趣味2021.08.23

「ギターと人生」人生を変えた買い物#03 石崎ひゅーい

誰にでも、人生を変えた買い物がある――さまざまな書き手の方に、記憶に残り、運命を狂わせた「お買い物」体験を綴っていただく、連載シリーズです。第3回はシンガーソングライターの石崎ひゅーいさんです。(文・写真:石崎ひゅーい、イラスト:くぼあやこ、編集:カツセマサヒコ/メルカリマガジン編集部)

放課後の音楽室、壁に立て掛けられたクラシックギター、馬みたいに光って見えた。それなりに弾ける奴らの演奏は、お祭りの大道芸みたいで、只々食い入るように覗き込んで見ていた。誰かがレッドツェッペリンの「天国への階段」のイントロを爪弾いた。あの物悲しいメロディが、中学生の僕の心を射抜くまで、そう時間はかからなかった。その日、僕は初めてギターに触れた。分厚いネックにナイロン弦、おそるおそるボディを叩くと木が軋む音が広がって、壁に飾ってあったベートーヴェンの眉間あたりまで届いた気がした。気持ちが良かった。まだ右も左もわからないギターの世界の扉が開いた瞬間だった。それから僕は毎日のようにそのフレーズを練習した。弦を押さえる指が悲鳴をあげていたが、「この階段を登り切れば、天国に行き着く事ができるんだ」そんなふうに自分を鼓舞した。2ヶ月くらいかかったが、僕はそのフレーズを一応習得した。そして音楽室からギターを持ち出し、教室の隅で鳴らし始めた。誰かに聴かせたくてしょうがなかったんだ。下心丸出しの演奏は辿々(たどたど)しかったが、女の子達に褒められてとてつもなく嬉しかった。「そうか、これこそが天国なのか」そう思った。

家のどこかにギターが眠っている事はなんとなく知っていた。親父が昔ミュージシャンだったからだ。「もうどこにしまったかわからない、見つけたらやるよ」、そう親父に告げられた僕は財宝の在処を突き止めるように、家のありとあらゆる場所を探した。グーニーズだ。庭の犬小屋のそばに一度も入った事がない倉庫があった。怪しかった。まるで「そうだよ、そこだよ!」と言わんばかりに犬が吠えていた。やっとの思いで見つけたギターは懐中電灯に照らされて、やっぱり馬みたいに輝いていた。埃かぶったモーリスのアコースティックギター。人生初のマイギターとの出会いだった。目の前で太く乾いた木が沢山の緑をつけ悠然と立っているような、そんな気がした。それなのに弦を弾くと雨が降るみたいにいっせいに泣き始める、そんな音がした。
それからそいつとはずいぶん長く付き合った。初めはスピッツや尾崎豊、当時流行りのJ-POPのコード表を見ながら歌ったりした。誰かに弦の貼り方を教わり、チューニングのやり方を教わった。血豆だらけの左手の指先を誇らしげに親父や母ちゃんに見せびらかした。初めて曲を作ったのもこのモーリスだった。わけのわからない曲だったが、モーリスが無かったらこの世に生まれなかった曲だ。
作品を生み出す幸せを最初に教えてくれたのはモーリスだ。

中学を卒業して音楽活動を本格的に始めた。まわりの奴らはみんなエレキギターを持ち始めた。アンプから放たれる音圧に圧倒されたし、ディストーションで歪ませた音はかっこよかった。エフェクターを挟んで沢山の音色が生み出される光景が魅力的だった。だがしかし、やっぱり自分のアコギが一番可愛い。
僕はずっとそう思っていた。家に帰ってモーリスを抱きしめる。そんな生活が続いた。

