうちは硬いアスファルトの表面の感触がダイレクトに膝や腰に響くので、うーん、となっていたが、数日もすれば慣れてしまう。それは足が、「これだよ、これを待っていた、やっと本当の歩行に戻れる」と囁いてくるようで、足だけでなく、体全体が喜んでいるようであった。なんというか、体の全機能が本来の働きを取り戻していくような、芯から元気になっていくような感触があったのだ。

1時間の散歩から家に戻り、スリッパに履き替えると、そのスリッパの感触が、まるで浮き輪にでも乗って歩いているような、ぐにょぐにょとした違和感を覚えた。なんじゃいこれは! である。ためしに普通のスニーカーを履いてみても同様であった。手袋をしてパンを食べているような違和感しかなかった。

そんなわけで、季節と場所が許す限り、僕はルナサンダルを常用している。
繰り返すが、人は裸足で生まれてくる。本来それがデフォルトなのだ。裸足で歩くことを前提に骨格が設計され、臓器やらなんやらも配置されているはずなのだ。極端な例を出せば、ハイヒールが不自然なのは誰でもわかると思うが、ルナサンダルに履き慣れて、それによって体の歪みが矯正されている自覚があると、クッションの効いた高性能スニーカーですら、ハイヒール属に入れたくなるのだ。
 
幸い沖縄では1年のうち8ヵ月くらいはサンダル・オンで暮らせる。なので、第2の足裏であるルナサンダルを履いている時間がとても長い。たまに普通のビーサンも履くけれど、やはりクッションが効きすぎだと感じてしまう。
もし、僕の話が大袈裟だと思うのなら、試しに1ヵ月くらい履いてみることをお勧めする。おそらく姿勢が良くなり、顔色が良く成り、肩こりが消え、ふくらはぎがシュッとし、声が少し大きくなるのではないだろうか。そして、なによりも歩くことが楽しくなる、楽しみになる。値段はサンダルとしては立派な値段ではあるが、数千円の自己投資である。
 
そして、これは数ヵ月様子を見ての話になるが、このサンダルは、走ることが可能だ。じっくり歩いて慣らしてから、公園などの土の上から始めると故障に繋がりづらい。歩くだけでも楽しいが、これで走れるほどに履き込む頃は、脱皮したかのように若返っているはずだ。自分の体だけで歩き、走れるというのは、実に爽快だ。そして内側から自分の体に自信と信頼が持てるようになる。これは健康であるために大切なことだと思う。
 
健康を測る尺度はいろいろあるけれど、珊瑚混じりで滑りやすい沖縄のアスファルトを毎朝歩いていると、いつの間にか滑らずに歩けている自分に気づく。
 
月桃の花の甘い香りやドラゴンフルーツの見事な花、アカショウビンの澄んだ鳴き声など、沖縄の自然に気を取られながらも、滑らずにすたすた歩けるようになったのは、足の裏の感覚が蘇ったからだと思う。僕にとっての健康は、足裏の感覚が冴えていることも大切な要素だ。
さて、こんなことを書きながら、ルナサンダルを手に取ってみる。
 
履き込んでいるのにソールの減りが遅い。それでもストラップは少しヘタってきているようだ。2足目のルナを探そうとメルカリを開いてみる。おお、と思うのがあるがソールドアウトである。僕はその買い手がルナに足を入れる時のことが想像できる。はじめは、あれ? と思うのだ。そして実際アスファルトを歩いて、さらにあれ? と思うのだ。大丈夫かな、これ、と頼りなさを感じて使い始める。そしてある日、おおお! とルナを輝く目でまじまじと見つめるのだ。

1967年千葉県生まれ。写真家、小説家、エッセイスト。写真家五味彬氏のアシスタントを経て独立。95年~ 97年、世界一周の旅へ。帰国後、ファッション、音楽、広告を中心に活動。代表的な写真集『RIDE RIDE RIDE』(スイッチ・パブリッシング)、『もう、家に帰ろう』(ロッキング・オン)、『the sketches of tokyo』(青幻舎)、『90 nights』(トランスワールドジャパン)など多数。「新潮ムック 月刊シリーズ」(新潮社)で第34回講談社出版文化賞写真部門受賞。小説としても『誰も死なない恋愛小説』(幻冬舎)、『ドライブ』(宝島社)などがある。2011年より沖縄に移住。

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メルカリマガジン編集部

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