上京する時もモーリスを握りしめていた。慣れない生活や、上手くいかない音楽活動に対するジレンマが募る瞬間も、モーリスは僕を見守ってくれた。使いすぎたのか、気づくとネックがヒビ割れ、ボディが剥がれていた。「もう疲れたよ」そんな声が聞こえた。僕はモーリスの死期を悟った。こいつと最後の旅に出よう。そう思った。
2011年9月、僕はモーリスを連れて日本最南端の島、波照間島に出かけた。東日本大震災後のあのネガティブな気持ちを引きずりながら。
エメラルドグリーンの海に、真っ白い砂浜。夜は星が絶え間なく流れていた。楽園だった。僕はそこで毎晩歌った。旅に来る人達や、島のおじいやおばあ、民宿のお兄ちゃんやお姉さん。みんなと泡盛を飲んで、そして歌で繋がった。そんな出会いが心を晴れやかにしていった。ボロボロのモーリスに落書きをしてもらった、まるで優しく包帯を巻くようにみんなが絵や言葉をくれた。
最後の晩、僕はずっと書き途中だった歌を完成させた。「花瓶の花」という歌だ。きっとモーリスと一緒に作る最後の歌になる、そう思った。1週間くらい島に居たせいか、最後の夜の即席ライブは島中の人が見に来てくれた。そこで演奏した「花瓶の花」を、僕は忘れないし、歌を作り終えて安心したのか、島から帰るとモーリスは完全に壊れた。
その後「花瓶の花」という歌は自分のアーティスト活動を代表する歌に成長していった。今も、どんな場面で歌ってもあの波照間の景色とボロボロのモーリスが蘇る。

2012年にシンガーソングライターとしてデビューした。普通なら新しいギターの1本や2本を買うだろう、でも僕はずっとギターを買うことができずにいた。別れた恋人のように、モーリスの事を引きずっていたんだ。あとは普通にお金が無かった……。
その間はメーカーさんから借りたギターや友達が家に置いていったギターでライブや作曲をしてやり過ごしていた。弾きやすいし、良い音がするものも沢山あった。きっと誰かとルームシェアをしている感覚に近かったのかもしれない。新しい刺激や興奮は十分だったし、沢山の曲も生まれた。もうギター買わなくて良いかな、とさえ思っていた。このまま独身でいいや、と。そう思いながら数年が経った。

2020年、モーリスと別れて9年。僕は恵比寿の楽器屋でいろんなアコギを試奏していた。おすすめされたものはどれも良い音で、弾きやすくて、色も素敵だった。だけど胸の奥まで訴えかけてくる奴はいなかった。「やっぱりまだ独身のままか」、そう思いながら僕はなんとなく試奏を続けていた。すると店員さんが奥から違うアコギを運んできた。あまり期待はしていなかったがケースを開けた瞬間時間が止まった。馬のように光るマーチンだった。モーリスの面影を感じた。弾かなくてもどんな音がするかわかるような気がした。試奏をする前に「これ買います」と店員さんに伝えると、笑っていた。楽器を買うっていうのはきっとそういう事なんだ。
音を鳴らしてみた、太く乾いた木が沢山の緑をつけ悠然と立っていた、それなのに弦を弾くと雨が降るみたいにいっせいに泣き始めた。あの音だ。いろいろな思い出や曲達がフラッシュバックした。そうやって僕は人生で初めてアコースティックギターを買った。

まだマーチンと過ごしてからは1年くらいしか経たない。このエッセイのテーマは「人生を変えた買い物」だが、ミュージシャンにとって楽器とは「人生を共に作っていく物」だ。きっといつかこのマーチンと共にまた自分を代表する歌を作るだろう。そしてかけがえのない思い出を沢山作っていくだろう。
このギターと共に僕は僕の人生を変えていく。

そういや最近だと「ブラックスター」っていう曲を書いた。マーチンを掻き鳴らして。7月7日から配信が始まっているから聴いてみてほしい。MVではギターと一緒に作曲に苦戦してる姿が見れるので、このコラムの想像がしやすくなるかも。覗いてみて下さい。よろしくです。

石崎ひゅーい
1984年3月7日生まれ。茨城県水戸出身。本名。シンガーソングライター。
両親の影響で幼少の時からトム・ウェイツ、デヴィッド・ボウイなどを聴いて育つ。 中学からバンド活動を開始。当初よりヴォーカルを務める。高校卒業後、大学で結成したバンドにてオリジナル曲でのライブ活動を本格化させる。その後は音楽プロデューサーの須藤晃との出会いをきっかけにソロシンガーに転向し、精力的なライブ活動を展開。2012年7月25日「第三惑星交響曲」でメジャーデビュー。2013年6月にテレビ東京系ドラマ「みんな!エスパーだよ!」のエンディング曲「夜間飛行」を、7月に1stフルアルバム「独立前夜」をリリース。2018年3月に初のベストアルバム「HuwieBest」を発表後、全48公演におよぶ全国弾き語りツアーを実施した。同年12月、菅田将暉への提供曲のセルフカバー「さよならエレジー」を配信リリース。「アズミ・ハルコは行方不明」や「そらのレストラン」といった映画に出演するなど、役者としても活躍。

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メルカリマガジン編集部

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